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日本側ハイライトに学ぶ

僕はここ10年ほど、NHKで特に夏の時期に放送される戦争の記録、のようなドキュメンタリー番組を見ている。

僕の祖父2人は当時招集される年齢に満たなかったため、昔から身内に「戦争の内部事情」を知る者が極端に少ない。

教科書に載っていた戦争の話はどこの部隊で何と言う名前の人が指揮を、などと具体的に書かれていなかった記憶に比べ、ドキュメンタリー番組では情報量の多さと初めて知る生々しい戦争の実態を知ることができる。

僕が思っていたよりも日本各地では様々な戦争にまつわる仕事の種類があり、専門知識がない人が舵を取ることになり訳が分からないままとにかく突き進むことが正義という国民性を貫き、その結果訳が分からないまま敗戦に突き進んだ、というのが僕の中の戦争(日本側)ハイライトだ。

せめて国内では一体感を持って日本人同士が連携しているのかと思いきや、そういえば連絡手段もろくにない時代に、ましてや国のプライドや命に関わるこの3年間の「禍」の何倍も上回った逼迫した現場で、各地の偉い人がそれぞれの私利私欲に走れば上手く行くはずがない。


遠くの親戚より近くの他人、なんて言葉もある。

僕が実家に住んでいた頃、夏休み冬休みにしか会えない実の祖父母より、近所のおじいちゃんおばあちゃんとの方が確実に心が通っていた。

(情や思いやりの大きさ、僕にとって節目の時の祖父母からの言葉は重たく、心が引き締まりありがたいものだったが。)

昔の時代というのは、隣同士家も繋がっているし、近所の人達みんなが顔見知りで、何かあれば話をしたり、時にはケンカをしたり。

それが「遠くの他人」たちとも連携して世界と戦えと言われてうまく行くはずがないのは、今を生きる僕でも分かる。

勝てっこないんだから、やらなくて良い。

しかしそうなると、やらないよりはマシ、無駄だと分かっていても足掻いた分の経験値が、みたいな意見や価値観も少なからず出てくる。

ああ、だから戦争や核の保有は世界から消えないんだな。

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