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自分で家系図を作る!② 〜実家に出る幽霊編〜


前回のブログはこちらです。
自分で家系図を作る!① 〜私の生い立ち編〜
https://lineblog.me/rr_sion/archives/1062461291.html

小学校1年生の時、「もう小学生だから、自分の部屋が欲しい」と私が自ら言い出したのか、「もう小学生なんだから、自分の部屋で勉強したり、1人で寝る習慣を作りなさい」と親に促されたのか、そこら辺の記憶は定かではないけど、2Fにマツモトの部屋ができた。
2Fには大部屋と小部屋があり、小部屋の方には母親が趣味で弾いていたエレクトーンやピアノがあった。小部屋の入り口には、外に音漏れしないように、ライブハウスやリハーサルスタジオの扉として使われているような防音加工の頑丈なドアが使われていた。
小学校1年生のマツモトの握力でドアノブをひねったり扉を開けるのは難しく、毎日、タックルして扉を開閉していた。
この「音楽部屋」からエレクトーンやピアノを1Fに降ろし、部屋をカラにして、そこがマツモトの部屋になった。
母親が趣味でピアノを弾いていたと言っても、ぜんぜん弾けていなかったし、ほとんど弾いてもいなかった。「猫踏んじゃった」すら弾けなかった。マツパパは高給取りのサラリーマンだったので、ピアノみたいな嗜好品を買ってと強請ってみたものの、たいして使わなかったんだと思う。
せっかく高価なエレクトーンやピアノを買ったけど使わないのも勿体ないし、私に習わせたのではないかと思っている。
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学校と習い事以外の時間を2Fの自分の部屋で過ごすようになってすぐ、不思議な現象が始まった。
女性の声が聞こえるのだ。
あんまりハッキリとは聞こえないし、聞き取れないんだけど
「ねえ、何してるの?」「絵?クレヨン?」
とか、そんな声が聞こえてくる。
最初はマツママかなと思っていたのだが、声が聞こえてもマツママは近くに居なかった。
と言うか、両親が2Fに登ってくるなら、1Fのドアが開く音や、階段を登ってくる音も、声がするより先にするはず。そもそも2Fまで来なくても1Fから声が通るので、マツママが2Fまで上がってくることは滅多に無かった。
「知らない女の人の声がする」と親に説明するも、もちろん相手にしてもらえない。
ある日、



「あなたはいいわよね。〜〜〜の子だから。でも、私は〜〜〜〜〜から」
と言われて、
なんとな〜く、なんと〜なく、なんとな〜く
私は許さないから
だと直感で思った幼き日のマツモト、涙目。
防音ドアが重すぎて子供のマツモトには開閉するのがしんどいので、いつもドアは薄く開きっぱなしにしていた。ドアが開いている時だけ声がすると感じ、部屋に居る間は防音ドアをしっかりと閉めるようにした。




ある日、今度はドアがノックされた。マツママだと思い「どうぞ」と言っても、誰も入ってこない。気のせいかな。風の音かな。風がドアに当たって、ノックみたいに聞こえるのかな。
階段が軋む音も、よくしていた。軋むと言うか、ゆっくり、一歩一歩、着実に登ってくる音がよくした。
なんとなくだけど、私がドアを閉めたことで、私が見つけられなくなって、何かに探されているような気が、子供心にしていた。
ドアノックをされた時に「どうぞ」と言って、本当に何か恐ろしいものが入ってきたら嫌だなぁと思い、ノックの音は無視するようにしていたけれど、たまには「ノックして入ってきたのはマツママだった」と言う日などもあったので、とある日、油断してしまい、ノック音に対して久しぶりに「どうぞ」と言ってしまった。
しばらく何も起こらなかったのだけど、ドアを凝視していたら
ものすごいゆっくりと、ドアノブがまわりものすごいゆっくりと、時間をかけながら、

ギイイイイイイ…
と防音ドアが開いた。

その先には、誰も居なかった。


マツモト大号泣。マツモト大パニック。
そもそも、冒頭に書いた通り、防音ドアで小学生の私はボディタックルして開けるような重さなので、風が吹いた、立て付けが悪くなってた、そんな理由では開かないドアなのである。
逃げ出すにも、開いたドアを通り越さないと1Fまで逃げられぬ。
何も居ないように見えるが、ドアの死角にオバケが居たらどうしよう。
威嚇の絶叫を発しながら走り出し、階段を降り、1Fに避難した。

この頃、寝ていると金縛りに合うこともしょっちゅうあった。

怖すぎて2Fの自室では生活したくないと訴えるも、マツパパが「せっかくお父さんが建てた家に失礼だ、冗談もいい加減にしろ。オバケが出たら戦えばいいんだよ!」などと怒り、「部屋を変えてくれ」と言える雰囲気ではなかったので、結局、小学校6年生まで、その部屋で生活した。
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謎のドアノック・誰も居ないのに階段を登る音がする、
両親は信じてくれなかったが、クラスメイトは時々、興味津々で遊びに来た。友達と部屋に居る時は、ほとんど音は鳴らなかった。
小学6年生にしてタバコを吸う強気なヤンキーガール・村上が「本当にそんなことあるのか見てやんよ」とイキって遊びに来た時などは、私が知らない間にドアがノックされたらしく、半泣きの村上に懇願され、私が先頭切ってドアを開け、1Fまでの逃亡劇を手伝ったりした。
村上は二度と私の家に遊びに来なかったが、中卒で16歳頃に子供ができたと風の噂で聞いた。
小学校6年間に色々検証して解った事としては、ノックされた時に「入ってくるな!」と怒ると、重たい気配がフッと消えると言うことだ。
「どうやら勝とうと思えば勝てる勝負で、意思表示が重要らしい」と分かってからは、幾分、気が楽になった。
こちらが怒りの感情を出すにつれて、階段を登る音やドアノックの回数も減っていった。
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中学1年生の時、両親に「今の部屋が狭いので、隣の大部屋をマツモトの部屋にしたい」とお願いした。
小部屋は4.5畳くらい、大部屋は12畳くらいの大きさで、友達が何人か遊びに来たときに、4.5畳の小部屋が狭かったのだ。
2Fの構造を説明すると
【小部屋】【大部屋】【廊下】
          【階段】
こんな感じで、大部屋と言うのは、要するに「ノックが聞こえた時に、見えない何かが居るかもしれない側の部屋」なのだけど…
前述の通り奇妙な現象に会う機会が顕著に減っていたこと、思春期になって「オバケなんかないさ」と考えを改めていたので、怖いと言う感情はなかった。
大部屋に移動して、広くなった部屋に好きなアニメやゲームキャラクターのポスターなんかを貼り、マツモト好みに改良して満足したのも束の間、
どうも大部屋に行ってから、嫌なことがたくさん起こるようになった。
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嫌なことがたくさん起こるようになったのは、マツパパが「2Fがマツママの音楽部屋じゃなくなったし、もう防音ドアである必要ないよね」と言って、「ノックされる恐怖のドア」を取り外し、2Fをちょっと改装した頃からだ。
マツモトの幼少時の記憶は
・マツママがとても厳しく、マツモトの意見を一切聞いてくれずに全部のレールを敷いてしまう。服装も髪型もマツママが決めたもの以外はダメ、殴る蹴るは日常茶飯事、気に入らないことがあれば真っ暗な地下室に閉じ込められる、マツママが決めた習い事を週6〜多い時は週9でひたすらこなした

・マツママに褒められた記憶がない。ピアノや水泳など、習い事の大会やコンテストではほぼ入賞しており、家にはそれなりの数の賞状とメダルがあった。でもそれを褒めるのは一瞬で、1年中、出来ないことや失敗したことの方を、ずっとずっと嘆かれた。入賞しても順位が前年より下がれば、おいおい泣かれた。かと言ってマツママが元気な時には、ブス、デブ、毛深いね。なんでそんなところに毛が生えてるの?私はそうじゃないのに、アンタどこの子wwwwと言って笑われた。マツママが悲しんでいても、笑って元気でいても、家では辛いことがたくさんあった。
・だから常に自分はダメなんだ、申し訳ない子供なんだ、人に迷惑をかけているんだと、毎日ちぢこまって生活していた。

・マツパパは単身赴任が多く、家に居る時間が少なかった。どんなに遠い街に単身赴任に行っても土日だけは会いにきてくれたし、怒らないので、好きだった。我関せずで、私が困ったり泣いたりしている時は、近寄ってきてくれない父親だったけど。私がお母さんの言うことを全て聞いて良い子にしている限り、マツパパは良いお父さんだった。

こんな感じ。
なかなか小学生なりに大変ではあったけど、まだ小学生時代は学校にさえ行けば楽しく、友達も多い、明るい子供だった。
自室を大部屋に移動してからは、唯一の楽しみの学校生活すらうまく行かなくなった。
同じグループに不登校の子が出て、担任の先生に「学校に来れるように励ましてあげて欲しい」と言われたので毎朝迎えに行っていた。4〜5人の陰キャグループで仲良くしており、他の子は朝早起きして行くのを面倒くさがったし、不登校と言う珍しい事態にみんな少し恐怖を感じてお迎えの役目を引き受けるのを嫌がっていたので、あまり面倒だと感じなかった私が迎えに行くことになった。習い事とか、他に嫌なことがたくさんあるから、面倒だと思わなかった。
私が迎えに行っても、その子は絶対に学校に来ようとしなかった。
その子曰く、担任の先生に嫌なことを言われたから、行きたくなくなったのだと。団地に住んでいる母子家庭の子で、お母さんに言われて、夕方に新聞配達のバイトをしていた。
勉強もあまりできなかったので、担任の先生が見かねて「勉強もちゃんとしないのなら、アルバイト禁止にするよ」と言ったそうだ。
働いたお金は全部母親に渡していたそうで、本人の好きでやっていたアルバイトではなかった。アルバイトをしないと母親に怒られるため、板挟みになって精神的に疲弊したようだった。
担任の先生は女性で大学を卒業したばかり、1年目の新人教師だった。
学年でたった1人の登校拒否児童が自分のクラスに居る後ろめたさからか、「不登校児童がいるのは自分のせいじゃない」と訴えたかったようで
「マツモトさんと仲が良かったみたいだから、マツモトさんに迎えに行かせたつもりなのだけど、それでも学校に来ないの。もしかしたら、あの陰キャグループではマツモトさんが一番元気で発言力があるから、そんなマツモトさんが嫌なのかも?マツモトさんに嫌がらせされていたり?」的なことを職員室やら他のクラスの教室やら、色々なところで言った。
だんだん、それが真実のかのように語られ、自分たちは何もしないクラスメイトや、先生たちに「まだ不登校のあの子を連れて来れないんだね…ちゃんと迎えに行ってあげてる?プリント渡してあげてる?」とプレッシャーをかけられ、私がいじめっ子で諸悪の原因のように言われ、私もつらくて不登校気味になったりした。
勉強はできたので、登校日数もギリギリ稼いで、高校も進学校に行ったけど。
せっかく色々リカバリして友達を作り、なんとか学校生活を送っている最中、マツママは勉強の得意ではない友達や貧しい家庭の子が来たら「うちの子とレベルが合わないから、仲良くしないで欲しい」と追い出してしまったり、簡単にクリアできそうな人生ゲームを全部ハードモードにした。これは大人になってからもそうで、私の男友達は絶対に追い出さず「良い人だ」と言うのに、女友達には100%ムチャクチャな難癖を付けた。私にもとにかく厳しかったことを考えると、マツママはとにかく女性が嫌いだ。

育ててくれて感謝はしているし、案外、こういう両親と言うのは世の中に多くて、程度の差はあれ、どこもこんな感じだとは思うけれど…申し訳ないけど、生まれ変わっても、もうあの家には産まれたくない。

「家で起こる不思議なこと」を書くブログなので、中学1年生〜高校3年生の間にあったことはもう割愛するけど、とにもかくにも、どうにも流れが悪いことがたくさん重なり

その結果で自律神経がやられてしまったのか、中学1年生〜高校3年生の間は
・一年中生理があって、不正出血している・マジで、下から下血しない日が1日たりともない・朝起きて5分もすると鼻血が出始め、夜まで続く・それがまた吹き出す勢いで、ちり紙で押さえられる限度を超えている。1〜2時間でティッシュボックス1箱とか使う・鼻から血が出るだけでは間に合わないので、口からも血の塊を吐き続ける・口の中に口内炎が30個以上常にできていて、喋ることも、食べることもままならない・多感な時期に鼻血が出ているのをクラスメイトに見られたら恥ずかしいので、授業中に上を向き続けることでしのぐも、どんどん血が溢れてくるので鼻をすする、そうなると口から塊で吐く。こんな状態で毎日、授業どころではない・拒食症の人からすると大したことないのかもしれないが、10キロ痩せた(当時162cm/40kg)
ずっとこんな状態であった。このような症状は病院に行っても原因不明のまま。大学入学のために東京に上京するまで続いた。

人間って、毎日何リットルも血を噴き出しても血が無くならなくてスゴイんだな、と当時、感心していた。長生きはできない、あと数年で死ぬかもしれないと思っていたし、内心、両親もそう思っていたようだった。
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両親は、昔から1Fの和室で寝ていた。
中学1年になりマツモトが大部屋に移動し、マツモトはなんだか全てが上手くいかなくなった頃、マツママがうなされているのが1Fの和室から聞こえるようになった。
尋常じゃないうなされ方で、獣のような雄叫びを、必ず深夜2時ごろからするようになったのだ。「人間ってこんな声が出るんだ」みたいな正気ではない叫び方。
言葉にならない雄叫びをあげる以外には、「助けて」「許して」など。
マツパパが起こしたり、マツモトが起こしたりしていたが、本当に毎晩だし、聞いてる方が恥ずかしいと言うか、ドン引きするような正気でない状態なので、関わりたくない気持ちもあり、
「こんなに大絶叫してたら体力も使うし、ほっといても落ち着くんじゃないかな」と思い放置してみたこともあったが、その場合は夜が開けて空がボヤッと明るくなるまで、ずっと叫んでいた。
本人的には金縛りにあっているようで、この頃、マツママが、私に
「夜、夢で、寝てると三度笠を被った白装束のお坊さんの行列が廊下から来る」と、よく言っていた。
高校の時に、マツパパが同僚にパソコンを安くもらってきて挫折し、リビングで四角い箱になっていた。
マツモトは学校を時々ズル休みしながら、このパソコンで曲を作ったりし始めたのだが、パソコンが好きなのか、なんでも楽しかったし、ホームページを作ったり、写真を加工したり、物を作ると元気になれた。
インターネットの先に居る人たちを見ていると、さほど自分と変わらない気もして、「本当に自分は、親や先生に言われるほどダメな人間なのだろうか?」と疑問が強くなり
そしてまた、なぜか漠然と、直感で「多分このまま家に居ると、私は早く死ぬと思う。でもこの家から離れたら、その未来が変わる気がする」と思っていたので、東京の大学に行って、それを機に北海道に戻らないことを決めた。
東京に上京して一人暮らしを始めた途端、1年365日、上から下から血を噴き出しまくっていた私は、全ての症状がピタッと治り、突然の健康体になった。

友達もすぐ出来て、両親の目がない所で、初めて色々な「好きなこと」ができた。年々、生きやすくなった。

東京に来てからは、不思議な現象に出会うなんてことは、一度も無くなった。数年前に、Rose&Rosaryで名古屋や大阪に遠征して参加した、とある人の追悼ライブに出るまでは。。。

北海道では不思議な現象はたくさんあったけれど、身体を壊していたのはストレスで、ストレスから幻聴が聞こえてたりしたのかな。マツママが過干渉だったから、学校もうまく行かなかっただけかな。そう考えたりもした。

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大学1年の夏、北海道を出てから半年後。夏休みに北海道に帰省すると、家がかなり大規模改修されていた。
吹き抜け構造をやめて2F部分を増築して広くしたり、2Fの壁に穴を開けて窓を増やしたり、離れもある家なのだが、雨天でも濡れずに離れに行けるように渡り廊下を作ったり。
この辺から、マツモト親族の死が相次いだ。高齢出産で、同年代の人たちより両親も祖父・祖母も親戚も、みんな年齢層が高い。ある意味、自然なことかもしれない。
自然ではないことは、事故死が多いことくらいか…。
年収1000万円超えプレイヤーのマツパパも、時代的に苦手なPC業務が入ってきてしまい、かと言ってプライドが高いので若い人に教えを仰ぐこともできず、うつ病になり、会社を辞めた。
リッチ生活をしていたマツママは大パニック。誰かが亡くなるたび、1話目にブログで書いた、マツモト家の遺産の話ばかりが持ち上がるようになった。
不思議なことに、亡くなるのはマツモト家の男性ばかり。

考えてみれば、マツモト爺ちゃんの家には、短命で亡くなったと思しき知らん若い男性の遺影ばかりが飾ってあり、過去帳を見れば、さらに1歳〜4歳くらいで亡くなっている、遺影すらないマツモト男児ばかりだった。
なぜか私は子供の頃からマツモト爺ちゃんの家がめちゃくちゃ怖く、特に仏壇のある部屋が嫌だった。とにかく張り詰めた重い空気で、寂しくて。ド貧乏なマツママ側のばーちゃんや親戚の方が、汚くてボロい家に住んでいるのに、小綺麗にしていてお金もある、マツモト爺ちゃんの家がとにかく恐怖だった。

現状、かろうじて生きているマツモトの男たちも、軽度の身体障害者で身体に思うように動かせない、身体が不自由だから働いたことがない・働けなくなった、若い頃からずっと病院と家を往復している。そんな者ばかり。
私が北海道に帰るのも、毎回、誰かの葬式と言う時期が続いた。

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ある日、実家の2Fで寝ていたところ、身体の右側にヌルっと何かが触れたような気がして目が覚めた。
嫌な予感がするから本当はテレビを付けて少し明るくして寝たかったのだが、普段は住んでいないから家電も悪くなるのか、リモコンが壊れてるか何か、テレビを付けられない事情があって、仕方なく無音・真っ暗の中で寝ていた。
なんか、身体の右側に当たったかしら?気のせいかしら?気のせいだということにしよう…
と思い込もうとしていたら、窓が開いているわけでもないのに、右側から風が吹いた。前髪がなびく、しっかりとした風。
ハイハイ、風〜。ハイ、風。風ね、ハイハイ、乙。
と、「おばけなんてないさ」モードを決め込む。
目をつむっているけれど、おばけなんてないのだから、おばけなどないと言う確証を得るために、目でも開けてみようかしら。だって怖くないのだから。
子供の頃だってドアが開いたりしたけど、やめて!来るな!と言ったら来なかったですから。
と、目を開けた数秒後。
部屋の電気、勝手に付いた。
怖いわ!!!!!!!!!!!!!!!!!怖いけど!!!!!!!!!!!!!!!!怖いけども!!!!!!!!!!!!!!!

怖いけど、最初から付いてたことにしよう!!!!マツモトが電気をつけたまま寝て、消し忘れたんだね!!!!
そう思うことにして、勝手に点灯した部屋の電気を凝視していたところ
今度は部屋の電気、消える。


マツモト、ギブアップ!!!!
この日を境に実家の2Fには昼間しか行かないことにする。
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それ以降は実家帰省時に、1Fのリビングで寝るようにした。
子供の頃からの経験を総合するに、2Fもダメ、和室もダメ、廊下もダメ、夜に比較的安全な気がするのが、リビングしかない。かと言って、リビングが絶対安全領域かというと、そうでもなかった。



ギシッ、ギシッ。
実家に泊まると100%の確率で、深夜2時前くらいから、2Fを動き回る音がするのだ。
家鳴りだと思いたいが、どう考えてもゆっくりの足音。2Fの部屋を、ぐるぐる回っている。
ハイハイ、出るのね、2Fに。知ってます、知ってますとも。だから私は2Fに居ないのさ。フハハ。
なんとなく、気付かれてはいけないと思った。
子供の頃は「来るな!」と念じて戦う方が最善と思ったのだけど、直感で「私が居るのを知られない方が良いのかな…」と感じた。
親に「幽霊が出る」と言うのも悪いし、旭川健康ランド(潰れた)に閉店ギリギリまで居ることで、なんとか魔の深夜2時を切り抜けて朝4時くらいに家に帰ってきて寝る。そんな実家帰省を繰り返していたものの、1泊以上の滞在となれば、毎晩、朝4時まで外出して粘るのは体力的にキツく。。。
深夜2時に足音が聞こえても息を潜めて黙っていたある日、
ぐるぐる動き回る足音がしばらく聞こえた後、私の真上で止まり、
しばらく考えたのちに
ギシッ、ギシッ。
足音が階段を降り始めた。

もうこれ、マツモトが下に居るなって見つけて、降りてきたやつやん!!!!!!!!

マツモト、着のみ着のまま・ジャージで携帯(当時ガラケー)と財布だけ持って、2月の真冬の雪景色へ脱走!!外気温マイナス10度くらい。
徒歩圏に24Hのファミレスなどなく、コンビニの前で何杯もホットコーヒーを飲みながら朝を迎えるも、ジャケットなしで深夜に自宅を飛び出したのは無謀であり
なんかもう、「目的はお前だ」って見えない何かに言われてるような気がしたので
むこう5年程、実家に帰るのを辞めた。

なんとなくだけれど、直感だけれど、マツモトが東京に出たから、マツパパが病気になってしまったなと、当時思った。
マツモトが家にいればマツモトが病気がちで学校に通えなかったのに、マツモトが逃げてしまったから、マツパパが体調を崩して会社に通えなくなってしまった。
なんとなくそう思った。
不思議なことに、この「実家に居る何らか」は、絶対に実家にしか出ないのだ。東京にまでは追いかけて来れない。

私の想像でしかないけど、私の家はいわゆる霊道が通ってるのだと思う。

それはそれとして、通りがかりではない何がしかも住んでおり、何がしかは年々勢力を強めており、そのきっかけは、おそらく家の増築ではなかろうかと。

神棚が鬼門(北東)にあるし、時代よっては2Fから踏める位置だったはず。
興味がある方は家相や墓相で調べて欲しいのだけれど、私も大人になってから調べたら、2Fの増築の仕方がまさに「一家の大黒柱を失墜させる」みたいなのをやってしまった直後、マツパパがうつ病になっている。

風水的に、増築だけは本当にだめ。

私の実体験上は、増築の継ぎ目となる部分とかホント一番だめ、ノックされるドア、時々旅先で当たる怖いホテルも、増築の継ぎ目に必ずある部屋。

「テレビを付けて寝る」は作戦的には有効で、今思えば、マツママは1人だけテレビを付けて、リビングで寝落ちしていることが多かった。

人には電気消せと怒るのに、なんで自分だけテレビも電気も付けて寝るんだろうと子供ながらに憤慨していたが、今思えば、「オバケなんて居ないよ」と私には言うけど、実はなんとなくマツママもそう言う気配は感じていて、そしてマツモトよりも早く「テレビを付けっぱなしにすると、怖い思いをしなくて済むことが多い」と言う結論を見つけ出したのではないかと。

「夜、夢で、寝てると三度笠を被った白装束のお坊さんたちが廊下から来ようとするの。すごく怖くて…」と昔よく言ってたのは、夢でなく、実際に白装束のお坊さんが通ってるんではないかと。

これからも私はこの実家に帰らねばならないので、実際にお坊さんが通っているのかは、聞きたくない。

大変長くなりましたが、次回いよいよ

「なぜマツモト家には不思議なことが起こるのか!?原因はご先祖!?なんかが見える人、登場!」の巻

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