柳原良平主義〜RyoheIZM 43〜
しつこい男
「しつこい」とは
「しつこい」とか「執念深い」とかいう言葉は、あまりいい意味には使われない。「くどい」とか「いつまでもつきまとってうるさい」といった意味と解釈されているからだ。
ある日、柳原良平の性格をひと言で言うと?という質問に、「しつこい」と答えた人がいて、なんて失礼な!と驚いたことがあった。それも、よりによって柳原作品をたくさん所有し、公認コレクターと柳原自身が認めている藤井貢一氏の言葉だったからだ。
「しつこさ」ケース・スタディ
しかし先の藤井氏から送っていただいた資料でわかったが、柳原自身は確かに自身の性格を「しつこい」と書いていた。「執念深い」とも。子供のころから好きだった、絵を描くという行為、そして子供のころに好きになった乗り物である船を、ずっと好きでい続けた、という意味だった。
よくよく聞いてみると藤井氏も、その意味で「しつこい」という言葉を使っていたので納得がいった次第。
「先生は、小学生からずっと絵を描いて、亡くなるまで絵を描き続けられましたからね」
しつこい少年
柳原が子供時代、第二次世界大戦中に軍艦マニアになった小中学生は、決して少なくなかった。柳原もそのひとりだったが、周囲の船好き仲間は、戦争が終わると軍艦や船への思いは忘れ、さっさと別の興味の対象に乗り換えていった。
分岐点はここだ。柳原の場合、それでも船が好きで、民間の商船が戦争でどういう運命をたどったのかが気になって仕方がなかった。船への興味を失った仲間たちから見れば、そんなことを知ってどうするのだ?と思うだろう。多くは「船好き」にとどまり、その先の「船キチ」の領域に踏み込まなかった。
しつこさの理由
おそらくだが、そこに理由などはなく、行方不明になった恋人の安否を知りたがるような、本能に近い欲求だったのだと思う。知的好奇心の一種と見ることもできる。
とはいえ柳原の場合、あらゆる船を覚えており、以前に見た船を再度見かけると「久しぶりだなァ。元気に航海してきたかい?」などと心の中で呼びかけるらしいから、本能的欲求と見立てるほうが近いようだ。
柳原少年は当時いてもたってもいられず、戦後に船がどうなったか(沈没か残存か)教えてほしい、と主だった海運会社に手紙を書いた。そして結果的には、その行動のおかげで大阪商船(現・商船三井)に出入りするようになり、柳原の運命が動く。
しつこさ転じて
柳原の「しつこさ」や「執念深さ」は、思いの丈を表している。そしてそこに、絵を描くとかいった、何らかの技量がシンクロしたときに初めて、才能という称賛される言葉に変換される。というわけで、柳原のしつこさは、才能を包含していたことがわかる。
たとえば紙で船の模型を作ることは、頑張ればできるかもしれない。だが家の床の間に何十隻もの艦隊を飾ることは、しつこさがなければできない。
読者サービスのためとはいえ、4,000人近い読者に(もちろん無料で)、好きな船をリクエストさせ、その絵を描いて送ることなど到底無理だ。柳原は2年の歳月をかけて、それをやり切った。
それから先のことは
やり切ったとき爽快だったと回顧している記述を読んだ。確かに、しつこさの延長に爽快があるというのは多少は想像できる。ただし柳原のレベルはもはやアスリート・クラスだ。
最後に、つきまとう対象がなんでもいいというわけではない。たとえば好きな異性だったりすると、爽快とは真逆の人生を歩む可能性もあるのでご注意を。特に現代においては。(以下、次号)
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