神様から離れたがらぬ人生
神様から離れたがらぬ人生
アメブロに2020年6月30日にあげた記事です。
大祓~神様から離れたがらぬ人生
今日は大祓です。半年間たまりにたまった厄を清める日であり、禊の日・生まれ変われる日であります。
日本の良いところはこうやって一般人であっても禊の日・生まれ変われる日がたくさんあるところです。
・1月1日→元旦、カレンダー上の年のはじめ。
・2月3日→節分、年の終わり。
・3月20日か21日→春分、占術の世界では重視する人もいます。
・3月31日→年度の終わり
・4月1日→年度のはじめ。
・6月30日→大祓
・9月22日か23日→秋分、占術の世界では重視する人もいます。
・12月31日→おおみそか、カレンダー上の1年の終わり
などなど。あとは自分の誕生日もある意味では節目ですよね。
私は幼稚園から最終学校まで、あらゆる宗教を渡り歩いてきた宗教学校ロマです。悪く言えば一貫性がないのですが、良くも悪くも宗教には寛容的な考え方になりました。しかし、宗教や神仏には優劣がないという考えで、葬式は無宗教葬を希望しています。
中でも一番影響を受けたのは、ガチのカトリックの幼稚園(東京大司教区)ですが、その時に大変印象的な言葉を公教要理の時間に言われました。
今でも耳に残っているのは、「将来、何になってもよいから(わかりやすいのは何の職業に就いても就かなくてもよいからということでしょう)、神様から離れたがらぬ人になりなさい。」です。
これはものすごく重い言葉です。常に見えない存在である神様を意識して生きなさいよという言葉でしょうが、仏様も含めると、私は半強制的に神仏から離れない人生となりました。少なくとも学校教育では無宗教のところには行きませんでした。
あと、重い話では、
・神様を信じることは薬を飲むことではないから、信じたからといって具合が悪いのを消してくれるわけではないのです=宗教は特効薬ではない
・神様は教会の奥にいらっしゃって人間を見ているのではなく、心の中にいるのです。だから、お祈りをするときは心を綺麗にしていないとお祈りは届かないのです。
・困っている人はイエズス様と同じ(困っている人を助けることはイエズス様を助けることと同じ)
=おそらくマタイによる福音書の10.42にある「この一人の小さな者に一杯の冷たい水でも飲ませる者は、アーメン、私は言う、天にてその褒美にもれることはない」(塚本虎二訳『新約聖書 福音書』岩波書店、2007年)という文言からきていると思います。
というこの3つです。
そういえば、有名なカトリック信者で長崎大学の教授でもあった永井隆先生も『この子を残して』の中で、「(娘のカヤノさんは)神様から離れたがらぬ人であってほしい」、「神様は神殿の中にいるのではない」、「宗教は薬ではない」と書いていました。
神道とキリスト教は異なるのですが、宗教的な要素の行事を目にするたびに、私はこのことを思い出すのです。世界中には神という概念がありますが、どのような宗教の神様(仏様も)であっても、きっと人間や動植物などの真の幸せを願って見守っているのではないかと思うのです。
#大祓 #カトリック #東京大司教区 #永井隆 #この子を残して #マタイによる福音書 #神仏
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