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普通の大学生がレーシングドライバーを目指したわけ。(2)

皆様ごきげんよう。
富田竜一郎です。
今これを開いたということはあなたは暇と言うことですね?お暇なら最後までお付き合いください。

さて、飛んでもなく間が開いてしまったので、前回をお忘れになった方も数多くいらっしゃるかと思います。

そんな方は今一度こちらをご覧ください。

ようやく自動車免許を取得した竜一郎青年。しかし、相変わらずレースとは無縁の日々を送っておりました。

免許を取得し、車に乗るようにはなったものの、主な用途は通勤とレジャー。たまにサーキットに行くにしても父の付き添いで全く自分が走る、という方には行きませんでした。

僕の愛車1号のレガシィさん。5年乗ってNILZZレーシングに渡り、つい最近まで現役でらっしゃいました。

そんな日々を送っていた2010年の春。仕事から帰ってきた父がぼくにひとこと。

「再来週、一緒に袖ヶ浦走ることにしたから。」

(´・ω・`)?ワットハプン?

「だからスーツ買いに行こう」

?!(・◇・;) ?

そんなこんなで袖ヶ浦でサーキットでビューを迎えることに。勿論すごくたのしみで、前日は遠足の前の日の小学生でした笑

迎えた当日は、薄曇りの霧雨。
本来あまり好ましいコンディションではないですが、初めて走るサーキットが楽しくて、走行中ずっと笑っていたのを覚えています。
この日、初めて父と一緒に走ったのに、父と変わらぬペースで走ってしまったのが原因で、数日口聞いてもらえなかったのは今となってはいい思い出です笑

それからは年に数回鈴鹿をメインにたまに富士を走りに行きつつ、大学生生活を送る日々。
走りに行く度にタイムが上がって、走るのが本当に楽しかったです。

それと時を同じくして始めたのが、今でも趣味と練習として活用しているレーシングシミュレータ。
当時はお金もなかったので友人にもらったPCと、中学生の時に買ってもらったGTForce proに、父と二人で切った貼ったして作ったベニヤの台+座椅子、というなかなかストロングスタイルな趣満点の環境でプレイしておりました。

そんな日々を過ごしていた2011年の冬。
その年から始まったGT-R Club track edition(以下Cte)によるレーシングスクールに父が参加するとのことで、付き合いのあったNOVAエンジニアリングさんから車を買う段取りが進んでいました。
それを聞いて「じゃあなんか手伝えるように簡単な整備の勉強でもするかな」と自動車整備の本などを買って読んでいた頃

父「こないだ話してたやつ(Cte)、ドライバーきみにしたから。」

いやいやまさか話に寝耳にwater。

いわく、「60過ぎた俺が乗るよりも、サーキット走り始めて1年もたってないお前の方がより吸収するもんあるだろ。もし早かったらドライバーになれるかもしれないじゃん笑」
だそう。

反論、相談の余地なく、その時点でもう確定していたようで僕としては突然参加が決まってしまったCTe。

カラーリングも適当に作り、いよいよ2012年ワンメイクレースカーにスリックタイヤデビューを果たします。
今乗ってる車から考えれば、ノーマルカーに毛が生えたくらいの車ですが当時の僕にはマジでレーシングカーでした。
そもそもGT-R自体速すぎるんだよね。

僕が参加した年はまだ公式戦にはなっておらず、あくまでも"スクール"という位置付けで、校長先生として鈴木利男さん、11年度生に藤井誠暢選手、12年度生には田中哲也選手が担当として付き、セッション毎に車載とロガーでドライビングのチェックをする、といったかなり手厚い体制のスクールでした。
これが走り始めたばかりの僕にはすごく効果があったことは言うまでもありません。
(この時車に積まれていたVBOXというロガーシステム、今WRTでも使っています。)

この年、毎回その日の最後に行われる模擬レースで、講師のお二人は最後尾からレース全体を見る役割をされていたのですが、僕から無理にお願いをして毎戦藤井選手とフロントローから走らせてもらっていました。バトル中の駆け引きやオーバーテイクのタイミングなどはこの頃に学んだものが今でも大きいです。

そんなレースを何戦かしていたある時、藤井さんから
「真面目にレースやってみる気はないの?」
と、僕からしたら全く考えもしなかった言葉をかけられたのです。

勿論、いろんなきっかけはあったと思います。
でも、本気でレースやってみようと思ったのはこの時の一言が一番大きかったのは間違いないです。

そこからは藤井さん、哲也さん、NOVAの森脇さんをはじめとしたそうそうたる皆様の助言やサポートを受けながら、2013年、どのようなカテゴリーに参戦していくかを考える日々が始まりました。
当時はまだFCJ(フォーミュラチャレンジジャパン。ホンダ、トヨタ、ニッサン三社の育成ドライバー等で争われるワンメイクフォーミュラ)があり、NOVAでもメンテナンスを請け負っていたことからFCJも検討しましたが、もしそこで成績がでなかった場合、大きな費用がかかる方向に進んでしまうリスクもあるため断念。

結局2013年はその年からJAF戦になることが決まったCTeに継続参戦する事と相成り、CTeを続けながら他のカテゴリーへの参戦を模索していく、という事で方針も決まり、いよいよJAF戦にすすむこととなるのでした。

長くなってしまったので今回はここまで!

次回はちゃんとSGTにたどり着くようにします。

ではでは👋



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