それはまだ「10月10日が体育の日」だった頃。
ある年の10月10日、祝日のため学校は休み、僕は母に連れられて気がつけば知らないテニスコートの前に立っていた。
そこは決して親子で遊べるようなテニスコートではない。
そもそも当時の僕にテニスはまだ早いし、そこは「ちょっと良いテニスコート」だった。
母はどうしてもいつかここでテニスがしてみたかったのだろう。
テニスコートに集まった大人の女性たちは僕の知らない顔ばかりでそれぞれに子どもがいるが、子ども同士もお互いが、「誰、君?」状態。
よく知らない仲間内でもいいからここでテニスをしてみたい、そんな欲望の塊おばさんたちが子どもたちそっちのけで快楽テニスを始めた。
僕ら子どもは子どもで何となく打ち解けて遊び始めるので、そこら辺にある廃材を積み重ねて遊んでいた。
子どもは皆天才だ。
さっきまで知らない者同士、見たところ年齢もバラバラ、なのにいくつかの廃材を使うだけで早くも笑顔になれる。
廃材を積み重ねただけで、どうしてこんなにも面白いのか、今となってはよく分からないが、僕は少しずつ嫌な予感がしていた。
積み重ねた廃材がグラグラしているのだ。
子どもが嫌な予感を察知した瞬間など、大体時すでに遅し、僕に向かって廃材が崩れ落ちてきた。
子どものために作られた安全な積み木と「廃材」の違いは、切れ端が危険かどうかだ。
廃材が崩れ切った頃、なんか腕がヒリヒリするなあ、と自分の前腕を見ると、腕の骨が少しだけ見えていた。
周りの子どもたちも、「この子の腕、どうなっちゃったんだろう」と不思議そうに見ていたのを今でも覚えている。
事の重大性を、まだ分からないような子どもたちだけ置き去りにした無責任な大人たちのいるテニスコートにそのまま僕は歩いて行った。
近くにいる大人から順に、僕の腕を見て悲鳴が上がり始めた。
みんなテニスをやめ、それどころか救急車を呼ぶ人、何がどうなってこんな事になったのか事情を聞く人、皆それぞれだが僕の母がその時何をしていたのかは記憶にない。
生まれて初めて救急車に乗って着いた病院の待ち合い室にいた他の患者は、僕以外はほとんど体操着姿の子どもたち。
10月10日、運動会の最中に怪我をした子どもたちが続々と運ばれる病院で、骨が見えてしまっている私服の僕が一番の怪我人だったようだ。
運動会に危険な廃材積みの競技なんて存在しないから、そりゃそうなんだけど。
結果、僕は七針縫う怪我をした。
針数(縫い数?)では、今の所僕の人生最初で最大の大怪我が、忘れもしない10月10日体育の日。
大変だったのは、この怪我の通院治療だった。
祝日の救急搬送だったため、自宅近くの病院には受け入れてもらえず、僕は隣の隣町くらいまで飛ばされていた。
電車で真っ直ぐ行ける場所でもなく、せっかちな都会人が苦手とする「時刻通りに来ないバス」に乗らないと辿り着けない病院。
僕が小さいため、母は毎回付き添わないとならないし、たった数回の通院だが、毎回ずっと母は僕にネットの誹謗中傷みたいな言葉の暴力を振るっていた。
ちょっと良いテニスコートで遊んでみたかった代償がこれ、そりゃ少子化も進むだろう。
子育ては大変だ。思い通りにリフレッシュもままならない。
大きな怪我の痕や古傷というものは梅雨時に痛むと聞くが、今も残っている僕の傷痕は、特に痛みはない。
普通の皮膚とは違って乾燥しやすいのでハンドクリームが欠かせないのは面倒だけど、見た目はタトゥーみたいでかっこいい、しかもサウナやスーパー銭湯に入れる、おまけに太陽光や照明に反射して光るのでネタになる。
僕にとっては面白いものを得た10月10日。
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