24J三十 あたしんち記憶

クラシックの「威風堂々」が好きだ。
好きなんだけれど、あたしんちのエンディングで使われているせいで脳が「来て来てあたしんち 来て来てあたしんち」と勝手に歌詞をつける。

そして一度紐づけられたが最後、もうそれでしか再生出来なくなる。
これ脳のバグでしょ。

純粋なクラシック音楽として「威風堂々」を聴きたいのに、歌詞に留まらずあたしんちのエンディング映像まで浮かんでくる。
最悪過ぎる。
いや、別にあたしんちが嫌なわけでも「来て来てあたしんち」が嫌いなわけでもないんだけれど。

「来て来てあたしんち」の方を最初に知ったことが痛手だったと言わざるを得ない。
せめて逆なら。

一度脳の「来て来てあたしんち」を記憶している部分だけをリセットして「威風堂々」を聴いてみたい。
絶対感動するし、もっとクラシックというジャンルを好きになれていた気がする。





威風堂々だけでなく記憶と紐付けられているクラシック音楽って沢山ある。

「新世界より」とかは春雨のCMか何かに起用されていたせいで聴くと豪快にそれを頬張る人間の顔が浮かんでくる。

「天国と地獄」は小学生の頃の運動会のリレーに紐付けられている。
人前に立つのも苦手で、走るのも得意じゃ無かったから運動会という行事がとても嫌だった。
あまり思い出したい記憶では無いのに聴くとその瞬間を思い出してしまう。

「モルダウ」「魔王」なんかは音楽の授業で強制的に聴かされ、歌わされたせいで良い印象がまるでない。
他者に強制される形で植え付けられた「良さ」に嫌悪を覚えるからだろうか。


けれども最近、それらを引っくるめてもクラシック音楽には魅力はあると思える様になった。
歳をとって希釈されて来た面もあるのだろうけれど、クラシックの持つ荘厳さ?みたいなものは他の音楽ジャンルには無い良さだよね。
一度ホールで聴いてみたい。




これ書いてる時にふとあたしんちのオープニング曲も好きだったなと思い、YouTubeで検索してみた。
曲名が「さらば」だと今になって知った。
「さらば」って。
日常系アニメのオープニングが「さらば」。
凄いな。

曲や映像の内容自体にノスタルジーが表現されていて良い。
当時ですらどこか懐かしい気持ちになって観ていたことを思い出し、それにもノスタルジーを覚えた。二重のノスタルジー。


オープニングの映像の後半から一部のモブに色がついて、代わりにあたしんちの家族達がモブの色と同化するという表現がされる。
これ当時は何も思わなかったけれど、とても良いな。
あたしんちの家族も大きな社会の中にある日常の一部で、あたしんちはそれを切り取って作られた作品である事を上手く表現出来ている。

あたしんちはめちゃくちゃ面白い!って感じで観ていたアニメでは無かったとと思うけれど、この作品特有の素朴さみたいなのに惹かれていたのかな。
もちろん素朴と言っても、けらえいこ先生やアニメスタッフの作品を良いものにしようというエネルギー?は感じ取る事が出来る。
改めて良い作品だな。



伊坂幸太郎の「777」をようやく読んだ。
「マリアビートル」の主人公だった天道虫が再登場する。
聞いたところによるとブラッド・ピットがマリアビートルの続編読んでみたいなと言ったことから執筆されたらしい。(ソースは不明)
まあ、真偽はどうあれ天道虫の物語が読めるのは嬉しいので、ここはブラピに感謝しておく。


読んだ感想はエンタメ!って感じ。
文字媒体でここまでのエンタメ感が出せるのは伊坂幸太郎だけでは無いかな。
とにかく読んでいてハラハラするというかワクワクするというか。
読む手が止まらないとはこの事かという具合。

マリアビートル以上に多くの殺し屋が登場するので覚えるのが大変。(特に六人)
でもどの殺し屋も個性的で、読んでいて本当に楽しい作品だった。



ブレット・トレインも観たけれど天道虫とブラピのイメージが上手く結び付かなかった。
それを踏まえても面白い作品ではあったけれど、日本人のキャストで原作通りの映画も観てみたいとも思った。(どうやら舞台版はあるらしい)

もしくはアニメでもいいので、映像化して欲しいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?