考えがまとまらなくて生きにくい

私は子供のころから想像力豊かで、良くも悪くも考えが頭の中を常に駆け巡っていた。

突拍子もないお話を作ったり、歌をつくったり、絵を描いたりしては自分の考えをアウトプットしていた。


大人になり、空想的なアウトプットはしなくなったが、この頭の回転の速さが仕事に生きることも多くなった。

物事に対し、頭の中でチャートを組んで最良な選択をし、その選択がとん挫した場合は、別の案を複数だしては提案していた。もちろん落ち着きもないのでミスや爪が甘い仕事ぶりだったが、その分をカバーしながらミスを修正できるようになっていた。


この思考力、決断力が、プライベートでは全く生かせなかった。私にとってプライベートの世界は完全な『感性の世界』で、答えのある仕事とは違い、自分のプライベートでは『空想的な子供の頃』のまま思考力がストップしていた。


大人になると当然子供の時分とは状況が変わる。意味不明な世界観を表現しても楽しいのは自分だけで、肯定的な意見はめっきり減り、思春期ごろから変り者扱いされることが増えた。またやっかいなのが、私は孤独がめっぽう苦手で、支持されないと心細くて仕方なかったのだ。

変り者は嫌だ、でも自分の世界が一番楽しい、自分の世界は普通じゃない、こんな考えが堂々巡りし、やがて『自分が自分に最も否定的』になった。孤独に耐えられなかったのである。


この『孤独』が私にとって、大変受け入れがたいものだった。しかし、変り者の自分を抑え込んでもそれは偽りでしかない。勇気を出して自分を出さないと、出会えるかもしれない真の支持者には出会えない。私は普通に合わせることに疲れ、職場を離れたりコミュニティを離れることが多かった。そのたびに『我慢ができない自分』と決めつけて余計に自分が嫌いになった。


しかし、単に本当に合わないコミュニティだったとしたら、仮面のまま生きる選択を拒否したとも考えられる。どうして周囲に合わせないといけないのか、(勝手に合わせているのだが…)自分が楽しければ孤独も辛くないのではないか。孤独が辛いのではなく『自分の心に無理をさせる』ことが辛いのではないかと思える。


明日、私はまた仕事を辞める。これでよかったのかと、いつまでも自分の止まらない考えに振り回されながらの退職である。しかし、確かに数か月前に自分で退職を申し出、耐えながらやってきたのは紛れもなく自分である。ここまで一人でやってこれたことをまずは誇りに思おう。誰がどう言ったって。