臨死体験

SNSを運用する事と愛用する事について少し

運用していく事には神経と思考、多少の労力を費やすもので
愛用していく事は癒しだとか楽しみを見出だすものかなと

運用していくと日々を義務的に追われて行く代わりに某かの利益につながるもので
愛用していくと日々の余暇を豊かなものにしていく代わりに幾らかの怠惰を貪る

そして仮にトラブルが発生した場合
このそれぞれのメリットデメリット、求める在り方に大きな違いが生じるもので

運用の場合は徒労が果てしないとは思いますが切り替えて気が重くても別に一から始める気持ちになるものかなと
愛用の場合はその入り込みの深さ次第かと
浅ければ残念な気持ちでボチボチ新しく始めるかグッタリして辞めてしまうものではないかと

しかし、これが深い場合
神経も精神も思考も労力も何もかもを根こそぎ持っていきます

これが依存状態なのかなと思います

運用も愛用もSNSに「依る」利益を得るものであると思いますが
金銭や人脈など経済的要素を得る運用と
癒しや楽しみなど娯楽要素を得る愛用と
同じ「ナニカ」を得るものでも得たものの種類次第で途絶した場合の影響が変わるものかなと

精神的に日常に取り込まれたことは擬似的な現実とオーバーラップしてしまい
思考や情緒に影響を及ぼしやすくなるものと思われます

ネットワーク上、仮想空間で形成された社会からの退席は現実からの退席をシミュレーションする形になり
自分が不測の自体で居なくなってしまった場合の世界を擬似的に垣間見てしまい
自分の関わる社会との値を意図せず体感してしまったりします


何故このようなことを考えたのかと言うのは前回の記事でも触れた自身の利用するSNSの不具合で何も干渉出来なくなった事に起因します
見えない、聞こえない、話せない幽霊状態でした
不具合を表記するべく記述を試みた名前やプロフィール部分もバグって消えてしまい他者からどう見えていたのかも不明でした

非営利的な在り方の関係値を観測してしまい試行錯誤で復旧出来た現在でも退席したままの気分でありますが


今回の件に付随して情報のインプット、アウトプットについても後日記述しておこうと考えています

なんか得な気分になったから支援してやろうなんて奇特な方がいらしたらこちらへ