文化と感性のアップデートはどこまですればいいですか

ここ最近、自分の変化に驚いたことがある。


私は物心ついたときからアニメや漫画に触れており、思い込みがちな性格もあいまって周りの友達よりそれらにのめりこんでいた。

順調に思春期に突入。同郷の友も増えていき、オタク文化に没頭している自分が一種のアイデンティティになっていた。


しかし社会人になり少しずつ変化が現れた。学生の頃と違い年代も考え方も違う人と接する機会が増え、次第にそれらの趣味から足が遠のいた。

1シーズンに1~2本のアニメを追い、漫画も新規をばんばん買わず、月刊誌の単行本を買うだけ。絵やコスプレはなおさら機会が減り、ネット上の友第もTwitterで見かけるだけで交流はなくなった。


趣味以外の人との交流で、今まで趣味だけで占めていた自分の意識が、外部から新鮮な世界を得ることで「自分の内面」に向けられるようになった。端的に言うと自分を見つめることが増えたのである。


日々直面する場面に自分は何を感じ、その感情はどこからきているのか。対処に困ることが起きても「自分はどういう人間なのか」を知っていることで、その場にふさわしく、且つ、自分にかかるストレスを最小限に抑えながら行動できる機会が増えた。感情に振り回されていた10代の頃に比べればだいぶ生きやすくなったと思う。振り回すのも振り回されるのも結局自分なので、はたから見たら変化はないのだが。


しかし同郷の友は少し寂しそうにしていた。いまの私のことも好きだが、当時の趣味へのポテンシャルを知っている人からすれば大人しくて仕方ないだろう。どちらの自分も私であることには間違いないが、このまま流行を知らずにいくと老害まっしぐらなので、配信アニメをみることにした。


いつも洋画邦画、ドキュメンタリーを配信しているコンテンツでオリジナルアニメをつけた。そのコンテンツでたびたび見ていたオリジナルアニメは攻めた内容が多く私が気に入る作品もたくさんあった。


荒廃した世界で化け物と戦う青年と、家族を化け物に殺されて天涯孤独となった少女の物語。青年は戦いの日々で失いかけた人間の部分を、少女とのたわいのない触れ合いで取り戻していく。


あらすじはそんな感じだった。今まで見てきたアニメに似た設定もありそうだな、なんて思いながら見始めた。


私は見るのを途中でやめてしまった。30分アニメを2話でやめた。1時間のドキュメンタリーやドラマを寝ずにぶっ通しで見るのに、そのアニメはやめてしまった。集中力以外に気になるところがあって、どうしてもひっかっかたのだ。


その少女は青年と行動しはじめるのだが、その少女の扱われ方がどうしても気になった。

周囲の仲間たちから「彼のこと好きなった?イケメンだもんね」と言われたり、少女が働く店で客たちが「かわいい女の子がいるといいよね」と話したりする。

ちなみにその少女が働く店のマスターはワンピースを着た筋骨隆々の女性だった。マスターは男性名で男性声優があてられているので、おそらくは元男性か現男性なのだろう。客たちは少女をそう表した後にマスターと容姿を比較するような発言もしている。


何が言いたいのかというと「10代前半の少女を『大人の女性』としてみること」「少女や周囲を含めた容姿への発言」がどうしても受け入れられなかった。

フィクションにこんなに拒否反応を起こすのはどう考えても過敏だし、私のこの考えを振りかざしたら文化的な業界が死んでいくのはわかっている。

どうして目につくのか考えたが、ここ最近見ているドラマやドキュメンタリーは海外製が多く、どんなジャンルであってもここまではっきり容姿に言及している描写を見かけなかった。(そのアニメも少女を容姿的に褒めているが、歳の離れた客たちが10代の少女に話すと少し受け取り方が変わってしまった。)


このアニメ、日本のおじさんたちだけでつくってないか?差別に差別を上書きする考えだが、20代女性としての自分が悲鳴をあげている。ここらへんの描写は2010年代に置いてこないと、古くて、サムい。年代がどうであれこれで「受ける」「いける」と思っているなら日本終わっているのではないか?

人種や育った環境、年齢や性別は武器にはなるが、それを貶める項目にして人をいじるのは気持ちが悪い。ましてや作品に盛り込まなくてもいいと思う。少女が美しいことは素晴らしい作画技術で感じるし、少女が青年に好感を抱いていることだって描写や表情でわかる。いちいちセンシティブな内容をちゃかしに使うな。日本のアニメなら引き算できるだろ。


もうここまで書いてだいぶわかってきたが、結局20代女性の私が感じることは、生まれ持って抱くようになった感情ではない。私が少しの間趣味を離れてみてきた世界と、自分がたまたまつけた作品のソリがあわないだけである。自分の受け入れがたいものが何かを、また一つわかってしまっただけで、配信停止しろなんて言うつもりもない。

ただいちばん危惧したのは、この描写を良しとした人間が一定数いることである。誰かをマイナスな言動で陥れてジョークとすること、少女を過度な目で見る表現。このくらいじゃ誰も傷つかないっしょ、と制作陣が言っている場面が想像できてしまう。


誰かが見るものは誰かに何かしらの影響を与える。私が今回気づいただけで自分が変わっていなければ知りもしなかった。でもあの描写を何も感じずに見ていても、「このくらいのジョークなら言ってもいい」「褒めているなら立場がそぐわなくてもいい」と感じてしまうのではないか。日本のアニメや芸能界にそんな場面はまだまだあるだろう。


これから先、こういった風潮は変わっていくのだろうか。もう日本のドラマやバラエティはほとんど見ていないけど、次回見たときに自分はどう感じるのだろうか。生まれた場所の風潮が合わないときは、どう生きていけばいいのだろうか、考えてしまった。