ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ《美しく青きドナウ》 Op.314

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『美しく青きドナウ』(うつくしくあおきドナウ、ドイツ語: An der schönen, blauen Donau)作品314は、ヨハン・シュトラウス2世が1867年に作曲した合唱用のウィンナ・ワルツ。

『ウィーンの森の物語』と『皇帝円舞曲』とともにシュトラウス2世の「三大ワルツ」に数えられ、その中でも最も人気が高い。作曲者およびウィンナ・ワルツの代名詞ともいわれる作品である。オーストリアにおいては、正式なものではないが帝政時代から現在に至るまで「第二の国歌」と呼ばれている。

邦題
『美しき青きドナウ』とも表記され、また「青」ではなく「碧」という漢字が用いられることもある。当記事では、『ヨハン・シュトラウス2世作品目録』(日本ヨハン・シュトラウス協会、2006年)の、『美しく青きドナウ』に従う。オーストリアでは単に『ドナウ・ワルツ』(Donauwalzer、Donau-Walzer)と呼ばれることも多い。

ちなみに、『美しく青きドナウ』という邦題は、原題「An der schönen, blauen Donau」のうちの「An(英語のbyに相当)」を無視したもので、正確に訳すと『美しく青きドナウのほとりに』といった題になる。原題と異なる邦題が定着しているのは日本だけではなく、たとえば英語圏では『The Blue Danube(青きドナウ)』となっている。

作曲の経緯
1865年初頭、シュトラウス2世は、ウィーン男声合唱協会(ドイツ語版)から協会のために特別に合唱曲を作ってくれと依頼された。この時シュトラウス2世は断ったが、次のように約束した。

「 今はできないことの埋め合わせを、まだ生きていればの話ですが、来年にはしたいと、ここでお約束します。尊敬すべき協会のためなら、特製の新曲を提供することなど、おやすい御用です。 」
約束の1866年、新曲の提供はされなかったが、シュトラウス2世は合唱用のワルツのための主題のいくつかをスケッチし始めた。1867年、シュトラウス2世にとって初めての合唱用のワルツが、未完成ではあったが協会にようやく提供された。シュトラウス2世はまず無伴奏の四部合唱を渡しておいたが、その後、急いで書いたピアノ伴奏部を次のお詫びの言葉とともにさらに送った。

「 汚い走り書きで恐れ入ります。二、三分で書き終えないといけなかったものですから。ヨハン・シュトラウス。 」
シュトラウス2世からピアノ伴奏部が協会に送付されてきたとき、この曲には四つの小ワルツがワンセットになっていて、それに序奏と短いコーダが付いていた。この四つの小ワルツとコーダに歌詞を付けたのは、アマチュアの詩人であるヨーゼフ・ヴァイル(ドイツ語版)という協会関係者であった。歌詞を付ける作業は一筋縄ではいかなかった。ヴァイルが四つの小ワルツにすでに歌詞を乗せた後で、シュトラウス2世がさらに五番目の小ワルツを作ったからである。シュトラウス2世はヴァイルに四番目の歌詞の付け替えと、五番目の小ワルツの歌詞、コーダの歌詞の改訂を要求した。


普墺戦争の勝敗を決したケーニヒグレーツの戦い。ここでオーストリア・ザクセン連合軍はプロイセン軍に致命的な大敗北を喫した(1866年7月3日)
普段のヴァイルは警察官として働く人物であり、彼の詩は猥雑で愉快なものとして知られていた。前年の1866年に普墺戦争があり、わずか7週間でプロイセン王国との戦いに敗れたことによって、当時オーストリア帝国の人々はみな意気消沈していた。ヴァイルはこうした世相において、プロイセンに敗北したことはもう忘れようと明るく呼びかける内容の愉快な歌詞を付けた。
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