ほころぶ

おひる休憩 朝聞いたカネコアヤノの「さみしくない」をきいて きいた 自転車漕ぎながらブルートゥースのイヤホンできいた とてもよかった 言葉の一音一音が耳に響いて心の中にもじわじわと届いてくるような気がした お昼 お昼ご飯何を食べようかなと考えている時に かずの家までの間にあるスーパーマーケットのことを思い浮かべた そうしたら私はシモジマのことをしっかり思い出した シモジマがあるじゃないか あったじゃないかと あれ選び放題じゃないかと 数カ月ぶりにいくシモジマは子供の時に行った 雑多な整頓されていない空間はなくなっていた 整頓されているシモジマはちゃんとよかった 私はよかったことに対してよかったとか悪かったとか そういうこと よかったわるかったと シモジマの整頓されていないことがよかったからといって何になるんだろうとか そういうことを考えてしまう 環境 あぶらえのおはぎとかずの為に味ご飯を買った ほんとうはもっといろいろ買いたかったけど 以外と作られた様々なお惣菜というのは値段がするもので 私は欲張ることなく 買ったひとつやふたつを足らしめようと思うのであった かずの家で最近おひる休憩に来るたびに飲んでいる珈琲を消費していることで 珈琲豆がなくなり 実家においておいたとり珈琲さんの豆を補充する 実家にいくと祖母を病院へ連れて行き終えたおじがいた 玄関の靴をみて中に入るかどうか躊躇うが、珈琲豆を入手することの方が大事だったので足を踏み入れる 家にいくと机には散らかったきざみのりと洗いものがシンクにあった 一瞬この状況をこのままにしてどこかほかの場所へとも考えたが、ここで食べることの方がよかったので 私は粛々と洗い物をする 洗い物をしていると自分の気持ちは落ち着いてきて 自分自身に洗い物ができる余裕があることにほっとする 珈琲豆をひいて 買ってきたおはぎを のせようと思っていた 絶対似合う 自分が買ったわけではない器にのせる 私はだんだん満足してきて 自分の気持ちが訪れたシモジマやたべたあぶらえのおはぎは絶妙な塩加減とか 白いごはんやいくらか練りこまれたもち米が丁度よいこととか 目の前の空間の中で食べられる おはぎとか 挽いた豆で珈琲をいれるとぷくっと泡が盛り上がり ぷくーとしてきたこととか そういうことでわたしの心はどんどんほころんできて わたしは ほ こ ろ ん だ

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