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42tokyoに参加することになった自分のキャリアとこれから

概要

大学2年生のらいかです。漫画読むのが趣味です。今は新宿スワン読んでます。

最近某パンデミックで、自分のキャリアについて語ることが極端に減ったこと、自分がやりたいことが全然わからないことから、自分のキャリアを振り返りたかったので、この記事書いてます。

今までの経歴

高校不登校→高校2年生でN高転入(ここでデザイナーを目指したくなる)→近畿大学文化デザイン学科入学(ここでプログラミングに興味を持つ)→42tokyo入学(今ココ)

もともとはN高の授業の過程でデザインに触れて、「自分の手でそれっぽい物が作れる!!面白い!!!」ってなって、そのままの勢いで、総合大学でデザインに関する学科がある近大に入学しました。

私はポスターや雑誌などの紙媒体のデザインは同年代の周りのレベルが高すぎるというけしからん理由でほとんど触れて来ず、もっぱらそれっぽく形にしやすかった(といっても本当にそれっぽいだけ)Webやアプリのデザインばかりをやっていました。

しかし、ある時に「いくらデザインを作っても、僕の知り合いに実装出来る人がいなければ意味ないじゃん!!」→「じゃあ自分で実装できるようになろう!!」という風になってプログラミングの勉強を始めたのが、プログラミングに興味を持つきっかけでした。

最初は友達を誘ってバニラJS+HTML+CSSのみのWebサイトを作るという、今考えるとチープなことをやっていました(技術だけ聞くとかなり前の出来事に聞こえますが、一年前のこと)。でも、自分の中では物を作ってネットに公開して世界中の人たちがアクセスできる状態にするというだけで、とてもワクワクしたのを覚えています。
当時描いたエントリ

現在は先ほど挙げた友人と一緒に、「今度は実際にある課題を解決できるサービスを作ろう!!」と奮起し、Webサービスの開発を行なっています(あと少しでリリース出来そうな状態です)。
アイデアのプレゼン動画

感じる不安

開発を進める過程でプログラミングについてWebや書籍で勉強していました。勉強を進める度に感じるのは自分がどんどんと器用貧乏になっていく焦燥感でした。

Twitterを見ていると大人も出場するポスターコンペに入賞する大学生、機械学習で今まで発見されていなかった手法を発見する高専生、その他未踏やSecCamp...などなど。世界には天才が一つのことを極めて結果を出しまくっているのに、そんな中デザインやプログラミングに振り切ることなく、中途半端にやっている自分は器用貧乏である。そんなことを思うようになりました。

「このままではいけない」と自分のやりたいことを見直し、CSの基礎知識が必要だと感じたため、42に入学しました。

自分のこれから

改めてnoteに経歴を書いて思いましたが、僕は自分のアイデアが形になっていく過程が好きなんだろうなと思います。

理想を言えば今のまま自由にデザインをして、コードを書き続けたい。しかし、親に扶養されている現在でさえ金欠なので、大学を卒業して親の脛を齧れなくなったら確実に今の生活を維持出来ません。

自分の考えたサービスを作り続ける個人開発者や連続起業家などの生き方は見ていて心踊ります。しかし、同時に他者と比較して強みがない今の自分がこの生き方に挑戦しても、よほど運がよくない限りは成功しないだろうなとも感じています。(やりたいなと思える領域がないことも大きい)

最後の方は自分でも何が言いたいのかわからなくなってきましたが、結局は将来の夢を叶えるためには力不足なので技術力を付けて、いっぱい自分のサービスを作りたいですということです。

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