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「これでいいのだ」という悟り-まず受けとめる、話はそれから

※2021年12月24日にアメブロに投稿した記事です。

「これでいいのだ」という悟り-まず受け止める、話はそれから


「これでいいのだ」という言葉があります。

このたった7文字の言葉には、悲しみ・苦しみの中にある方を救うヒントになるものがあると思い、あえてクリスマスイブの日に記事を書きました。

この言葉は、昔、風水で有名なドクターコパさんが、おっしゃっていた「出た答えが1番」に通じるものがあります。

私が通っていたガチのカトリック幼稚園の教えを引用するならば、「すべては神様のおはからい」です。

もちろん、何かが起こった時、現状を自分や周囲の方にとってよくしようと努力をされることは素晴らしいことですが、やはり現実には自分が思い描いていたものと異なる結果を生むこともあります。

そして、色々と考える人ほど悩み、自分が全ていけないのだというように自分を責めます。

それがエスカレートすると、自分を消そうとします。

しかし、自分でそのようなネガティブな結果が出てきた理由がわかる場合はともかく、突発的なアクシデントや、理由が不明なものは、ものすごい広い視点で見てみると、「起こるべくして起きている」「必要だから起こった」としか思えないものです。

このことを考えると必ず自分の中に言葉として出てくるのは、赤塚不二夫さんの『天才バカボン』でバカボンのパパが言っている「これでいいのだ」という言葉なのです。

※出典:バカボンのパパの画像 https://store.line.me/stickershop/product/1139986/ja

この言葉はシンプルですが、目の前に生じたあらゆることを全てありのままに、ジャッジもしないで受けとめる「空や海のように広く果てしなく広大な言葉」・「良いも悪いもないという、徹底的な平等の先にある悟りの言葉」であると言えます。深く重い言葉です。

バカボンは「バカなぼんぼん」であると、1967年週刊少年マガジおよび初期のコミックには名前の由来が書いてありますが、最近言われるところによると、これはサンスクリット語の「Bhagavad(ヴァガバッド)」→「薄伽梵」(仏や貴人の称号/幸運を持つ人)からきているそうです。

ただ、公式サイトにはない見解で、赤塚さんご本人は「薄伽梵」の言葉についてお話をされていたものの、明確な回答をされなかったともいわれています。

※出典:あの有名キャラ、元祖はお釈迦様? - ことばマガジン:朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/danwa/2011062500001.html

そのような言葉と赤塚さんについて、彼に発掘されたタモリさんは赤塚さんの葬儀で次のようにおっしゃっています。

「あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。」

※出典:【お寺の掲示板の深い言葉 22】「これでいいのだ」
https://diamond.jp/articles/-/182931

聞いたところによると、赤塚さんのお母様は、赤塚さんが大変な状況の時も、「不二夫は天才だからね」と全肯定の言葉を投げかけていらっしゃったそうです。

もしかしたら、「これでいいのだ」の背景には、このお母様の言葉の影響もあるのかもしれません。

良い時もネガティブな時も、「これでいいのだ」と。難しいことを難しく説明するのは誰にでもできます。前述したように、難しい意味・言葉を簡単にシンプルに誰にでもわかりやすく伝えるのは容易ではありませんが、この「これでいいのだ」には、それらが集約されていると感じます。

新しい年がやってきました。人によっては「あれもこれもできていない」と自分を責めることもあろうかと思います。しかし、全てが完璧で思い通りにできるだけがよいのではありません。できないことがあっても、それをひっくるめての自分であり人生です。

「これでいいのだ」とまずは受けとめることです。

そう思うと、気持ちが軽くなり、それが良い波動を招き、やがて幸福を招き、1人から複数へ複数から世界へ幸福が広がっていくと思うのです。

世界の最小単位は自分です。幸せな最小単位が増えれば、世界全体が幸せになります。

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