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リヒャルト シュトラウス:メタモルフォーゼン(Richard Strauss:Metamorphosen, Studie fur 23 Solostreicher)

Jascha Horenstein Orchestre national de la radiodiffusion Francaise 1954 ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮 フランス国立放送管弦楽団 1954年録音 リヒャルト・シュトラウスの『メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作』(Metamorphosen, Studie für 23 Solostreicher)は、1945年にシュトラウスが81歳の時に作曲した楽曲であり、第二次世界大戦の最終期、ドイツが敗れる直前に作曲されました。この作品は、1945年3月13日に作曲を開始し、同年4月12日にガルミッシュ=パルテンキルヒェンで完成しました。約30分間のこのソロストリングスのための作品は、シュトラウスの最後の大きなオーケストラ作品となっています。 また、『メタモルフォーゼン』の作曲は、1944年8月にスイスの指揮者ポール・サッハーからの依頼により始まりました。サッハーは、ツーリッヒのCollegium Musicumのために約30分間の弦楽曲を依頼し、これが『メタモルフォーゼン』の作曲へとつながったものです。この作品は、1946年1月25日にツーリッヒでポール・サッハーの指揮のもとで初演されました。 作品名「メタモルフォーゼン」は、「メタモルフォーゼ(Metamorphose)」の複数形であり、日本では『変容』と訳されることが多いです。技術的には変奏曲に関連していますが、主題に束縛されず、展開がより自由に構成されている点で独自のものとなっています。 『メタモルフォーゼン』は、リヒャルト・シュトラウスによる非常に表現豊かで感動的な作品です。以下に、作品についてのいくつかの補足情報を提供します。 1. **作品の構造**: - 作品の長さは約27分で、大きく3つのセクションに分かれています: 遅い導入部 – やや速い中央部 – 元の遅いテンポで終了します。具体的なテーマについては、以下の5つの主要なテーマが挙げられます: - 開始のコード進行 - 3つの短い音符に続く長い音符 - ベートーヴェンの「エロイカ」からの直接の引用(マルチャ・フネーブレ(葬送行進曲)ムーヴメント) - マイナーキーのトリプレット進行 - 作品全体に縫い通された主要な抒情的テーマ 2. **異なるバージョン**: - 『メタモルフォーゼン』は2つの異なるバージョンで存在し、1つはシュトラウス自身の筆によるもので、「23のソロ・ストリングスのための研究」と副題が付けられています。もう1つは、1994年にルドルフ・レオポルドがシュトラウスのオリジナルの短いスコアを基にして弦楽セプテット用に再現したバージョンです。 3. **背景と影響**: - この作品は第二次世界大戦の最終月に作曲され、しばしば西洋文化の衰退に対するシュトラウス個人の哀歌として説明されています。さらに、1944年の冬、ドイツが戦争で荒廃していた時期に、シュトラウスはゲーテの全集を読んでいました。この期間に、彼は『メタモルフォーゼン』を作曲し、この作品は通常、ベートーヴェンの「エロイカ」からの引用が含まれるドイツ文化に対する哀歌と見なされています。 4. **初演**: - 『メタモルフォーゼン』は、1946年1月25日にポール・サッハーの指揮のもと、ツーリッヒで初演されました。 この作品は、シュトラウスの成熟した作曲スタイルを反映し、細部にわたるカウンターポイントと豊かな和声言語を特徴としています。また、各パートは特定の目的で作られ、全体のプレゼンテーションに重要な役割を果たしています。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 『メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作』(Metamorphosen, Studie für 23 Solostreicher )はリヒャルト・シュトラウス作曲による23の弦楽器のための楽曲。1945年の第二次世界大戦最終期、ドイツが敗れる直前に作曲された、シュトラウス81歳の時の作品である。 「メタモルフォーゼン」は「メタモルフォーゼ(Metamorphose)」の複数形で、日本語では『変容』と訳されることが多く、技巧的には変奏曲に関連するものの主題に束縛されず、その展開がより自由に構成されたものである。また、弦楽合奏曲に属すが、標題にもあるようにあくまでも「独奏弦楽器のため」のものであり、伝統的な弦楽合奏とは本質的に異なった、それぞれの楽器を独奏風に動かしている点に特徴がある。従って作曲者自身がそこに習作的なものを感じて敢えて「習作」と題したのかもしれないという。 作曲の経緯 第二次世界大戦の末期、1944年から45年初めにかけてミュンヘン近郊のガルミッシュ=パルテンキルヒェンにあった作曲者の山荘で作曲、3月13日から総譜化に着手され、ナチス・ドイツ崩壊直前の4月12日に完成された。それより前、1944年の夏に自作の『ダナエの恋』の初演が中止された時に「私の生活は終わった」と語ったシュトラウスであったが、本作の草稿のひとつに「ミュンヘンを失いたるなげき」と書いているように、大戦によってドイツの町並みや農村の風景などが破壊されて行き、自作の初演が行われた多くの劇場や音楽会堂も次々と瓦礫と化していく中で、ドイツの歴史や古くからの文化、伝統の喪失に対する悲しみや、崩壊していく祖国への惜別の思いを込めつつ敢えて筆を進めたという。そして45年2月にベルリンの国立歌劇場やドレスデンの国立歌劇場を始め、3月にはウィーンの国立歌劇場が破壊されたという悲報に接し、エルンスト・クラウゼ(ドイツ語版)によれば「この苦痛の中」でシュトラウスとしては珍しい「短調の支配する曲」を完成させた。 初演 シュトラウスはこの曲を自らの死後発表しようと考えていたようであるが、パウル・ザッハーの手にゆだねて生前の初演を許し、作曲の翌46年1月25日にチューリヒのトーンハレにて、ザッハーが指揮するコレギウム・ムジクム・チューリヒにより初演された。因みにその折の最後の練習ではシュトラウス自らが指揮し、それに接した音楽評論家のヴィリ・シュー(Willi Schuh)は曲のテンポやデュナーミクを力強く高揚させるシュトラウスの指揮ぶりに賛嘆している。 なおこの曲は、初演後にザッハーとチューリヒ・コレギウム・ムジクムに献呈された。 編成 ヴァイオリン10名 ヴィオラ5名 チェロ5名 コントラバス3名 標題のように23名の弦楽器奏者のために書かれているが、通常の弦5部ではなく、各奏者が独立した23のパートを演奏するよう23段のスコアに書かれた、いわば弦楽二十三重奏曲となっている。その書法は緻密を極めている。 音楽 クラウゼによれば「野蛮な帝国主義的戦争」である大戦によって、ドイツの文化財や都市、建築、劇場などの「取りかえしのつかない消失についてのなげき」を表すために作曲されたもので、戦争に対する抵抗の音楽となっている。 曲は3部からなり、緩徐的な2つのアンダンテの部分にややテンポの速いアジタート部が挿入された形式となっているが、全体が無限旋律的に続いた3楽章形式と見ることもできる。また、ベートーヴェンの交響曲『英雄』の第2楽章「葬送行進曲」冒頭4小節の動機を根幹にした主題が様々に変奏されていくのであるが、既述のように厳密な変奏曲の形式は採用していない点も特徴の一つで、更に23もの弦楽がそれぞれ独奏風に奏されるとはいえ音質的には同一なものなので、色彩の変化を好むシュトラウスの作風としてはやや特異なものともなっている。 第1部(アンダンテ)は苦悩を潜めた美しい旋律に始まり、自作の交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』やオペラ『ナクソス島のアリアドネ』の主題、更にはワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』から「マルケ王の示導動機」を配しつつ展開してアジタート部へと進行、アジタートではそれらが悲劇的に凝縮されていき、次いでアンダンテ部で諦念に至るかのように再び緩やかな曲調となり、最後に「葬送行進曲」による主題の原型が低弦によって1回奏されて、全曲を静かに閉じる。曲の終末9小節には“In Memorium”と書き込まれて、そこから前記ベートーヴェンの葬送行進曲の冒頭が再現するのであるが、これによってこの曲がドイツの死を悼む音楽であることが明かされるという。 若き日のシュトラウスが交響詩『死と変容』などで描いた観念的な死、個人の死ではなく、現実の死、一つの国家の死を描いた悲痛きわまりない死の音楽となっている一方で、シュトラウス自身「我が過去の全生涯の反映」と述べているように、過去を追想することによる救済、ある種の肯定性を有するものともなっている。 Walk Into Siena チャンネル登録 https://www.youtube.com/channel/UCqAFiZznfr5Y7wgfV_sOiGQ Walk Into Siena コミュニティ https://www.youtube.com/@WalkIntoSiena/community ヨハン・シュトラウス2世 再生リスト https://youtube.com/playlist?list=PLTtHiFCVwL1w2SkkMR9L9Ybi9Btdlfsbm クラシック全般 再生リスト https://youtube.com/playlist?list=PLTtHiFCVwL1yxp2hTQ64gcreupYj8u6jd #シュトラウス #メタモルフォーゼン #RichardStrauss #Metamorphosen

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リヒャルト・シュトラウス:ブルレスケ ニ短調

Burleske, TrV 145 by Richard Strauss: A short performance by a master composer In this short performance by Richard Strauss, we see the classic Burleske form in a short, concise piece. This work is a great example of Strauss' mastery of the short form, and is a great way to start your day or finish your night. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ブルレスケ(ドイツ語: Burleske, 複数形 ドイツ語: Burlesken)は、クラシック音楽の楽種の一つである。元来の意味は英語のバーレスク(burlesque)に同じで、ユーモアと辛辣さを兼ね備えた、剽軽でおどけた性格の楽曲を指す。 略歴・概要 マクダウェルやレーガーのピアノ曲、マーラーの交響曲 第9番、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲 第1番などの楽章名に見受けられるが、単独のブルレスケとして最も有名なものはリヒャルト・シュトラウスの初期のピアノ協奏曲である。 リヒャルト・シュトラウスは1886年にピアノと管弦楽のための《ブルレスケ ニ短調》を作曲した。青年時代の作品であり、作風や曲想においてブラームスに触発されたことが窺われる。当初は《ピアノと管弦楽のためのスケルツォ》と題され、ハンス・フォン・ビューローに献呈された。しかしながらビューローは、あまりに演奏が至難であることを理由にこの作品の演奏を拒否している。初演は1890年6月21日にアイゼナハの音楽祭で行われた。指揮は作曲者本人であり、独奏者はリストの高弟オイゲン・ダルベールであった。 自由なソナタ形式による単独楽章の作品だが、演奏に約20分を要する。ラフマニノフを彷彿させるような、目のくらむような大変至難なカデンツァが後半に控えている。ピアノの他にティンパニの見せ場も多いことで知られ、冒頭から最後までの要所要所でピアノ、管弦楽と掛け合いを繰り広げる。はじめはティンパニとオーケストラの掛け合いの序奏のあと、ピアノが挑むように華々しく力強く現れる。ピアノが派手な分散オクターブで駆け下りたり、華々しい活躍を見せて技巧をちりばめる。最後はピアノの華麗な上昇でしずかに消えていくのだが、大変荒々しさの印象が残る作品。 グレン・グールド、マルタ・アルゲリッチなどが演奏を残している。 #Burleske,#RichardStrauss,#Strauss,#シュトラウス,#ブルレスケニ短調

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R. シュトラウス:交響的幻想曲「イタリアより」 作品16

0:00 I. Auf der Campagna. Andante 8:26 II. In Roms Ruinen. Allegro molto con brio 20:48 III. Am Strande von Sorrent. Andantino 32:43 IV. Neapolitanisches Volksleben. Allegro molto In this video, we'll be listening to Strauss' romantic masterpiece, Op.16, "Italian Suite from Aus Italien." This piece is full of beautiful and emotive music, and is sure to captivate listeners. If you're a fan of classical music, then you need to check out this video! In this performance, we'll be listening to Strauss' beautiful Op.16, "Italian Suite from Aus Italien." This masterpiece is full of beautiful and emotive music, and is sure to captivate listeners. So sit back, relax, and enjoy one of the most captivating pieces of classical music EVER! 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 交響的幻想曲『イタリアから』(独: Aus Italien)作品16, TrV 147は、リヒャルト・シュトラウスが1886年に作曲した管弦楽曲。標題を持つ作品の第1作である。『イタリアより』と表記される場合もある。 概要 シュトラウスは、彼の才能を見出した指揮者ハンス・フォン・ビューローの影響で絶対音楽を志向しており、「交響曲ヘ短調」(1884年)などを作曲していたが、作曲家アレクサンダー・リッターに感化され、リスト、ワーグナーなどの標題音楽に興味を持つようになっていた。『イタリアから』は、シュトラウスにとって初の標題音楽であるが、描写的な表現はなく、ソナタ形式などを用いた4楽章の作品である点で交響曲的であり、シュトラウスが絶対音楽から標題音楽へ創作の中心を移して行く時期の過渡的な作品となっている。 作曲の経緯 1886年、前年から勤めたマイニンゲン宮廷楽団を去ったシュトラウスは、ブラームスにすすめられ、4月から8月までイタリア旅行を行った。この時にスケッチが進められ、旅行の後にミュンヘン[4]において完成された。曲はビューローに献呈された。 初演 1887年3月2日、ミュンヘンのオデオン劇場で作曲者指揮、ミュンヘン宮廷管弦楽団によって初演された。 聴衆の反応は賛否両論であり、成功したとは言えなかったが、シュトラウスは標題音楽の道を歩む確信を得た。 演奏時間 約45分 編成 ピッコロ 1、フルート 2、オーボエ 2(2番はコーラングレ持ち替え)、クラリネット 2、ファゴット 2、コントラファゴット 1、ホルン 4、トランペット 2、トロンボーン 3、ティンパニ、小太鼓、タンブリン、シンバル、トライアングル、ハープ、弦五部 曲の構成 第1楽章:「カンパーニャにて」 (独: Auf der Campagna) Andante、三部形式        第2楽章:「ローマの遺跡にて」 (独: In Romas Ruinen) Allegro molto con brio、ソナタ形式 この楽章のスケッチはローマのカラカラ浴場で書かれた。 第3楽章:「ソレントの海岸にて」 (独: Am Strande von Sorrent) Andantino、自由なソナタ形式 第4楽章:「ナポリ人の生活」 (独: Neapolitanisches Volksleben) Finale. Allegro molto、ソナタ形式 当時流行していた登山電車のコマーシャルソング「フニクリ・フニクラ」を、古くから伝わる民謡と勘違いして用いてしまったため、演奏されるたびにシュトラウスは作曲者であるルイージ・デンツァに著作権料を支払う破目となった。 #Rシュトラウス,#交響的幻想曲,#イタリアより,#作品16,#RichardStrauss,#AusItalien

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リヒャルト・シュトラウス:楽劇「サロメ」より7つのヴェールの踊りほか

0:00 Salomes Tanz 演奏者ページ Berliner Philharmoniker (orchestra) Karl Böhm (conductor) 公開者情報 Hamburg: Deutsche Grammophon, 1963. 138 866. 著作権 Public Domain - Non-PD US 備考 Source: Internet Archive 14:40 Dance Of The Seven Veils 演奏者ページ Detroit Symphony Orchestra (orchestra) Paul Paray (conductor) 公開者情報 Mercury, 1959. SR90177. 著作権 Public Domain - Non-PD US 備考 Source: Internet Archive With Strauss' well-known opera "Salome" currently enjoying a revival, now is the perfect time to learn one of its most famous songs, "Ariadne auf Naxos." This song is included in Strauss' opera "Salome" and is sung by the titular Salome. In this video, we'll teach you the lyrics and melody to Ariadne auf Naxos, as well as seven different dance moves you can perform to the song. Whether you're a student of the opera or just looking for a fun way to practice your dance skills, this video is for you! 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 『サロメ』(ドイツ語: Salome)作品54は、リヒャルト・シュトラウスが1903年から1905年にかけて作曲した1幕のオペラ(元々の記述はオペラではなく、「1幕の劇 Drama in einem Aufzuge」であるが、ドイツオペラはむしろオペラと明記してある作品の方が少数でもあり、通常は一括してオペラと呼ばれる)。台本はオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」をもとに、ヘートヴィヒ・ラハマン(英語版)が独訳したもの。 概要 『火の危機』を発表後、この作品と対になる1幕もののオペラを構想したことに始まるといわれる。サロメの物語はもともと『新約聖書』の挿話であるが、オスカー・ワイルドの戯曲になる頃には預言者の生首に少女が接吻するという世紀末芸術に変容している。シュトラウスが交響詩の作曲を通じて培った極彩色の管弦楽法により、濃厚な官能的表現が繰り広げられる。 シュトラウスは最初、アントン・リントナーの台本による作曲を考えていたが、原文をそのまま用いる方が良いと判断し、原作の独訳を台本としている(原文の台詞を削除している箇所もある)。 前奏なしの4場構成となっていて、第4場の「サロメの踊り(7つのヴェールの踊り)」が著名で単独の演奏や録音も存在する。ただし、劇の流れからするとこの部分はやや浮いており、前後の緊張感あふれる音楽・歌唱を弛緩させているという評価(例えばアルマ・マーラーによる批判[1]など)も少なからず存在する。この「欠陥」は次作の『エレクトラ』でほぼ克服されている。 さほど長い作品ではないが、表題役のサロメは他の出演者に比べて比重がかなり大きく、ほとんど舞台上に居続けで歌うこととなる。また少女らしい初々しさと狂気じみた淫蕩さ、可憐なか細い声と強靭で大きな声といった、両立困難な演技表現が求められる。さらに前述した第4場の「サロメの踊り」の場面では、長いソロダンスを踊らなければならない(ただし、この踊りには代理のダンサーが立てられることもある)。これらのことから、サロメの表題役はドイツ・オペラきっての難役とも言われる。 登場人物 サロメ (ソプラノ) ヘロディアスの娘、連れ子 ヘロデ (テノール) ユダヤの領主 ヘロディアス (メゾソプラノ) ヘロデの妻 ヨカナーン (バリトン) 預言者 ナラボート (テノール) 衛兵隊長 ヘロディアスの小姓 (アルト) 5人のユダヤ人 (テノール4、バス1) 2人のナザレ人 (テノール、バス) カッパドキア人 (バス) 奴隷 (ソプラノ/テノール) エジプト、ローマからの賓客たちとその随員たち、召使たち、兵士たち (以上黙役) あらすじ 紀元30年ごろ、ガリラヤ湖に面したヘロデの宮殿の大テラス。シリア人の衛兵隊長ナラボートは、宮殿で開かれている宴を覗き見し、サロメの美しさに心を奪われるものの、ナラボートをひそかに慕うヘロディアスの小姓にたしなめられる。そこへ救世主の到来を告げる重々しい声。兵士たちによればそれは地下の空の古井戸に幽閉されている預言者ヨカナーンの声だとのこと。 そこへサロメが現れる。彼女は義父であるヘロデが自分に投げかける、情欲むき出しの視線に耐えかね、宴席を抜け出してきたのだったが、聞こえてくる声に興味を示し、ナラボートが自分に好意を抱いていることにつけこんで、ヨカナーンをここへ連れて来いという。兵士たちはヨカナーンに接触することを禁じられていたため、はじめはそれに応じないが、サロメはナラボートに媚を売り、古井戸から連れ出させる。現れたヨカナーンに圧倒されるサロメ。ヨカナーンは彼女には見向きもせず、サロメの母ヘロディアスの淫行を非難するが、サロメはなおも彼に近付こうとする。憧れのサロメの、あまりに軽薄な態度に落胆したナラボートは自決を遂げてしまう。ヨカナーンはサロメをたしなめつつ自ら古井戸に戻る。 やがてサロメを探してヘロデがヘロディアスや家臣たちとともに姿を現す。彼らはナラボートの死体から流れ出た血で足を滑らせたため、ヘロデはナラボートが自決したことを知る。不気味な前兆におびえながらも、ヘロデはサロメを自分の側に呼び寄せ、関心を惹くべく酒や果物を勧めるが、サロメはまったく興味を示さず、ヘロディアスも娘を王に近づけまいとする。 そこへヘロデ夫妻の行状を非難するヨカナーンの声。ヘロディアスは激怒し、彼を黙らせるか、ユダヤ人たちに引き渡してしまえ、と叫び、ユダヤ人とナザレ人たちは言い争いを始める。ヨカナーンの声はなおも響いてくるので、心を乱されたヘロデは気分直しにサロメに舞を所望する。サロメははじめはそれに応じようとしないが、ヘロデが褒美は何でもほしいものを与える、と持ちかけたため、サロメは裸身に7枚の薄いヴェールを身につけて踊り始める。官能的な舞が進むにつれ、ヴェールを一枚ずつ脱ぎ捨ててゆくサロメ。ヘロデは強く興奮し、やがて舞を終えたサロメに何が欲しいかと尋ねる。 サロメの答えは銀の大皿に載せたヨカナーンの生首。さすがに狼狽したヘロデは代わりのものとして宝石や白いクジャク、果ては自分の所領の半分ではどうか、と提案するものの、サロメは頑として合意しない。ヘロデはとうとう根負けし、ヘロディアスが彼の指から死の指輪を抜き取って首切り役人に渡す。役人は古井戸の中へ入ってゆき、サロメはその近くで耳を澄ましている。不気味な静寂だけが続き、サロメが苛立ちを募らせていると、騒々しい大音響が響き、首切り役人が銀の大皿に乗せたヨカナーンの生首を持って現れる。サロメは狂喜してそれを掴むと、お前は私にくちづけさせてはくれなかった、だから今こうして私が、と長いモノローグを歌った後、恍惚としてヨカナーンの生首にくちづけする。そのさまに慄然としたヘロデはサロメを殺せと兵士たちに命じ、サロメは彼らの楯に押しつぶされて死ぬ。 初演 初演の広告 1905年12月9日、ドレスデン宮廷歌劇場 指揮:エルンスト・フォン・シューフ 演出:ヴィルムヘルム・ヴィンク サロメ:マリー・ヴィティヒ(英語版) ヘロデ王:カレル・ブリアン(英語版) ヨカナーン:カール・ペロン(ドイツ語版) 日本初演[2] 1962年4月24日、フェスティバルホール(大阪) 指揮:マンフレート・グルリット 東京フィルハーモニー交響楽団 演出:青山圭男 サロメ:クリステル・ゴルツ(英語版) ヘロデ王:フリッツ・ウール(英語版) ヨカナーン:ヨーゼフ・メッテルニヒ(ドイツ語版) ヘロディアス:三枝貴美子 他 編成 105名~108名必要 ピッコロ 1、フルート 3、オーボエ 2、イングリッシュホルン 1、ヘッケルフォン 1、E♭クラリネット 1、B♭管クラリネット 2、A管クラリネット 2、バスクラリネット 1、ファゴット 3、コントラファゴット 1、ホルン 6、トランペット 4、トロンボーン 4、バスチューバ 1、ティンパニ (小ティンパニを含めて計5個、一人)、タムタム 1、シンバル 1、大太鼓 1、小太鼓 1、タンブリン 1、トライアングル 1、木琴 1、カスタネット 1、グロッケンシュピール 1、(打楽器で6人~7人必要)、チェレスタ 1、ハープ2、第1ヴァイオリン 16、第2ヴァイオリン 16、ヴィオラ10~12、チェロ 10、コントラバス 8、ハルモニウム、オルガン そのほか中小の歌劇場用の3管編成の楽譜が存在している(デュッセルドルフ・オペラ)。 演奏時間 約1時間45分(カット無し) 7つのヴェールの踊り 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 7つのヴェールの踊り(ななつのヴェールのおどり、ドイツ語:Tanz der sieben Schleier (Salome Tanze)、英語: Dance of the Seven Veils)は、サロメがヘロデ・アンティパスの前で踊ったという踊りのことである。 洗礼者ヨハネの処刑をめぐる新約聖書の物語の詳述では、王の前で踊るサロメについての言及があるが、ダンスにはとくに名前はついていない。「7つのヴェールの踊り」という名前は1891年にオスカー・ワイルドがフランス語で書き、1893年に英訳して翌年に英語版が発行された戯曲『サロメ』のト書き「サロメは7つのヴェールの踊りを踊る」("[Salome dances the dance of the seven veils.]")によるものである。このダンスはリヒャルト・シュトラウスのオペラ『サロメ』 にも組み込まれている。 #サロメ,#クラシック,#richardstrauss,#7つのヴェールの踊り,#リヒャルトシュトラウス

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リヒャルト・シュトラウス:楽劇「サロメ」

00:00 Salomes Tanz 演奏者ページ Berliner Philharmoniker (orchestra) Karl Böhm (conductor) 公開者情報 Hamburg: Deutsche Grammophon, 1963. 138 866. 著作権 Public Domain - Non-PD US 備考 Source: Internet Archive 14:40 Dance Of The Seven Veils 演奏者ページ Detroit Symphony Orchestra (orchestra) Paul Paray (conductor) 公開者情報 Mercury, 1959. SR90177. 著作権 Public Domain - Non-PD US 備考 Source: Internet Archive 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 『サロメ』(ドイツ語: Salome)作品54は、リヒャルト・シュトラウスが1903年から1905年にかけて作曲した1幕のオペラ(元々の記述はオペラではなく、「1幕の劇 Drama in einem Aufzuge」であるが、ドイツオペラはむしろオペラと明記してある作品の方が少数でもあり、通常は一括してオペラと呼ばれる)。台本はオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」をもとに、ヘートヴィヒ・ラハマン(英語版)が独訳したもの。 概要 『火の危機』を発表後、この作品と対になる1幕もののオペラを構想したことに始まるといわれる。サロメの物語はもともと『新約聖書』の挿話であるが、オスカー・ワイルドの戯曲になる頃には預言者の生首に少女が接吻するという世紀末芸術に変容している。シュトラウスが交響詩の作曲を通じて培った極彩色の管弦楽法により、濃厚な官能的表現が繰り広げられる。 シュトラウスは最初、アントン・リントナーの台本による作曲を考えていたが、原文をそのまま用いる方が良いと判断し、原作の独訳を台本としている(原文の台詞を削除している箇所もある)。 前奏なしの4場構成となっていて、第4場の「サロメの踊り(7つのヴェールの踊り)」が著名で単独の演奏や録音も存在する。ただし、劇の流れからするとこの部分はやや浮いており、前後の緊張感あふれる音楽・歌唱を弛緩させているという評価(例えばアルマ・マーラーによる批判[1]など)も少なからず存在する。この「欠陥」は次作の『エレクトラ』でほぼ克服されている。 さほど長い作品ではないが、表題役のサロメは他の出演者に比べて比重がかなり大きく、ほとんど舞台上に居続けで歌うこととなる。また少女らしい初々しさと狂気じみた淫蕩さ、可憐なか細い声と強靭で大きな声といった、両立困難な演技表現が求められる。さらに前述した第4場の「サロメの踊り」の場面では、長いソロダンスを踊らなければならない(ただし、この踊りには代理のダンサーが立てられることもある)。これらのことから、サロメの表題役はドイツ・オペラきっての難役とも言われる。 登場人物 サロメ (ソプラノ) ヘロディアスの娘、連れ子 ヘロデ (テノール) ユダヤの領主 ヘロディアス (メゾソプラノ) ヘロデの妻 ヨカナーン (バリトン) 預言者 ナラボート (テノール) 衛兵隊長 ヘロディアスの小姓 (アルト) 5人のユダヤ人 (テノール4、バス1) 2人のナザレ人 (テノール、バス) カッパドキア人 (バス) 奴隷 (ソプラノ/テノール) エジプト、ローマからの賓客たちとその随員たち、召使たち、兵士たち (以上黙役) あらすじ 紀元30年ごろ、ガリラヤ湖に面したヘロデの宮殿の大テラス。シリア人の衛兵隊長ナラボートは、宮殿で開かれている宴を覗き見し、サロメの美しさに心を奪われるものの、ナラボートをひそかに慕うヘロディアスの小姓にたしなめられる。そこへ救世主の到来を告げる重々しい声。兵士たちによればそれは地下の空の古井戸に幽閉されている預言者ヨカナーンの声だとのこと。 そこへサロメが現れる。彼女は義父であるヘロデが自分に投げかける、情欲むき出しの視線に耐えかね、宴席を抜け出してきたのだったが、聞こえてくる声に興味を示し、ナラボートが自分に好意を抱いていることにつけこんで、ヨカナーンをここへ連れて来いという。兵士たちはヨカナーンに接触することを禁じられていたため、はじめはそれに応じないが、サロメはナラボートに媚を売り、古井戸から連れ出させる。現れたヨカナーンに圧倒されるサロメ。ヨカナーンは彼女には見向きもせず、サロメの母ヘロディアスの淫行を非難するが、サロメはなおも彼に近付こうとする。憧れのサロメの、あまりに軽薄な態度に落胆したナラボートは自決を遂げてしまう。ヨカナーンはサロメをたしなめつつ自ら古井戸に戻る。 やがてサロメを探してヘロデがヘロディアスや家臣たちとともに姿を現す。彼らはナラボートの死体から流れ出た血で足を滑らせたため、ヘロデはナラボートが自決したことを知る。不気味な前兆におびえながらも、ヘロデはサロメを自分の側に呼び寄せ、関心を惹くべく酒や果物を勧めるが、サロメはまったく興味を示さず、ヘロディアスも娘を王に近づけまいとする。 そこへヘロデ夫妻の行状を非難するヨカナーンの声。ヘロディアスは激怒し、彼を黙らせるか、ユダヤ人たちに引き渡してしまえ、と叫び、ユダヤ人とナザレ人たちは言い争いを始める。ヨカナーンの声はなおも響いてくるので、心を乱されたヘロデは気分直しにサロメに舞を所望する。サロメははじめはそれに応じようとしないが、ヘロデが褒美は何でもほしいものを与える、と持ちかけたため、サロメは裸身に7枚の薄いヴェールを身につけて踊り始める。官能的な舞が進むにつれ、ヴェールを一枚ずつ脱ぎ捨ててゆくサロメ。ヘロデは強く興奮し、やがて舞を終えたサロメに何が欲しいかと尋ねる。 サロメの答えは銀の大皿に載せたヨカナーンの生首。さすがに狼狽したヘロデは代わりのものとして宝石や白いクジャク、果ては自分の所領の半分ではどうか、と提案するものの、サロメは頑として合意しない。ヘロデはとうとう根負けし、ヘロディアスが彼の指から死の指輪を抜き取って首切り役人に渡す。役人は古井戸の中へ入ってゆき、サロメはその近くで耳を澄ましている。不気味な静寂だけが続き、サロメが苛立ちを募らせていると、騒々しい大音響が響き、首切り役人が銀の大皿に乗せたヨカナーンの生首を持って現れる。サロメは狂喜してそれを掴むと、お前は私にくちづけさせてはくれなかった、だから今こうして私が、と長いモノローグを歌った後、恍惚としてヨカナーンの生首にくちづけする。そのさまに慄然としたヘロデはサロメを殺せと兵士たちに命じ、サロメは彼らの楯に押しつぶされて死ぬ。 初演 初演の広告 1905年12月9日、ドレスデン宮廷歌劇場 指揮:エルンスト・フォン・シューフ 演出:ヴィルムヘルム・ヴィンク サロメ:マリー・ヴィティヒ(英語版) ヘロデ王:カレル・ブリアン(英語版) ヨカナーン:カール・ペロン(ドイツ語版) 日本初演[2] 1962年4月24日、フェスティバルホール(大阪) 指揮:マンフレート・グルリット 東京フィルハーモニー交響楽団 演出:青山圭男 サロメ:クリステル・ゴルツ(英語版) ヘロデ王:フリッツ・ウール(英語版) ヨカナーン:ヨーゼフ・メッテルニヒ(ドイツ語版) ヘロディアス:三枝貴美子 他 編成 105名~108名必要 ピッコロ 1、フルート 3、オーボエ 2、イングリッシュホルン 1、ヘッケルフォン 1、E♭クラリネット 1、B♭管クラリネット 2、A管クラリネット 2、バスクラリネット 1、ファゴット 3、コントラファゴット 1、ホルン 6、トランペット 4、トロンボーン 4、バスチューバ 1、ティンパニ (小ティンパニを含めて計5個、一人)、タムタム 1、シンバル 1、大太鼓 1、小太鼓 1、タンブリン 1、トライアングル 1、木琴 1、カスタネット 1、グロッケンシュピール 1、(打楽器で6人~7人必要)、チェレスタ 1、ハープ2、第1ヴァイオリン 16、第2ヴァイオリン 16、ヴィオラ10~12、チェロ 10、コントラバス 8、ハルモニウム、オルガン そのほか中小の歌劇場用の3管編成の楽譜が存在している(デュッセルドルフ・オペラ)。 演奏時間 約1時間45分(カット無し) #salome,#サロメ,#richardstrauss

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リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドンファン」 作品20

演奏者ページ University of Chicago Orchestra (orchestra) Barbara Schubert (conductor) 公開者情報 Chicago: University of Chicago Orchestra 著作権 Creative Commons Attribution Non-commercial No Derivatives 3.0 [tag/del] 備考 Performed 3 June 2005, Mandel Hall. From archive.org. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 『ドン・ファン』(独: "Don Juan", Tondichtung nach Nicolaus Lenau)作品20は、リヒャルト・シュトラウスが1888年に作曲した交響詩[1]。初期の管弦楽曲でシュトラウスの出世作とされる。理想の女性を追い求めて遍歴を重ねるスペインの伝説上の人物、ドン・ファンを主題としたニコラウス・レーナウの詩に基づいている。 実際に作曲されたのは交響詩『マクベス』作品23より後であるが、『マクベス』は改訂を経ているため、『ドン・ファン』の作品番号が先になった。現在でも、シュトラウスの交響詩のなかでは演奏の機会は多いほうに入る。 作曲の経緯 シュトラウスがミュンヘンの宮廷歌劇場の第3楽長を務めていた時期にあたる[2]1887年から1888年にかけて作曲された。 初演 1889年11月11日、ヴァイマルの宮廷オーケストラによって、作曲者自身の指揮で初演された。 日本初演は1927年11月22日、日本青年館にて近衛秀麿と新交響楽団によって行われた。 曲の構成 一種のロンド形式とソナタ形式で構成されている。ホ長調。 アレグロ・モルト・コン・ブリオ。冒頭、情熱的な弦の上昇音型で「悦楽の嵐」[3]のテーマが出る。すぐに木管の下降音型で理想の女性を表すテーマが出る(5小節目)。続けて弦と木管・ホルンでドン・ファンの行動力を表す第1のテーマが提示される(9小節目)。小休止の後、独奏ヴァイオリンの美しい旋律で最初の女性が提示され(D、2小節目)、木管が最初のランデヴーを表すが(D、19小節目)、音楽は次第に切迫感を高めていき、強烈な不協和音がドン・ファンの失望を表す(F、21小節目)。続いて、弦楽器で第2の女性が現れ、やがてオーボエの魅惑的な旋律[4]でランデヴーが展開される(L、4小節目)。ホルンの強奏による有名な[要出典]メロディーが出る(N、19小節目)。これはドン・ファンの第2のテーマ[4]で彼の不満を表すとされる[要出典]。これまでのドン・ファンのテーマや女性のテーマが交錯し、女性を追い求め、満たされぬドン・ファンの苦悩と焦燥が描かれる。いったん静かになるが(V、10小節目)、再び冒頭のドン・ファンのテーマと第2のテーマが回帰し、絢爛たるクライマックスを築く(W)。三たび冒頭のテーマが出るが、音楽は速度を増し、壮絶なカタストロフがやってくる。全休止の後(Cc、17小節目)、曲はホ短調に変わり、ドン・ファンの悲劇的な死が暗示される。「薪は燃えつくし、炉は冷たく暗くなった」のである。 (練習番号はアイプル社の総譜による) 交響詩『ドン・ファン』op.20は1888年に作曲されたR.シュトラウスの2作目の交響詩です。彼が24歳の時の出世作で、これを足がかりにさらに5作の交響詩を書き、やがてオペラの世界へと進むことになります。なお作品番号としては交響詩『マクベス』op.23より前なのですが、これはのちに彼が『マクベス』を改訂したためであり、作曲順としては『マクベス』が1番目、『ドン・ファン』が2番目となります。 この交響詩は19世紀前半の詩人ニコラウス・レーナウ(1802-1850)の叙事詩『ドン・ファン』を下敷きにしています。ただし彼はそのストーリーを忠実に再現したのではなく、その中から3つの場面を選んで総譜の冒頭に書き記した程度でした。彼はその悲劇的ストーリーではなく、詩の内にある情緒や感情を重要視したのでしょう。 その3つの部分の日本語訳を以下に記します。 いとも魅惑的に美しき女性的なるものの計り知れざる広大なる魔の国よ。 悦楽の嵐の中を過ぎ、最後の女性の口に接吻して死してもよし。 おお友よ、全ての土地を過ぎて飛び行かん。 美の咲くところでは、あらゆる人に跪き、瞬時なりとも勝利を得ん。 我は、飽満と恍惚より遠ざかり、新たなる中に美を得んとし、個々に傷つきつつ美を求めて彷徨う。 今日婦人の息吹に春の香りあれど、明日にはおそらく牢獄の雰囲気のごときものを我は感ぜん。 美しき婦人の広きつどいの中を次々と恋人と彷徨う時、わが恋は次々と変わる。 われは廃墟から寺院を建てんと欲せず。 然り、情熱は常に新しきものなり。 そは、一方から他方へ移るものにあらず。 ただここにて死滅し、他にて新たに生まれうるのみ。 実態を知りなば、悔恨はなにもなし。 世上の各美は一つ一つが唯一なれば、また適する美をそなえる恋人も唯一なり。 出でて絶えず新たに求め続けよ。 青春の燃ゆる鼓動が躍動する限り。 美しき嵐がわれを駆り立てたり。 今はそれは止みて、静けさが残る。 全ての希望と願望は死せるごとし。 おそらく天よりの閃光はわれを軽んじ、わが愛の力を死せるごとくにせしならん。 われにとりて世は突如荒涼とし暗闇となれり、おそらくまたさはあらざらん。 ――薪は尽きたり、炉辺は寒く暗くなれり。 1つ目と2つ目の抜粋は、父親の伝言を携えた兄弟のドン・ディエゴに対するドン・ファンのセリフです。放蕩生活を改めて親元に帰るように諭す伝言を伝えたドン・ディエゴに対してドン・ファンは自身の人生哲学を1つ目の抜粋で、それに対する批判への反論を2つ目の抜粋で語ります。3つ目の抜粋は夕食のシーンより、陰鬱でふさぎこんでいるドン・ファンが彼の友人マルチェロに対して語った内容からです。彼はその会話の中で自身の不毛な人生を終わらせてくれる存在の出現を待ち望みます。なおレーナウの詩中ではその後に、ドン・ファンが殺した貴族の息子であるドン・ペドロが現れ、ドン・ファンは彼との決闘の中で自殺的な最期を遂げます。 初演は1889年11月11日、ワイマールの宮廷でR.シュトラウス自身の指揮で行われました。楽器構成はFl.3(picc.持ち替え), Ob.2, E.Hr.1, Cl.2, Fg.2, C.Fg.1, Hr.4, Tp.3, Tb.3, Tu.1, Timp.1, Tri.1, Cymb.1, Glo.1, Hp.1, 弦5部となっています。 ドン・ファン伝説 ドン・ファン伝説のストーリーは以下の通りです。 プレイボーイの貴族ドン・ファン(DonとはスペインでのMr.やSir.のようなもの)が貴族ドン・フェルナンドの娘を誘惑しますが、彼に見られてしまい、殺してしまいます。後日、墓場でドン・フェルナンドの石像の前を通りかかった時にドン・ファンはその石像を宴会へ招待します。彼は悪ふざけのつもりだったのですが、本当に宴会にドン・フェルナンドが幽霊として現れ、大混乱に陥ります。そしてその混乱の中、ドン・ファンはドン・フェルナンドによって地獄に引き込まれます。この伝説内ではドン・ファンは不道徳、非人道的で罰当たり、神も地獄をも恐れぬ無神論者な好色放蕩青年貴族ですが、最終的には神罰的な死を迎えるキャラクターとして描かれています。ちなみに、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』はこの伝説がそのまま描かれています。 一方でニコラウス・レーナウの叙事詩では、ストーリー進行は大まかには同じなのですが、まずそもそもドン・ファンは完璧主義的な側面があり、完璧な愛、そしてその実現をしてくれる完璧な女性を見つけるために女性を取り替え引き換えします。しかし、そんな女性は見つけられず、厭世観に囚われます。すると自身の父親を殺されたドン・ペドロが現れ、ドン・ファンに決闘を挑みます。ドン・ファンは剣の名手のため、あと一歩で勝利というところだったのですが、そこで自分の理想が叶えられない世界への絶望から剣を捨て、そのまま刺されて息絶えます。 こちらでは伝説のそれとは違いドン・ファンは理想主義的な完璧主義者で、最終的には自殺的な死を迎えるという大きな違いがあります。レーナウの描くドン・ファン像は彼自身の不完全さ、言うなれば人間的側面に目を向けたものと言えるでしょう。 早稲田大学交響楽団(ワセオケ)サイトより https://wso-tokyo.jp/ https://twitter.com/wsotokyo #R シュトラウス #ドンファン #交響詩 #strauss #richardstrauss #also #sprachzarathustra