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本当はかみさまが好き。でも、神と聞いて胡散臭く感じちゃう日本民族へ


神は死んだとニーチェは言った。
いや、死んでない。
私よりも数倍深くて緻密な思考を持ち合わせただろうニーチェの言葉、また、背景を知らないので解らないが、この言葉の流布はニーチェからしたら不本意かもしれないけど、この言葉をある時代が受け取ってしまったのだが、死んでないのは確か。

でもね、あまりに手垢をつけられ過ぎたんだね。
どっかの宗教、神の権威を乱用した商戦や、思想の押し付け、神国と教えられ若者の命が砲弾と化した。

かみ、かみ、かみ。  
もう、飽き飽きする、もう騙されない、もう黙ってくれ!神と言う表現は。
繊細でお人好しですぐに信じる、素朴で、純朴な日本人は、沢山の神神商戦に辟易したのではないか。
金をとられ、純心をとられ、命をとられ、思考をとられ。

四季気候地理、あまりに多用な要素をあわせ持つこの島で暮らすには、自然の声を聞かなきゃならない。すると自然と、自然の機微を聞き取る耳や目や何かが発達したのだろう。
自然に寄り添うがゆえ、自然を愛する日本人は、自然のめぐみと、また、恐ろしき裁きを受け入れながらこの島で暮らしてきた。火山台風津波地震。それも、この距離感つきあい方の理由だろう。
それでも、受け入れ寄り添ってきた悲しみといとおしさを感じる。また、美を詠じてきた。

大丈夫、安心して。

はたまた、神は思う。(かとて、これも私の推測)
それは私ではないのに。それは勝手な評価だ解釈だ!
神ほど誤解をされた存在はいないのではないか。神ほど見当違いの説明をされた存在はいないのではないか。

もっとも近くにいる存在。
神秘のときめき、万物の美しさ、空の高さと海のふかさ、ため息の出るような景色と、波の音、無限の広さの宇宙に込められた何か。
誰にも気づかれないように、完全犯罪の如く愛を施す。人を通じて状況を通じて足跡もつけず。
でも、探す人にはかろうじで気付くくらいの残り香を残して、、、なんてオシャレで、なんて思慮深く、なんて愛深い方か。

定期イベントの一礼二拍手でもない、インターフォンの向こうから押し付けてくるのでもない、裁きや地獄というワードで脅すのではない、変な壺を売るでもない、そんな人為を越えて圧倒的に存在している、彼。
私の心、あなたの心の機微を繊細に感じとり、私が何を選択するのか、何を大切にするのか、すべて炎のような目で見ている。

もっとも自分を知っている方。
自分よりも自分を知っていて、
誰よりもあなたを愛し、
静かにでも熱くあなたを愛する、愛するためにあなたを生んだのだ。

かみさまに還りたいな、
本当のかみさまを知りたい。
あれもそうだったのか、これもそうだったのか
と、どれ程、神様が生活の中で働いてきたのかを知るだろう。

確かに愛されてきたし、愛されているのだ。
幼い頃、確かに感じていた、
人生のすべてを通して知り、
最後に還る あなたへと。

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