教育とは子供が自由になるのを手助けする営み

(龍論 2011/12/10 - 13:01)

さて今回は教育とはなんぞやと言うことと、それをふまえての教師の在り方を書いてみたいと思います。(教育は僕がかなり強い関心を持っているテーマなんです。)

結論からいくと、タイトルにもある通り教育とは子供が自由になるのを手助けする営みだと思います。

「子供は自由でいいね。」といった言葉はとても耳馴染みのある言葉ですが、僕は逆だと思います。子供ってもの凄く不自由な存在です。体力的に出来ないことも多ければ、経済的に買えるものも限られている。行動が許されている範囲もかなり限定的です。(ちなみに最も不自由な存在は赤ちゃんです。彼らは食べることも、動くことも自分ひとりの力ではままなりません。)

その子供が自由を勝ち得ていくプロセスが「成長」と呼ばれるもので、教育はその成長を手助けし促進するための行為です。

例えば体力的な自由度を高めるための教育が体育、言語コミュニケーション的な自由度を高めるのが国語・英語、論理・数量的自由度を高めるのが算数・数学です。

なぜ子供に対して教育という外部からの働きかけが必要かというと、子供は往々にして自分が多くの面で制限されている(=不自由である)ことを自覚できていないからです。そもそも無い自由度に対して子供が自分でその必要性に気づくのはなかなか困難です。ゆえにその自由度を持っている存在(=大人)が教えてあげる必要があるのです。

一方で教える側は自分が教えている内容を修得することで、どのような自由を勝ち得ることができるのかを子供に明確に説明できる必要があります。数学の問題に嫌気が差した生徒が発する「こんなのが解けて何の役に立つの?」という問いに堂々と答えられなければいけません。教育の目的は知識を詰め込むことではなく、子供を自由にすることなのですから。

更に言えば、教師には自分自身の自由度が高いことが求められます。その方がリアリティを持って自由を獲得することのメリットを伝えられるからです。子供に人気のある教師というのは、得てして自由度が高い教師ではないかと思います。自由度が高いからこそ、子供は「自分もそうなりたい」と思い慕うのです。逆に人気の無い教師はまず自身の自由度の低さを見直すべきでしょう。子供に目標とされるような自由度を獲得し、それを子供に伝えることができれば自然と子供も慕ってくると思います。

ちなみに教師ができるのは子供の自由度を高めるところまでです。その先、その自由度を子供がどう使うかは子供の自主性に任せるべきでしょう。

というのが僕の考える教育の定義、及び教師の在り方です。なにぶん素人考えなので、どこまで有効性を帯びているかは分かりませんが。指南頂ける本職の方いらっしゃいましたら是非ご連絡下さい。


【2020/12/16 追記】
これは龍論トップクラスの名文。一言一句余すところなく今でも同様に考えています。

当時から変わったことといえば、2014年の教育実習を経て晴れて教員免許を取得し、一応教育のプロとなったこと。教員として学校に就職することはなかったですが、その後プライベートの英語講師や、パソコン教室を経営するなかでも常に「いかに子どもの自由度を高めるか」を意識して活動してきました。

あと、オンライン家庭教師としてみっちり教えてきた甥っ子が最近志望大学に無事合格。よかったよかった。

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ムダが大嫌い。 整理整頓、効率化が大好き。