他人のために、まず自分から。

6年前の今頃、David Bowieが亡くなった。

その時にポストした内容をFacebookがリマインドしてくれたのだけど、個人的に気に入ってる文章なのでここに転載しておく。たいした内容じゃないし、イイネもコメントもほぼつかなかったのだけど、このポストをしたことはよく覚えていて、なんだかとても気に入っている。

デイビッド・ボウイが亡くなったことがタイムラインに次々とあがってくる。音楽好きな僕だけれどあまり聴いたことはなく、へぇそうなのか、くらいにしか受け止めていない。そんなにすごい人だったんだーなどと白けた気分でタイムラインを流し読みしている。
 
それでふと考えた。順当に物事が進んでいけば、いつか「Ken Yokoyamaが死んだ」というニュースが入ってくるはず。その訃報にふれたとき、自分はどう感じるだろうか。
 
考えてから、タイムラインにあがってくるニュースが違う色に見えてきた。
 
相変わらず、R.I.P. David、などと呟くような気持ちにはならないけれど、なんだか鼻の奥の方がツーンとする。風邪の予兆だろうか。
 
僕も死ぬ。
そのとき僕は
誰かの鼻の奥をツーンとさせられるかな。
それとも誰かの眉間をチクっとさせれるかな。
できることならば
誰かの口角をあげられるといいな。


気の向くままに文章を書いていると、他人の心に全く響かなくても妙に自分の心に響く言葉が紡がれることが、たまにある。そういう言葉は、なんだかとても大切で愛おしくなる。他の誰にも響かず自分にだけ響くという自己満足的な言葉こそ、存外自分自身を一番表現しているのかもしれない。たとえオリジナリティがなくとも、たとえ誰かのパクリのような文章でも、たとえありきたりな文章でも、「なんか好き」なものは、なんか好きなんだ。

そういう言葉が自分の口から紡がれていくのを、もう1人の自分が少し離れたところから客観的に眺めている時が、文章を書いていて一番楽しい時間かもしれない。めったに起こることではないけれど。



以前キャリアについて選びきれず、自分の理想や家族のことなど色々なことを考えすぎて吐きそうになるまで悩んでいた時、相談した学生時代の恩師に言われた言葉を思い出す。

「まずはどうしたら自分が一番幸せか考えなさい。自分自身が幸せじゃなけりゃ、家族を幸せになんかできるわけがないでしょう。」

結局まずは自分なのだ。自分が満足できれば、まずはそれでいい。自分が満足できるものを突き詰めていれば、きっと何かが起こるはず。何かを起こせるはず。

そんな自分をまた遠くから眺めて、自己満足に浸りながらワインでも飲む時間がいつかくるといいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?