ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125

00:00 I. Allegro ma non troppo, un poco maestoso
12:22 II. Molto vivace
24:53 III. Adagio molto e cantabile
37:40 IV. Finale

交響曲第9番 ニ短調 作品125(こうきょうきょくだい9ばん ニたんちょう さくひん125、ドイツ語: Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125)は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1824年に作曲した独唱と合唱を伴う交響曲。ベートーヴェンの9番目にして最後の交響曲である。

ベートーヴェン自身はタイトルをつけなかったが、通称として「合唱」や「合唱付き」が付されることも多い。また日本では略称として「第九」(だいく)とも呼ばれ、その演奏会は年末の風物詩となっている。第4楽章は独唱および合唱を伴って演奏され、歌詞にはシラーの詩『歓喜に寄す』が用いられ、その主題は『歓喜の歌』としても親しまれている。原曲の歌詞はドイツ語だが、世界中の多くの言語に翻訳されており、その歌詞で歌われることもある。

多くの批評家や音楽学者によってベートーヴェンの最高傑作に位置付けられるだけでなく、西洋音楽史上最も優れた作品の1つに数えられている。第4楽章の「歓喜」の主題は、欧州評議会においてはヨーロッパ全体をたたえる「欧州の歌」として、欧州連合(EU)においては連合における統一性を象徴するものとして、それぞれ採択されている。このほか、コソボ共和国の暫定国歌や、かつてのローデシアの国歌としても制定されていた。ベルリン国立図書館所蔵の自筆譜資料は2001年に国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)のユネスコ記憶遺産リストに登録された。初演/初版の版刻に用いられた筆写スコアが2003年にサザビーズで競売にかけられた際には、「人類最高の芸術作品」と紹介されている。

概要

自筆譜
元来、交響曲とはソナタの形式で書かれた管弦楽のための楽曲で、第1楽章がソナタ形式、第2楽章が緩徐楽章、第3楽章がメヌエット、第4楽章がソナタやロンドという4楽章制の形式が一般的であった。ベートーヴェンは交響曲の第3楽章にスケルツォを導入したり、交響曲第6番では5楽章制・擬似音による風景描写を試みたりしたが、交響曲第9番では第2楽章をスケルツォとする代わりに第3楽章に瞑想的で宗教的精神性をもった緩徐楽章を置き、最後の第4楽章に4人の独唱と混声合唱を導入した。ゆえに「合唱付き」(Choral)と呼ばれることもあるが、ドイツ語圏では副題は付けず、単に「交響曲第9番」とされることが多い。第4楽章の旋律は有名な「歓喜の歌(喜びの歌)」で、フリードリヒ・フォン・シラーの詩『歓喜に寄す』から3分の1程度を抜粋し、一部ベートーヴェンが編集した上で曲をつけたものである。交響曲に声楽が使用されたのはこの曲が必ずしも初めてではなく、ペーター・フォン・ヴィンターによる『戦争交響曲』などの前例があるものの、真に効果的に使用されたのは初めてである。

なお、ベートーヴェン以降も声楽付き交響曲は珍しい存在であり続けた。ベルリオーズやメンデルスゾーン、リストなどが交響曲で声楽を使用しているが、声楽付き交響曲が一般的になるのは第九から70年後、マーラーの『交響曲第2番「復活」』が作曲された頃からであった。

大規模な編成や1時間を超える長大な演奏時間、それまでの交響曲でほとんど使用されなかったティンパニ以外の打楽器(シンバルやトライアングルなど)の使用、ドイツ・ロマン派の萌芽を思わせる瞑想的で長大な緩徐楽章(第3楽章)の存在、そして独唱や混声合唱の導入など、彼自身のものも含むそれ以前の交響曲の常識を打ち破った大胆な要素を多く持つ。シューベルトやブラームス、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチなど、後の交響曲作曲家たちに多大な影響を与えた。また、ベートーヴェンの型破りな精神を受け継いだワーグナーやリストは、交響曲という殻そのものを破り捨て全く新しいジャンルを開拓した。このように、交響曲作曲家以外へ与えた影響も大きい。

日本でも人気は高く、年末になると各地で第九のコンサートが開かれる。近年では、単に演奏を聴くだけではなく、アマチュア合唱団の一員として演奏に参加する愛好家も増えつつある。ヨーロッパにおいてオーケストラに加え独唱者と合唱団を必要とするこの曲の演奏回数は必ずしも多くないが、音盤の制作はピリオドとモダンともに豊富でフランソワ=グザヴィエ・ロトがBBCウェールズ交響楽団を指揮したライブ演奏ディスクが、雑誌のおまけに付いたことがあった。

演奏時間
1824年5月7日のウィーンでの初演の演奏時間については明確な数字が記された書類は無いが、1825年3月21日に英国ロンドンで『第九』を初演したジョージ・スマートがベートーヴェンと会見した際の質疑応答の断片が『ベートーヴェンの会話帳』に残っており、63分という数字がロンドン初演時の演奏時間とされている。

リヒャルト・シュトラウスはジークフリート・ワーグナーの追悼演奏会で45分で演奏したという逸話があるが、真偽のほどは定かではない。

SPレコード時代であるフェリックス・ヴァインガルトナーの1935年の録音は62分程度、アルトゥーロ・トスカニーニの1939年の録音は60分強だが、LP時代に入って話題になったヴィルヘルム・フルトヴェングラーのバイロイト音楽祭での録音は75分弱である。LPレコード時代でもルネ・レイボヴィッツ、ヘルマン・シェルヘンらはベートーヴェン本人が記したテンポこそ絶対の理想であるとの信念を崩さず、それに忠実な演奏を目指していたが、それらの解釈は当時の指揮者界の中では異端であり、全体の時間は1980年代頃までの伝統的なモダン楽器による演奏で70分前後が主流であった。ベートーヴェンの交響曲中で最長である。80分に届こうとするものまであった。また21世紀になってもこのような雄大なテンポでの演奏を行う指揮者もいる。

「通常のCDの記録時間が約74分であることは、この曲が1枚のCDに収まるようにとの配慮の下で決められた」とする説がある。

CD時代に入って、それまで重要視されて来なかった楽譜(普及版)のテンポ指示を遵守して演奏された『第九』が複数出現した。まず、デイヴィッド・ジンマンが1999年にベーレンライター版によるCD初録音を行った際は、トラック1-2-3-4-6の順で計算すると58分45秒になる。ベンジャミン・ザンダー(英語版)指揮ボストン・フィルハーモニー管弦楽団(英語版)による演奏は全曲で57分51秒であった。同じくザンダーの指揮によってフィルハーモニア管弦楽団を振った演奏は全曲で58分37秒、フランソワ=グザヴィエ・ロトとBBCウェールズ交響楽団とのライブ演奏においても58分44秒で、双方ともモダン楽器を使用したにもかかわらず1時間を切った。マーラー編曲版でも59分44秒で終わる快速の演奏がある[15]が、マーラー本人の演奏による第9の演奏時間は不明である。

研究家が考証を行なった古楽器による演奏では大概63分程度であり、ほぼ妥当なテンポと見なされている。ただし、さらに研究が進んでテンポの数字も他人の手で代筆されたものであることが判明し、ベートーヴェンが望んだテンポについての議論がすべて決着したわけではない。

作曲の経緯

直筆譜
ベートーヴェンがシラーの詞『歓喜に寄す』にいたく感動し、曲をつけようと思い立ったのは、1792年のことである。ベートーヴェンは当時22歳でまだ交響曲第1番も作曲していない時期であり、ベートーヴェンが長きに渡って構想を温めていたことがわかる。ただし、この時点ではこの詞を交響曲に使用する予定はなかったとされる。

交響曲第7番から3年程度を経た1815年頃から作曲が開始された。さらに1817年、ロンドンのフィルハーモニック協会から交響曲の作曲の委嘱を受け、これをきっかけに本格的に作曲を開始した。実際に交響曲第9番の作曲が始まったのはこのころだが、ベートーヴェンは異なる作品に何度も旋律を使い回しているため、部分的にはさらに以前までさかのぼることができる。

ベートーヴェンは第5、第6交響曲、および第7、第8交響曲を作曲したときと同じように、当初は2曲の交響曲を並行して作曲する計画を立てていた。一つは声楽を含まない器楽のみの編成の交響曲であり、さらに別に声楽を取り入れた交響曲『ドイツ交響曲』の制作を予定していた。しかし様々な事情によって、交響曲を2つ作ることを諦めて2つの交響曲のアイディアを統合し、現在のような形となった。歓喜の歌の旋律が作られたのは1822年頃のことである。なお、当初作曲されていた第4楽章の旋律は、のちに弦楽四重奏曲第15番の第5楽章に流用された。1824年に初稿が完成。そこから初演までに何度か改訂され、1824年5月7日に初演(後述)。初演以後も改訂が続けられている。楽譜は1826年にショット社より出版された。

この作品は、当初はロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈される予定だったが、崩御によりフリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)に献呈された。

#ベートーヴェン ,#合唱付き,#交響曲第9番

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