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【夢】サッカーで都民大会出たいんだよなー

流石にサッカーの説明は要りませんよね?流石に。
1チーム11人の2チームで得点を競い、審判が3人以上で行うイングランド発祥のスポーツです。サッカーの楽しさは、また違う記事で勝手に書くとして、サッカーを始めた経緯から書こうかとおもいます。

2000年(平成12年)三宅島は噴火をしましま。厳密には溶岩などは流れてはいないのだけれど。それを受け全島民が東京などの本土に避難し、その解除が、なされたのは2005年(平成17年)2月でした。

時系列はこちらのホームページからご確認をお願いします。

私は2002年頃には、島の公共施設内にあった、脱硫装置が設置されていた復旧作業員用宿泊施設で寝食していました。そういった背景で、避難解除になった事が、とても嬉しかった事を思い出します。島内にいるのは、復旧作業員と役所の人間しか居なかった時を知っていましたから。

それでですよ。建設業だけではなく、色々な業種の幼馴染たちが帰ってきました。皆がお酒を飲める大人になって。なので週末になると、否、毎日に近いな。先輩の家に集まっては飲んでいました。このままだと飲んでばかりだなーと思って何かスポーツをやろう!ってことで、私が好きだったサッカーをはじめたのでした。
まずはチーム名を決めるのに1ヶ月近くかかり、決まってからもユニホームの色などを決めるのに1ヶ月以上かかりと、中々進まなかったのは飲兵衛飲み会あるあるでした。

日曜になると、当時はまだ土のグランドだった中学校で練習をしました。目的も無く。不思議なもんで、蹴ってると楽しかったし、その上、小中学生が勝手に集まってくるわけですよ。僕も一緒にやりたい!って感じで。そういう彼らも今では立派な30代になってます。時間を感じるなー。感じるなーで思い出したけど、小説は気持ちは書かないで、描写を書くって何かでみたなー。なので、これは私小説ではなくて、エッセイとかになるのですかね。

話を戻します。サッカーをやり続けた結果、サッカー仲間やサッカーの教え子も増えてきたわけですよ。そうすると、自然と大会や試合に出たい欲望がうまれるわけです。すると、渋谷区と伊豆諸島の親善大会に参加できる事になりました。もう15年ちかく出場しているけど、年に一回の本気の試合だと物足りないわけですよ。それでですね、八丈島の方と話をしていて教えてもらったのが表題の都民大会なのです。

都民大会の意義は上のWEBサイトをご覧ください。
でだ。サッカーの参加資格は少々壁がありまして。
他の試合に審判をださないといけない。
その試合に出すのも3級審判員だったり、試合日程が違ったらわざわざ上京しないといけなかったり。
この辺がとってもネックなんだよな。今現在は11人以上のプレーヤーがいそうだけど、来年度に居るのかも不安点ではありますし、出場条件がその区市町村に住んでいるかもしくは働いている人。この条件が島だとなー・・・

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