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1800人も居てビックリした話。

生まれも育ちも東京都の離島、三宅島というところでして。父親のルーツは福島県の方で、炭を作る講師として島に来たとか。母親の方はいつから島に居た家系の人なのだろう。聞いたことないかも。父親は、新島に本社があり、お兄さんが所長をしていた会社の土木作業員として働き、母親はお父さんの司法書士とかでバイトしてたのかな?それも知らないや。それも今度聞いてみよう。という両親の長子として生まれました。

小学生の頃は、柔道とそろばんを習い事としてやっていました。ま、その頃はそのくらいしか習い事も無かった記憶があります。柔道のほうは、中学生になっても地区の練習に行って、初段までは取りました。

そして、そろばんね。
実はそろばんの先生は母親でした。
別に変なプレッシャーとは無かったのだけれど、なによりズル休みが出来ないのが辛くて。高学年になり友達と遊んでいても、ズル休みせず行かないといけない訳でして。

当時のウチのそろばん塾!?は、1学期毎に全国的な試験を受けさせていました。自分自身の初めての試験は1年生の3学期でした。緊張した記憶はない中、8級を受けました。

結果は、みとり算・かけ算・わり算とも100点満点でした。満点取るとシール貰えるの知ってる?俺、そろばんに貼った記憶あるなー。そして、新しいそろばんを買ってくれた記憶も。

それ以降は、2年生で6・5・4級と受かり3年生で3級を・・・

3級は最後の試験になる5年生の3学期までずっと受け続け、やっとの思いで受かりました。何故5年生でそろばんが終わったかというと、弟が出来て母親がおやすみしたのでした。(ホッ)

で、なんだっけ?そうそう。そろばんやっていたから、計算早かったり、算数・数学が好きだったのですよ。なので、他の誰よりも負けたくない一心で数学は勉強したというより簡単だなーと思っていました。実際100点ばかりだったし。

他の教科は嫌な分、頑張った感というか頑張りましたけどね。特に国語は。国語の先生が、漢字の練習をしてきたら試験以外の縦軸というか、二つ目の軸を作っていて評価してもらいました。私ね、コツコツやるの案外好きなたちでして、常用漢字は中学年代で3周くらい書き取りをしてます。亜あたりからはじまって。

そろそろ結論方向に行きたいのですが、何が言いたいかというと。

昔は頭良くて、小さな島から都内の高校に行っちゃうぞ!みたいな感じだったのですよ。他の要因もあったのですがね。

当時は『ビーバップハイスクール』の終わり頃の時期でして、島の歳上の先輩・高校がめっちゃくちゃ怖い時代でした。次男坊とかだと、『お前、あの先輩の弟だろ!』的な猶予があるなか、長子はね。分かるでしょ?的な。

そうすると東京というか、本土の高校を目指すわけですよ。あれ!?結構文字数足りなくなってきたな。

続く。

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