24J十五 冗談に捨てる
ここ最近、僕の町にはみかんの皮がよく落ちている。
駅への道だったり、会社までの路地だったりとそれはもう至る所に落ちている。
おそらくモラルのない人間がみかんを食べながら歩いていて、残った皮をその辺に捨てているのだろうと思う。
みかんの皮なら捨てても良いか。
と思ってるのかな。
コンビニおにぎりのビニール包装を捨てたりするよりは抵抗感が無いのは分かる気がしないでもない。
みかんの皮ならいつか自然に還っていくでしょ的な考えがあるのかも。
(もちろん捨てていい理由にはならないし、当然どちらも良くない)
夢野久作の「冗談に殺す」には犬を残忍な方法で殺害する描写がある。
僕は比較的動物の残酷なシーンに耐性はある方だけれど、見る人が見れば耐えられるものではないだろう。
これは僕の生活に犬がなかった事が影響しているのだと思う。
僕が犬を飼っていたらそんな描写は見るに耐えないはず。
殺されるのが鳥の方が僕は嫌だな。
これは単純で昔、鳥を飼っていたから。
だからといって鳥じゃないなら殺していいよ。とは当然ならないけれど。
許容のボーダーラインは人によっては違う。
その人が生きてきた時間がその人の人格を形成しているのだし。(諸説ある)
ビニール包装は駄目だけれど、みかんの皮は良い。
鳥は駄目だけれど、犬なら良い。
そういう個人だけの物差しってあるから、自分の感性だけを押し付けるのは良くないよね。
自分は良くても他人は駄目な事なんていくらでもあるんだから。
何度も書くけれどゴミは何でも捨てるのは良くないし、鳥でも犬でも動物を故意に殺すのはいけないのは前提として。
自分とは違う他人を許容出来る様な人間でいたい。
そう思っていてもこれが中々難しい。
(先の話だと極端かもしれないけれど)
滅私で生きていくのもまた違う。
主と他の折り合いをどうにか見出して、平和に暮らしていきたいよ。
美容院を予約した。
毎回予約の電話が億劫で髪が伸び放題になってしまっている。
別に行けば担当さんとも気さくに喋れるんだけれどな。
でも本当に予約の電話は緊張するというか、なんか嫌なんだよな。
というより電話が苦手なのかも。
昔から電話で会話するのなんか嫌だった。
相手の顔が見えないからなのかな。
自分でもいまいちよく分からない。
だからただ電話で予約を入れただけでも達成感がある。
電話を切った瞬間はぁーって息吐くくらい疲れてしまったが、僕の中では結構な大事なのだ。
この感覚分かってくれる人いないかな。
共感したい。
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