弟の死、父の顔

もう25年ほど前の話だが、私が20代前半の頃、今でも忘れられない衝撃的な記憶と残像が残っているシーンがある。
3年前に他界した父のある朝の顔だ。

当時大学生だった私は、友達とスキー旅行に行っていて、家に帰ったら、玄関で母が項垂れながら、「○○おじちゃんが死んじゃったの。自宅で自殺しちゃったの。お父さんが一人でおじちゃんの家に行っていて、今晩は泊まってくるって言ってるから、明日の朝、亮一、車でお父さんの所へ行ってあげてくれる?私は怖くて行けなかったの、怖くてそこに泊まるなんてできなかったの。」と。

父は5人兄弟の長男で、父の弟、次男が自宅で自殺してしまったというのだ。

信じられなかった。無口なおじさんで、でも異常なほどに優しいというか、いつもかすかに微笑んでいる感じで、何を考えているのか分からない不思議なおじさん。ずっと独身で、何が楽しくて生きてるんだろう、くらいに思ってた。

私がスキー旅行から帰る前日に、おじさんの近所の人から父に電話が入ったようで、「少し前に家の前で近所の子供達が遊ぶのを笑顔でじぃーっと見つめていて、なんか変だなぁと思ったら、それ以来姿を見かけてないんです。車2台もいつになく綺麗に止めてあり、雨戸もずっと閉め切ったままで…。」

父はすぐに嫌な予感がしたらしく、車ですぐに弟さんの自宅に駆けつけ、ハシゴを掛けて2Fに登り、窓ガラスを割って室内に入ったらしい。1F玄関の鍵が開いていたようなのだが、パニック状態で必死だったのだろう。

そこにはトイレで首を吊って死んでいる弟の姿が…こんな無惨な姿は誰にも見せたくないと、床に下ろし、きれいに身体を拭いてあげ、それから警察に電話をしたとか。

これは全て母から後で聞いた話。
父には一切この時の話は聞けなかった。
いや聞かなかった。

その日は警察への対応をし、その晩、父は一人で弟の家に泊まった。

翌朝、私は車を走らせ、父が一人で居るおじさんの家へ向かった。緊張でいっぱいだった。どんな顔で出てくるんだろう、何て話し掛けたらいいんだろう、何を話したらいいんだろう、笑顔の方がいいのか、深妙な表情の方がいいのか。

震える手で玄関のベルを鳴らした。
扉がガチャっと開くと、そこにはいつもと変わらない父の笑顔があった。かすかに、泣きじゃくったのかなという目の腫れぼったさは感じられた。
「おー、亮一!よく来てくれたなあ。遠かっただろう。道はすぐに分かったか?……」
その言葉と、その瞬間の父の顔以外には、その日一日の記憶が何も無い。

かろうじて思い出せるのは、本棚とトイレの映像。おじさん、こんなに本が好きだったんだ、とその時初めて知った。
トイレに入るのは怖かった。父に「もうきれいにしてあるから大丈夫だよ!」って言われて入った気がする。
ここでおじさんは死んだんだ、どこにどうやって、どんな姿だったんだろう、でもそんな事は父に聞けなかった。

死後しばらく経った姿、弟の死体、一人でそれを後始末できるこの人はいったいどういう神経してるんだろう、この人、人間の感情があるんだろうか?と父に対して感じたのを覚えている。

葬儀で見たおじさんの遺体は、やっぱりうっすら微笑んでいるような、そんな安らかな顔だった。見るにも無惨な姿は、この世で父しか知らない。

そんな父が3年前に亡くなり、父の遺体もまた安らかな顔だった。
父は最期まで母に寄り添われ、本当に良い人生だったと思う。俺もそういう人生を送りたい。強いて言えば、俺がもう少し父に心を開き、親孝行してあげれば、もっといい人生になったんだろうな。

これからもできるだけお墓参りに行くようにするね。

#家族の死 #父の顔 #身内の自殺 #残された家族

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