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リヒャルト シュトラウス:メタモルフォーゼン(Richard Strauss:Metamorphosen, Studie fur 23 Solostreicher)

Jascha Horenstein Orchestre national de la radiodiffusion Francaise 1954 ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮 フランス国立放送管弦楽団 1954年録音 リヒャルト・シュトラウスの『メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作』(Metamorphosen, Studie für 23 Solostreicher)は、1945年にシュトラウスが81歳の時に作曲した楽曲であり、第二次世界大戦の最終期、ドイツが敗れる直前に作曲されました。この作品は、1945年3月13日に作曲を開始し、同年4月12日にガルミッシュ=パルテンキルヒェンで完成しました。約30分間のこのソロストリングスのための作品は、シュトラウスの最後の大きなオーケストラ作品となっています。 また、『メタモルフォーゼン』の作曲は、1944年8月にスイスの指揮者ポール・サッハーからの依頼により始まりました。サッハーは、ツーリッヒのCollegium Musicumのために約30分間の弦楽曲を依頼し、これが『メタモルフォーゼン』の作曲へとつながったものです。この作品は、1946年1月25日にツーリッヒでポール・サッハーの指揮のもとで初演されました。 作品名「メタモルフォーゼン」は、「メタモルフォーゼ(Metamorphose)」の複数形であり、日本では『変容』と訳されることが多いです。技術的には変奏曲に関連していますが、主題に束縛されず、展開がより自由に構成されている点で独自のものとなっています。 『メタモルフォーゼン』は、リヒャルト・シュトラウスによる非常に表現豊かで感動的な作品です。以下に、作品についてのいくつかの補足情報を提供します。 1. **作品の構造**: - 作品の長さは約27分で、大きく3つのセクションに分かれています: 遅い導入部 – やや速い中央部 – 元の遅いテンポで終了します。具体的なテーマについては、以下の5つの主要なテーマが挙げられます: - 開始のコード進行 - 3つの短い音符に続く長い音符 - ベートーヴェンの「エロイカ」からの直接の引用(マルチャ・フネーブレ(葬送行進曲)ムーヴメント) - マイナーキーのトリプレット進行 - 作品全体に縫い通された主要な抒情的テーマ 2. **異なるバージョン**: - 『メタモルフォーゼン』は2つの異なるバージョンで存在し、1つはシュトラウス自身の筆によるもので、「23のソロ・ストリングスのための研究」と副題が付けられています。もう1つは、1994年にルドルフ・レオポルドがシュトラウスのオリジナルの短いスコアを基にして弦楽セプテット用に再現したバージョンです。 3. **背景と影響**: - この作品は第二次世界大戦の最終月に作曲され、しばしば西洋文化の衰退に対するシュトラウス個人の哀歌として説明されています。さらに、1944年の冬、ドイツが戦争で荒廃していた時期に、シュトラウスはゲーテの全集を読んでいました。この期間に、彼は『メタモルフォーゼン』を作曲し、この作品は通常、ベートーヴェンの「エロイカ」からの引用が含まれるドイツ文化に対する哀歌と見なされています。 4. **初演**: - 『メタモルフォーゼン』は、1946年1月25日にポール・サッハーの指揮のもと、ツーリッヒで初演されました。 この作品は、シュトラウスの成熟した作曲スタイルを反映し、細部にわたるカウンターポイントと豊かな和声言語を特徴としています。また、各パートは特定の目的で作られ、全体のプレゼンテーションに重要な役割を果たしています。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 『メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作』(Metamorphosen, Studie für 23 Solostreicher )はリヒャルト・シュトラウス作曲による23の弦楽器のための楽曲。1945年の第二次世界大戦最終期、ドイツが敗れる直前に作曲された、シュトラウス81歳の時の作品である。 「メタモルフォーゼン」は「メタモルフォーゼ(Metamorphose)」の複数形で、日本語では『変容』と訳されることが多く、技巧的には変奏曲に関連するものの主題に束縛されず、その展開がより自由に構成されたものである。また、弦楽合奏曲に属すが、標題にもあるようにあくまでも「独奏弦楽器のため」のものであり、伝統的な弦楽合奏とは本質的に異なった、それぞれの楽器を独奏風に動かしている点に特徴がある。従って作曲者自身がそこに習作的なものを感じて敢えて「習作」と題したのかもしれないという。 作曲の経緯 第二次世界大戦の末期、1944年から45年初めにかけてミュンヘン近郊のガルミッシュ=パルテンキルヒェンにあった作曲者の山荘で作曲、3月13日から総譜化に着手され、ナチス・ドイツ崩壊直前の4月12日に完成された。それより前、1944年の夏に自作の『ダナエの恋』の初演が中止された時に「私の生活は終わった」と語ったシュトラウスであったが、本作の草稿のひとつに「ミュンヘンを失いたるなげき」と書いているように、大戦によってドイツの町並みや農村の風景などが破壊されて行き、自作の初演が行われた多くの劇場や音楽会堂も次々と瓦礫と化していく中で、ドイツの歴史や古くからの文化、伝統の喪失に対する悲しみや、崩壊していく祖国への惜別の思いを込めつつ敢えて筆を進めたという。そして45年2月にベルリンの国立歌劇場やドレスデンの国立歌劇場を始め、3月にはウィーンの国立歌劇場が破壊されたという悲報に接し、エルンスト・クラウゼ(ドイツ語版)によれば「この苦痛の中」でシュトラウスとしては珍しい「短調の支配する曲」を完成させた。 初演 シュトラウスはこの曲を自らの死後発表しようと考えていたようであるが、パウル・ザッハーの手にゆだねて生前の初演を許し、作曲の翌46年1月25日にチューリヒのトーンハレにて、ザッハーが指揮するコレギウム・ムジクム・チューリヒにより初演された。因みにその折の最後の練習ではシュトラウス自らが指揮し、それに接した音楽評論家のヴィリ・シュー(Willi Schuh)は曲のテンポやデュナーミクを力強く高揚させるシュトラウスの指揮ぶりに賛嘆している。 なおこの曲は、初演後にザッハーとチューリヒ・コレギウム・ムジクムに献呈された。 編成 ヴァイオリン10名 ヴィオラ5名 チェロ5名 コントラバス3名 標題のように23名の弦楽器奏者のために書かれているが、通常の弦5部ではなく、各奏者が独立した23のパートを演奏するよう23段のスコアに書かれた、いわば弦楽二十三重奏曲となっている。その書法は緻密を極めている。 音楽 クラウゼによれば「野蛮な帝国主義的戦争」である大戦によって、ドイツの文化財や都市、建築、劇場などの「取りかえしのつかない消失についてのなげき」を表すために作曲されたもので、戦争に対する抵抗の音楽となっている。 曲は3部からなり、緩徐的な2つのアンダンテの部分にややテンポの速いアジタート部が挿入された形式となっているが、全体が無限旋律的に続いた3楽章形式と見ることもできる。また、ベートーヴェンの交響曲『英雄』の第2楽章「葬送行進曲」冒頭4小節の動機を根幹にした主題が様々に変奏されていくのであるが、既述のように厳密な変奏曲の形式は採用していない点も特徴の一つで、更に23もの弦楽がそれぞれ独奏風に奏されるとはいえ音質的には同一なものなので、色彩の変化を好むシュトラウスの作風としてはやや特異なものともなっている。 第1部(アンダンテ)は苦悩を潜めた美しい旋律に始まり、自作の交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』やオペラ『ナクソス島のアリアドネ』の主題、更にはワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』から「マルケ王の示導動機」を配しつつ展開してアジタート部へと進行、アジタートではそれらが悲劇的に凝縮されていき、次いでアンダンテ部で諦念に至るかのように再び緩やかな曲調となり、最後に「葬送行進曲」による主題の原型が低弦によって1回奏されて、全曲を静かに閉じる。曲の終末9小節には“In Memorium”と書き込まれて、そこから前記ベートーヴェンの葬送行進曲の冒頭が再現するのであるが、これによってこの曲がドイツの死を悼む音楽であることが明かされるという。 若き日のシュトラウスが交響詩『死と変容』などで描いた観念的な死、個人の死ではなく、現実の死、一つの国家の死を描いた悲痛きわまりない死の音楽となっている一方で、シュトラウス自身「我が過去の全生涯の反映」と述べているように、過去を追想することによる救済、ある種の肯定性を有するものともなっている。 Walk Into Siena チャンネル登録 https://www.youtube.com/channel/UCqAFiZznfr5Y7wgfV_sOiGQ Walk Into Siena コミュニティ https://www.youtube.com/@WalkIntoSiena/community ヨハン・シュトラウス2世 再生リスト https://youtube.com/playlist?list=PLTtHiFCVwL1w2SkkMR9L9Ybi9Btdlfsbm クラシック全般 再生リスト https://youtube.com/playlist?list=PLTtHiFCVwL1yxp2hTQ64gcreupYj8u6jd #シュトラウス #メタモルフォーゼン #RichardStrauss #Metamorphosen

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リヒャルト・シュトラウス:ブルレスケ ニ短調

Burleske, TrV 145 by Richard Strauss: A short performance by a master composer In this short performance by Richard Strauss, we see the classic Burleske form in a short, concise piece. This work is a great example of Strauss' mastery of the short form, and is a great way to start your day or finish your night. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ブルレスケ(ドイツ語: Burleske, 複数形 ドイツ語: Burlesken)は、クラシック音楽の楽種の一つである。元来の意味は英語のバーレスク(burlesque)に同じで、ユーモアと辛辣さを兼ね備えた、剽軽でおどけた性格の楽曲を指す。 略歴・概要 マクダウェルやレーガーのピアノ曲、マーラーの交響曲 第9番、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲 第1番などの楽章名に見受けられるが、単独のブルレスケとして最も有名なものはリヒャルト・シュトラウスの初期のピアノ協奏曲である。 リヒャルト・シュトラウスは1886年にピアノと管弦楽のための《ブルレスケ ニ短調》を作曲した。青年時代の作品であり、作風や曲想においてブラームスに触発されたことが窺われる。当初は《ピアノと管弦楽のためのスケルツォ》と題され、ハンス・フォン・ビューローに献呈された。しかしながらビューローは、あまりに演奏が至難であることを理由にこの作品の演奏を拒否している。初演は1890年6月21日にアイゼナハの音楽祭で行われた。指揮は作曲者本人であり、独奏者はリストの高弟オイゲン・ダルベールであった。 自由なソナタ形式による単独楽章の作品だが、演奏に約20分を要する。ラフマニノフを彷彿させるような、目のくらむような大変至難なカデンツァが後半に控えている。ピアノの他にティンパニの見せ場も多いことで知られ、冒頭から最後までの要所要所でピアノ、管弦楽と掛け合いを繰り広げる。はじめはティンパニとオーケストラの掛け合いの序奏のあと、ピアノが挑むように華々しく力強く現れる。ピアノが派手な分散オクターブで駆け下りたり、華々しい活躍を見せて技巧をちりばめる。最後はピアノの華麗な上昇でしずかに消えていくのだが、大変荒々しさの印象が残る作品。 グレン・グールド、マルタ・アルゲリッチなどが演奏を残している。 #Burleske,#RichardStrauss,#Strauss,#シュトラウス,#ブルレスケニ短調

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R シュトラウス:アルプス交響曲, Op.64

演奏者ページ DuPage Symphony Orchestra (orchestra) Barbara Schubert (conductor) 公開者情報 DuPage, IL: DuPage Symphony Orchestra 著作権 Creative Commons Attribution Non-commercial No Derivatives 3.0 備考 Performed 16 May 2010, Wentz Concert Hall, Naperville. From archive.org. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 『アルプス交響曲』(Eine Alpensinfonie)作品64は、リヒャルト・シュトラウスが作曲し、1915年に完成した単一楽章の交響曲である。 演奏時間:約50分 作曲時期:1914年11月1日 - 1915年 初演:1915年10月28日、ベルリン、フィルハーモニー楽堂でリヒャルト・シュトラウス指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏による。 出版:F.E.C.ロイカルト 作曲の経緯 シュトラウスが14歳(15歳との説あり)の時に、ドイツ・アルプスのツークシュピッツェに向けて登山をしたときの体験が、この曲の元となっている。その後、1900年に交響詩『芸術家の悲劇』(未完)を経て、1902年には『アンチクリスト、アルプス交響曲』という名称でスケッチがされた。この題名にはフリードリヒ・ニーチェの『アンチクリスト』からの影響が見て取れるといわれている。この時には4楽章形式の交響曲の構想も書かれている。 1911年からガルミッシュ=パルテンキルヒェンの山荘で『アルプス交響曲』としてのスケッチを開始し、1914年から本格的な作曲に取り掛かった。 構成 各部分は切れ目なく演奏される(練習番号はロイカルト社のスコアによる)。 夜 Nacht B mollの下降音階が順番に重なっていく不協和音(夜の動機)により開始される。金管楽器による山の動機が静かに登場する。何重にも分かれた弦楽器により音が厚くなっていく。 日の出 Sonnenaufgang (練習番号7) A dur の太陽の動機がffで出てくる。調性を変えながらメロディーは引き継がれたあと、ゲネラルパウゼとなる。 登り道 Der Anstieg (練習番号11~12) 低音弦楽器による山登りの動機から始まる。流れるような旋律になった後、岩壁の動機が現れ、舞台裏でホルンを中心とした金管楽器のファンファーレが奏される。 森への立ち入り Eintritt in den Wald (練習番号21) 弦楽器の 16分音符の中、トロンボーンとホルンによる旋律が奏され、それに山の動機が絡んでくる。 小川に沿っての歩み Wanderung neben dem Bache (練習番号37~38(ピッコロのパート譜に記載あり)) 小川のせせらぎの音が聞こえるが、登りであるので山の動機も重ねられる。 滝 Am Wasserfall (練習番号40~41) 岩壁の動機に、弦楽器と木管楽器・ハープ・チェレスタによる滝の流れが重ねられる。 幻影 Erscheinung (練習番号42) 水の中にオーボエの旋律による幻影が見えてくる。最後にホルンの旋律が出てくる。 花咲く草原 Auf blumigen Wiesen (練習番号47) 山登りの動機が静かに聞こえてきたあと、曲は快活になる。 山の牧場 Auf der Alm (練習番号50~51) カウベルによる牛の擬音が鳴る中、牛の鳴き声とアルプホルンを模したホルンの音が聞こえてくる。その後、ホルンの旋律とともに登山者は道に迷う。 林で道に迷う Durch Dickicht und Gestrüpp auf Irrwegen (練習番号59) 山登りの動機と岩壁の動機が出てくる。そして山の動機が現れ、次へとつながる。 氷河 Auf dem Gletscher (練習番号67~68) 明るくなり、山登りの動機が現れる。 危険な瞬間 Gefahrvolle Augenblicke (練習番号71~72) 遠くから雷鳴(ティンパニのロール)が聞こえてくる。 頂上にて Auf dem Gipfel (練習番号76~77) 和音が響いた後、トロンボーンが頂上の動機を鳴らし、オーボエが訥々と旋律を奏でる。そして幻影で出てきたホルンの旋律が再び現れる。山の動機と太陽の動機が一体となる。 見えるもの Vision (練習番号87~88) 頂上の動機が和音の下から現れたあと、太陽の動機が管を追加してまた登場する。 霧が立ちのぼる Nebel steigen auf (練習番号97) ファゴットとヘッケルフォーンが不安げな旋律を奏でる。 しだいに日がかげる Die Sonne verdüstert sich allmählich (練習番号98) 太陽の動機が短調で登場し、太陽が翳ってきていることを表している。 哀歌 Elegie (練習番号100) 弦楽器により、登山者は悲しげな歌を口ずさむ。 嵐の前の静けさ Stille vor dem Sturm (練習番号103~104) 遠くから雷(バスドラムとサスペンデッドシンバル)が聞こえてきて、だんだん暗くなってくる。ぽつぽつと降り出した雨(ヴァイオリン・フルート・オーボエ)は、次第に激しくなってくる。そして、風が吹き出してくる(ウィンドマシーン)。 雷雨と嵐、下山 Gewitter und Sturm, Abstieg (練習番号109~110) オルガンの和音とウィンドマシーンによる風の吹く中、登山者は下山する。これは山登りの動機を転回し、逆の順序で用いることで表されている。強烈な稲妻が光り、最後にはシュトラウス特注のサンダーマシーンにより落雷が起こる。その後はだんだん静かになってくる。 日没 Sonnenuntergang (練習番号129) 太陽の動機が転回され、日没を表している。登山者は哀歌を口ずさむ。 終末 Ausklang (練習番号134) オルガンにより太陽の動機が奏され、山登りの動機も回想的に使われ、あたりは暗くなってくる。 夜 Nacht (練習番号144~145) 冒頭部の夜の動機がまた現れ、山の動機とともに静かに終わる。 #シュトラウス,#アルプス交響曲

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リヒャルト・シュトラウス:ドン・キホーテ, Op.35

00:00 Introduction - Massig - Maggiore - Variation 1: Das Abenteur mit den Windmuhlen - Variation 2: Der Kampf gegen die Hammelherde - Variation 3: Gesprache zwischen Ritter und Knappe - Variation 4: Das Abenteur mit der Prozession von Bussern - Variation 5: Don Quixotes Wacht in der Sommernacht - Variation 6: Die verzauberte Dulzinea - Variation 7: Der Ritt durch die Luft - Variation 8: Die Fahrt auf dem verzauberten Nachen [Barcarolle] - Variation 9: Der Kampf gegen die vermeintlichen Zauberer: der Angriff auf Variation 10: Zweikampf mit dem Ritter vom blanken Monde; Heimkehr des Finale: Don Quixotes Tod 演奏者ページ DuPage Symphony Orchestra (orchestra) Barbara Schubert (conductor) 演奏者 Sebastian Bäverstam (cello) 公開者情報 DuPage, IL: DuPage Symphony Orchestra 著作権 Creative Commons Attribution-NonCommercial 3.0 [tag/del] 備考 Performed 11 May 2013. From archive.org #herbertvonkarajan #berlinerphilharmoniker #リヒャルト・シュトラウス #ドン・キホーテ #classicalmusic

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リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドンファン」 作品20

演奏者ページ University of Chicago Orchestra (orchestra) Barbara Schubert (conductor) 公開者情報 Chicago: University of Chicago Orchestra 著作権 Creative Commons Attribution Non-commercial No Derivatives 3.0 [tag/del] 備考 Performed 3 June 2005, Mandel Hall. From archive.org. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 『ドン・ファン』(独: "Don Juan", Tondichtung nach Nicolaus Lenau)作品20は、リヒャルト・シュトラウスが1888年に作曲した交響詩[1]。初期の管弦楽曲でシュトラウスの出世作とされる。理想の女性を追い求めて遍歴を重ねるスペインの伝説上の人物、ドン・ファンを主題としたニコラウス・レーナウの詩に基づいている。 実際に作曲されたのは交響詩『マクベス』作品23より後であるが、『マクベス』は改訂を経ているため、『ドン・ファン』の作品番号が先になった。現在でも、シュトラウスの交響詩のなかでは演奏の機会は多いほうに入る。 作曲の経緯 シュトラウスがミュンヘンの宮廷歌劇場の第3楽長を務めていた時期にあたる[2]1887年から1888年にかけて作曲された。 初演 1889年11月11日、ヴァイマルの宮廷オーケストラによって、作曲者自身の指揮で初演された。 日本初演は1927年11月22日、日本青年館にて近衛秀麿と新交響楽団によって行われた。 曲の構成 一種のロンド形式とソナタ形式で構成されている。ホ長調。 アレグロ・モルト・コン・ブリオ。冒頭、情熱的な弦の上昇音型で「悦楽の嵐」[3]のテーマが出る。すぐに木管の下降音型で理想の女性を表すテーマが出る(5小節目)。続けて弦と木管・ホルンでドン・ファンの行動力を表す第1のテーマが提示される(9小節目)。小休止の後、独奏ヴァイオリンの美しい旋律で最初の女性が提示され(D、2小節目)、木管が最初のランデヴーを表すが(D、19小節目)、音楽は次第に切迫感を高めていき、強烈な不協和音がドン・ファンの失望を表す(F、21小節目)。続いて、弦楽器で第2の女性が現れ、やがてオーボエの魅惑的な旋律[4]でランデヴーが展開される(L、4小節目)。ホルンの強奏による有名な[要出典]メロディーが出る(N、19小節目)。これはドン・ファンの第2のテーマ[4]で彼の不満を表すとされる[要出典]。これまでのドン・ファンのテーマや女性のテーマが交錯し、女性を追い求め、満たされぬドン・ファンの苦悩と焦燥が描かれる。いったん静かになるが(V、10小節目)、再び冒頭のドン・ファンのテーマと第2のテーマが回帰し、絢爛たるクライマックスを築く(W)。三たび冒頭のテーマが出るが、音楽は速度を増し、壮絶なカタストロフがやってくる。全休止の後(Cc、17小節目)、曲はホ短調に変わり、ドン・ファンの悲劇的な死が暗示される。「薪は燃えつくし、炉は冷たく暗くなった」のである。 (練習番号はアイプル社の総譜による) 交響詩『ドン・ファン』op.20は1888年に作曲されたR.シュトラウスの2作目の交響詩です。彼が24歳の時の出世作で、これを足がかりにさらに5作の交響詩を書き、やがてオペラの世界へと進むことになります。なお作品番号としては交響詩『マクベス』op.23より前なのですが、これはのちに彼が『マクベス』を改訂したためであり、作曲順としては『マクベス』が1番目、『ドン・ファン』が2番目となります。 この交響詩は19世紀前半の詩人ニコラウス・レーナウ(1802-1850)の叙事詩『ドン・ファン』を下敷きにしています。ただし彼はそのストーリーを忠実に再現したのではなく、その中から3つの場面を選んで総譜の冒頭に書き記した程度でした。彼はその悲劇的ストーリーではなく、詩の内にある情緒や感情を重要視したのでしょう。 その3つの部分の日本語訳を以下に記します。 いとも魅惑的に美しき女性的なるものの計り知れざる広大なる魔の国よ。 悦楽の嵐の中を過ぎ、最後の女性の口に接吻して死してもよし。 おお友よ、全ての土地を過ぎて飛び行かん。 美の咲くところでは、あらゆる人に跪き、瞬時なりとも勝利を得ん。 我は、飽満と恍惚より遠ざかり、新たなる中に美を得んとし、個々に傷つきつつ美を求めて彷徨う。 今日婦人の息吹に春の香りあれど、明日にはおそらく牢獄の雰囲気のごときものを我は感ぜん。 美しき婦人の広きつどいの中を次々と恋人と彷徨う時、わが恋は次々と変わる。 われは廃墟から寺院を建てんと欲せず。 然り、情熱は常に新しきものなり。 そは、一方から他方へ移るものにあらず。 ただここにて死滅し、他にて新たに生まれうるのみ。 実態を知りなば、悔恨はなにもなし。 世上の各美は一つ一つが唯一なれば、また適する美をそなえる恋人も唯一なり。 出でて絶えず新たに求め続けよ。 青春の燃ゆる鼓動が躍動する限り。 美しき嵐がわれを駆り立てたり。 今はそれは止みて、静けさが残る。 全ての希望と願望は死せるごとし。 おそらく天よりの閃光はわれを軽んじ、わが愛の力を死せるごとくにせしならん。 われにとりて世は突如荒涼とし暗闇となれり、おそらくまたさはあらざらん。 ――薪は尽きたり、炉辺は寒く暗くなれり。 1つ目と2つ目の抜粋は、父親の伝言を携えた兄弟のドン・ディエゴに対するドン・ファンのセリフです。放蕩生活を改めて親元に帰るように諭す伝言を伝えたドン・ディエゴに対してドン・ファンは自身の人生哲学を1つ目の抜粋で、それに対する批判への反論を2つ目の抜粋で語ります。3つ目の抜粋は夕食のシーンより、陰鬱でふさぎこんでいるドン・ファンが彼の友人マルチェロに対して語った内容からです。彼はその会話の中で自身の不毛な人生を終わらせてくれる存在の出現を待ち望みます。なおレーナウの詩中ではその後に、ドン・ファンが殺した貴族の息子であるドン・ペドロが現れ、ドン・ファンは彼との決闘の中で自殺的な最期を遂げます。 初演は1889年11月11日、ワイマールの宮廷でR.シュトラウス自身の指揮で行われました。楽器構成はFl.3(picc.持ち替え), Ob.2, E.Hr.1, Cl.2, Fg.2, C.Fg.1, Hr.4, Tp.3, Tb.3, Tu.1, Timp.1, Tri.1, Cymb.1, Glo.1, Hp.1, 弦5部となっています。 ドン・ファン伝説 ドン・ファン伝説のストーリーは以下の通りです。 プレイボーイの貴族ドン・ファン(DonとはスペインでのMr.やSir.のようなもの)が貴族ドン・フェルナンドの娘を誘惑しますが、彼に見られてしまい、殺してしまいます。後日、墓場でドン・フェルナンドの石像の前を通りかかった時にドン・ファンはその石像を宴会へ招待します。彼は悪ふざけのつもりだったのですが、本当に宴会にドン・フェルナンドが幽霊として現れ、大混乱に陥ります。そしてその混乱の中、ドン・ファンはドン・フェルナンドによって地獄に引き込まれます。この伝説内ではドン・ファンは不道徳、非人道的で罰当たり、神も地獄をも恐れぬ無神論者な好色放蕩青年貴族ですが、最終的には神罰的な死を迎えるキャラクターとして描かれています。ちなみに、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』はこの伝説がそのまま描かれています。 一方でニコラウス・レーナウの叙事詩では、ストーリー進行は大まかには同じなのですが、まずそもそもドン・ファンは完璧主義的な側面があり、完璧な愛、そしてその実現をしてくれる完璧な女性を見つけるために女性を取り替え引き換えします。しかし、そんな女性は見つけられず、厭世観に囚われます。すると自身の父親を殺されたドン・ペドロが現れ、ドン・ファンに決闘を挑みます。ドン・ファンは剣の名手のため、あと一歩で勝利というところだったのですが、そこで自分の理想が叶えられない世界への絶望から剣を捨て、そのまま刺されて息絶えます。 こちらでは伝説のそれとは違いドン・ファンは理想主義的な完璧主義者で、最終的には自殺的な死を迎えるという大きな違いがあります。レーナウの描くドン・ファン像は彼自身の不完全さ、言うなれば人間的側面に目を向けたものと言えるでしょう。 早稲田大学交響楽団(ワセオケ)サイトより https://wso-tokyo.jp/ https://twitter.com/wsotokyo #R シュトラウス #ドンファン #交響詩 #strauss #richardstrauss #also #sprachzarathustra