しあわせをはこんで

最近自分が最も無意識的にいられる場所を考えている。無意識は良いことを運んでくる。意識していると意図した範囲、自分が想像できる範囲のものしか入ってこない。心をもっと柔軟にしたいな、というところで、自分の無意識について思いを馳せている。

私の無意識は直感的には危なくないが妙にやりたくないことにある気がする。自分自身を悪い人という前提に暮らすきらいがあって、良くあろうと頑張ってしまう傾向があるから、やりたくないことは別に何をしてもよかろうと思い気を抜ける。行きたくない大勢の飲み会とか、誘われて始めたバイトとか習い事とかもそうだ(私の人生のほとんどは誘われることによって成り立っている気がする)。誘われるのは責任を取らなくてよいから便利だ。

無意識的に生きるのがかっこいいので、やたらと対人関係に策を練る人が嫌いである。無意識が福を運んでくるので、相手が意識的に会話をしていると、こちらに福が舞い込んでこない形になり、関わるメリットがなくなる。のもそうだし、単純にダサい。キモい。意図して人に好かれることが出来るわけない。人間は動物なんだから会ったら大体その人がどんな人なのかわかるだろう。この前好きな映画の話をしている時にわたしがもらったサウンドトラックの映画あげてる人いてキモかった。私はその映画を全く知らないから私の友達に好かれるように働いてるだけだ。もっとカッコいい生き方をしてほしい。キモい。

私が考えて生きてると思ってる人キモい。私ほど考えてない人いないと思う。魂で生きろよ。ダサい。多くの人に思慮深いと思われてるけど全くそんなことない。私は魂で生きてるからかっこいい。その時の自分のトレンドに準えて見下している人が福を運んでくることはあまりない。大体自分の嫌なところがその人にも見えてもう縁が切れるところなんだと思う。

言葉がないところにも福は宿る。私は話すことが得意ではないし、無駄に言葉を使って疲れたくないのでなるべく黙っていたい。私が話すように質問をするのではなく仕向ける人間は、しょうもない。ゴミだ。あなたはあなたのやりたいことをやってほしい。人に興味がありすぎる人間は不愉快だ。死ぬ時は1人だとわかっていない。

無意識的に関わることが出来る人を増やしたい。いて当たり前だな〜みたいな感じで、嫌じゃない人を増やしたいな〜

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