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何が大切であるのかということ、気づき

こんにちは。
気づけば新年度も2週間を過ぎました。
しばらく更新ができていませんでしたが、その間にも♡やフォローをいただきました。
本当にありがとうございます。

こちらの地域の桜はというと…
葉が少しずつ見えてきましたが、残っているピンクの花びらと絶妙なバランス。
桜餅のような色合いです🌸

前回は特養で働き始めて1年弱の私。
働きかたや考え方に、やっと違和感を感じ始めた所でした。

その日から、飯島さんや、今まで仕事が遅いと言われてきた先輩方の動き方、介護記録…
今まで以上に観察するようになっていました。

入居者の方々も、もちろん疾患がある人間です。
日々多少の上がり下がりはありますが、やはり落ち着いた日が多い。
意識して記録を見返すと、そんなことはすぐに分かりました。

暴言暴力の激しい藤枝さんの排泄介助から、傷一つ負わずに戻ってくること。
トイレ誘導の拒否が激しい大岩さんを必ず誘導すること。加えてパットの装着も綺麗。
103歳の小さな小さなカズさん、普段全く話さないカズさんと楽しそうに会話していること。

その他挙げられないほど。
少し意識して見れば、あまりにも分かりやすいことばかり。

そのような動き方をしている飯島さんをはじめとしたスタッフがいることに、なぜ気づかなかったのか…
そんなことは考えなくともすぐに分かりました。

その間に、自分の"業務"に必死だったから。
とにかく"早く終わらせること"に必死だったから。
"流れを乱さずに進めること"に必死だったから。
それらが上手く進まないとイライラして、冷静にまわりを見ることができなかったから。

そして、"業務"として流れ作業のように介助を進められていたのは、見えていない部分で"大変と言われてしまう方々"の対応をしていたスタッフがいたから。

当時、スタッフが記録等を行うスペースは「寮母室」とされていました。
古い施設でしたので、昔々の呼び名のまま。
オムツ交換やトイレ誘導、水分補給まわりが終わると、少しでも時間が空けば寮母室へ戻る長谷川組。
何をしているかといえば、記録をサクッと終わらせて主なのはお喋りでした。
一方、自分たちのお昼休憩や排泄記録をしにくる以外ではほとんど寮母室へ戻らない飯島組。

それは仕事に時間がかかっているだけでは、決してありません。
空いた時間は、フロアで何かしらをしながら入居者の方々と関わっているのです。

終の棲家(ついのすみか)とされている特養にいらっしゃる方々は、この場所が自宅でありほとんどは最期を迎える場。
私たちが家で暮らしていることと同様に、暮らしの場。
そんな中に混ざって冗談を言ったりしながら、ある時には文句を言われたりしながら、楽しそうに関わりを持っている飯塚組のスタッフと入居者の方たち。

大袈裟に言えば家族のように、私の目には見えました。


「特養はとにかく時間との勝負、流れ作業しかできない場」

働き始めてすぐに、会社が行かせてくれたヘルパー2級(現初任者研修)講座で、講師からこのように聞いていました。
(今でこそ、きっとその講師の方とは考え方が合わないだろうなと感じております😅)
何も知らない私はもちろんそれを鵜呑みにしていたわけですが…

現場で働き始めて1年経って、ようやくそれが少し、いや大分間違っているなと感じたわけでありました。

もちろん時間は大事です。
でも、わざわざ急いで終わらせる必要はない。
業務としては、許容範囲内に終われば良い。
自分たちのお喋りタイムのために早く終わらせるという事は、なんと愚かだったのか…
自分たちよりオムツ交換に時間がかかる=遅いというのは、あまりにもこちら本意であったこと…

排泄介助、入浴介助、食事介助…
物理的な介助だけが介護ではない。

物理的な介助をしながらも、その人その人を理解して関わる。
人柄やこれまでどのように生きてきたか…
一人に対し、一つの介助を行うには、10の理解をしなければならないこと。

飯島組の観察をすることで気づいたことがたくさんありました。
それと共に、自分の愚かさが恥ずかしくて堪らなくなりました。

遅くなんかない、感じた時からスタートすれば良い。
自分にそう言い聞かせ、一人一人に寄り添った対応ができるよう精進しはじめた私でした。

かといって必要以上の時間を一人一人にかけることはできません。
オムツ交換の数分、洗髪中の数分、水分補給の数分、配膳の数秒…その数秒、数分に入居者の方一人一人へ向けた声かけを行うようにしました。

たかが一瞬、されど一瞬です。
数秒、数分を毎回、毎日積み重ねることで、一人一人がこれまでどのように生きてきたかの背景までをも理解できるようになっていきます。

そして、「貴方の声が聞こえただけで安心する」
お話できる方からは、このように言っていただけるようになりました。
その時は、本当に幸せだったのを覚えています。
私は大して良い人間ではないのですが、「あー嬉しい、幸せだ〜…」と、心から感じました。

その時から、私がこの仕事を続けているうえで今も思い続けていることは単純です。
「貴方と出会えて良かった。」
そう思って、感じてもらうことです。


私がこのような気づきから仕事の仕方も変わっていくのですが、入職してすぐ親ワーカーになってくださった長谷川さんは、この後1年程で退職されました。
その他、長谷川組と呼んでいた先輩方もあれよあれよという間に退職していきました。


noteを書き始めてから、ここまで…

この仕事を始めたての時の私。
どのような人間だったのか、そしてどのようなきっかけで変わり始めたのかということを書きたかったのですが、大分ギュッとまとめてしまいました。
とても分かりづらいうえに、「え?そんなことも分からなかったの?」と思われてしまう人間でした。
そのうちに、私がどのような想いを抱きながらこの仕事をしているのか、ということをもっともっと分かりやすく記録していきたいと思っております。

高飛車な言い方をしてしまいますと、私と同じような考えを持っていらっしゃる方々を集めて、いつか一緒にお仕事をしたい…という願望もございます😳!


ここからは、私の想いの他、この業界あるあるや、面白エピソード、そんなことを思いのまま書いていけたらな…と思っております♩

ここまでお読みいただき、ありがとうございました😊

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