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わたしを守る絶望という名の

長い長い一日が終わった。

社会人4年目。3社目の最終出勤日。朝、布団の中で行きたくないと友達にラインしたこと。挨拶のときに渡すお菓子の包装紙が、雨で湿気てしまったこと。各部署を回る。でも、喧嘩した大嫌いな上司の場所へは、絶対に顔を出さないと決めたこと。緊張して一日中お腹を壊していたこと。

公式から四十九日をふまえての文言が発表されたこと。そうかあ。四十九日かあ。だれのコメントも信じられない中で、公式からのメッセージはとても誠実で、彼の周りの人たちを想って泣いた。いつだってやさしくてまじめな人たちが、いちばんに報われますように。苦しみやつらさを他者にぶつけることなく、理性と品性を忘れない人たちから順にしあわせになりますように。

MIU404の最終回。どこまでもからっぽな久住が、それでも自分の生を諦めていないことが本当にわからなくて、たぶんそれは絶望してないんだと、結論付けるほかない。わたしはだって、全力で絶望しているもの。

久住の空っぽさは、ONE PIECEの魚人島編を思い出さずにはいられなかった。環境が生んだバケモノ。実体のない空っぽな敵。脈々と受け継がれた憎しみや怒りが、差別を身をもって体験してはいない彼らを作った。許すも許さないも、それは自分で決めることだ。しかし次世代に伝えるかどうかは選べる。奇しくも、連想していたシーンが含まれる65巻のタイトルは「ゼロに」だった。

アンナチュラルでミコトは、中堂さんに向けて「同情なんてしない」と言いきり、連続殺人犯に向けて「心から同情します」と頭を下げた。
犯罪を犯してしまった人と、犯罪を犯さなかった人のあいだには、大きな違いなどない。過去をさかのぼり、親がいないから、いじめをうけていたから、精神疾患があるから、だから犯罪を犯した?親がいなくても、いじめをうけていても、精神疾患があっても、犯罪を犯さない人はいるし、過去と紐づけて「だから仕方ない」みたいな結論で締めくくられるのはあまりにもお粗末で、罪を償うチャンスさえ奪われているように感じる。


絶望なんてしたくないし、感情なんてなくなればいいと思う日も少なくない。自責に飲み込まれて消えたくなることもある。

でもわたしをここまで守ってきたものは、絶望であり、自責であり、なくなれと祈ってさえしまう感情なのだということ。空っぽの久住がどんなに追い込まれた状況であっても己の命を優先していることを、どうしても理解できなかったわたしを、ここまで生かしたもの。

仕事を辞めた。これから失うかもしれないものもある。

ゼロになった。まっさらな今は少しこわくて、でもどんな道も選べるから、その頼りない自由さがわたしはきらいじゃない。

間違えても、またここから。

長い長い一日の終わりに、手に残っている感情はひさしぶりの希望だった。






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