見出し画像

あのころは確かに追いかけていた、それも私、これも私。

一日に2回投稿すると、自分が多重人格なんじゃないかと思いだす。でもいいじゃないか、誰に評価されるでも点数をつけられるでもないこの文章。人生には意味がない、私が生きていることも意味がない。自由にやってやればいいじゃないか。さっきと打って変わって臨戦的。もう何が自分かなんてわからない。それでいい、どうでもいい。

昔、といっても、数年前の話。私はある歌手のファンになった。歌手でもあって俳優もやって、パーソナリティを務めるラジオもあって、文章も書いて本を出して。どんどんはまって、テレビに少しでも映るだけで、ラジオで声が聞こえるだけで、少しでも笑っているだけで、歌が流れるだけで、BGMになっているだけで、名前の一文字をみるだけで、心躍ったし幸せだったし追いかけている瞬間は辛い事なんて忘れて頑張れた。その人の音楽を聴けば何時間もぶっ通しで勉強できたし、連日徹夜もできたし、その人が乗り越えた大病を思えば病気についてもっと知ろうと思えた。iPhoneにはCDから取り込んだ音楽、iTunesからダウンロードしたたくさんの音楽が散らばっていた。シャッフル再生するのが好きだった。友達からは「そんなにはまるなんて珍しい」「正直かっこよくない」「ここまで好き好きいうなんて」などいろいろなコメントがあった。なんと言われても、かっこよくないとかそんなにイケメンだと思わないとか言われてもそれでも大好きなほど周りが見えていなかった。本当に頭のなかのすべてを占めていた。


そしていつか、その人から離れて、音楽も聴かなくなって、どんどん有名になって世界的になっていく姿に寂しさと怒りと興味のなさを覚えながら、日々が通り過ぎた。

勝手だ。

でも、相手はそんなことなんて微塵もしらない。それでいい、勝手に好きになって勝手に離れていったんだから。そういうものだ、人間なんて。
話が脱線したけど、またその人を思い出して感傷に浸る機会があった。
俳優をやっているその姿はまぎれもなく私が追いかけてたあの人だった、懐かしかった。この顔が、この声が、好きだったなあ。この狂気に満ちた、死と生の瀬戸際を一度乗り越えた、そして這い上がったこの人の目が好きだった。大笑いする声と、深夜3時頃投稿されるラジオ後のはちきれそうな笑顔が好きだった。ばかみたいな下品な内容を楽しそうに話したり、ジングルについて話すのも、声の調子がちょっと悪いのかな夜中だしなと思いながら聞くギターと生歌も、寺ちゃん、寺ちゃんと愉快に話すその声と顔も。あのころはファンクラブなんかなくて、それがその人のモットーで、赤色に染まったライブとロングのチェックコートとサスペンダーがとっても似合ってて。こんな夜中にラジオ局に出勤してまた帰って、体調大丈夫かなと本気で心配していたあの時も。どうしてこんなにさっぱり綺麗に忘れ去っていたのだろう、永遠なんてないんだ。

strangerからyellow dancerへの声の変わり方、吹っ切れ方、すごいなあこれが有名になるってことかと本気で思った。同じ人とは思えなかった。

またその人の狂気にふれた芝居を見て、心動かされて、あのころの自分と重ね合わせて、あんなに夢中になれた時間を思う。今、私はなにも持っていなくて、ひたすらに孤独で、強がりで、嘘つきで。それを選んだのもそうしているのも自分だから何も言えないけど、あの時の夢のような時間を忘れたくない。今また夢中になるつもりはないけども、確かに追いかけて、キラキラとしていて、暗闇のなかのひかりだったことを忘れないと思う。あの頃の自分も今の自分も同じ人間なんだよなあ。本当に、つまらない人間に成り下がったな、私は。こんなはずじゃなかったのにな。点と点を繋げても、全く面白味のない人間だ。毎日自分の評価ばっかりして、ばかだね。

あのころ必死に追いかけていたその人は、もっと前進して遠くに行ってしまったね。さようなら。夢を見させてくれて、ありがとう。