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~プチアイムはじまりの物語~ふたえコスメの原点とは…!?

突然ですが…

ローヤルは昭和→平成→令和と3時代に渡り、ずっと女性の「きれいになりたい!」に寄り添い、ふたえコスメを多くの方に提供しているけっこうな老舗メーカー、、、

そしてっ!

アイラッシュカール(まつげカール)のパイオニア!ということを皆さんはご存じでしたか?


今回は、そんな「ローヤルブランドストーリー」ともいうべき物語を少しだけ紐解いてみたいと思います。少し長くなりますが、最後までご一読いだけたら幸いです!


《はじまりの地は、五反田の美容室》

今から約60年前、創業者である本多美喜雄が「ミキオ美容室」を五反田にオープンさせたことからローヤルの歴史は始まりました。


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↑ ↑ ↑ ↑ 創業者 本多 美喜雄 ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ 


本多は、美容室を経営しながら多くのヘアーショーや雑誌の表紙デザインなど同時にいくつもの仕事をこなす一方で、当時としては珍しい男性美容師としても名を馳せていました。

聞いたところによると、日本人男性としての美容師登録で、1番目2番目からしいです。生きていたらもう神レベルの存在です。今でさえ男性美容師は数多いらっしゃいますが、当時はホントに珍しらしかったようです。


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イベントでローヤルアイテープによる二重まぶたショー(?)を実演! ミキオ、こっかよき。 


《整形埋没法から生まれた二重コスメ誕生》


今では「ふたえコスメのパイオニアブランド」といえばローヤルですが、そのきっかけとなった美容整形外科と共同開発した商品、

「ローヤルアイテープ」

を1963年にリリースします。現在でも当時と変わらぬパッケージのロングセラー商品なんですよ!


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当時の週刊誌に掲載された記事切り抜き。「都会派」「キメちゃう」が当時感まるだしです。 モデルさんの眉毛もキマっててナウいです。


当時は、ファッション誌など雑誌の通信販売を中心に商品を提供していたのですが、軽快な話術で相手を楽しませることに聡い本多は、テレビ番組にもひっぱりだことなり、美容研究家として活躍の場をどんどん広げていきました。

男性美容研究家というと、今では小指立ててる系のこざっぱりした人(?)が目立っていますが、ミキオの画像を見ると、ガッツリと「野郎」なので、現代人の感覚とは少し違うのかもしれませんね。


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フジテレビ「リビング2」に出演の様子。昭和感はんぱない。


《稀代のアイデアマン、常に時代を先駆けた商品開発》

1966年以降、アイデアマンでチャレンジ精神旺盛な本多は、実に様々なことに挑戦していきます。

★挑戦その1★
当時、女性の憧れだった「外国人」を参考に、痛くてつらい永久脱毛を回避するためのムダ毛を金髪に染める“ムダ毛を脱色する美容剤”の開発


★挑戦その2★
けがや病気などで爪が取れてしまったり、脆くなった爪を何とか助けてあげようと“弱い爪を保護するための人工爪”の開発


★挑戦その3★
ストーブなどで焦げてしまった頭皮や、薄毛・円形脱毛症などでお悩みの人のための“人工植毛“の開発


・・・などなど、今では身近になった技術も、時代に先駆けて商品を開発。
まぁ、時代の先を行き過ぎて地球をグルっと一回りしちゃって、誰にも相手にされない残念商品がほとんどだったそうです(笑) やりすぎなミキオです。


《ローヤルビューティーセンター開設》

そんな本多ですが、女性のお悩みをもっと気軽に気楽に気前よく相談できる場所があったらいいなという突然の悟りにいたり、1975年、当時では珍しい脱毛美容を中心とした“総合美容相談所 ローヤルビューティーセンター”を開設します。まいど逸りすぎなミキオです。

このころ本多は、トータルビューティーアドバイザーとして、様々な美容のお悩みを解決することにも尽力。女性が集まる場所を作ることで、多くの女性に役立つ新しい技術を、もっと(;゚∀゚)=3ハァハァ(*´Д`)吐息がかかるくらい近い距離で伝えたかったのだと思います。

そしてこのことをきっかけとして、エステティック業界のパイオニアとして、また、Beauty Techの開発リーダーとして、美容商材の研究開発に没頭していきます。美容研究家から美容オタクに変わった瞬間です。全力で地球を周回してお客様を置いてけぼりにするミキオです。


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1975年当時の女性セブン切り抜き。相変わらずの野郎美容家っぷり。「ムダ毛解消23年の実績」。ムダ毛を23年もの間、全力で剥きまくってます。剥いて剥いて剥きまくるミキオです。


《完成!オリジナルまつげカール(パーマ)》

1976年、本多はふと「逆さまつげを治すために、まつげにパーマをかけたらどうよ?」と美容師ならではのキテレツ発想(?)で、さらに研究開発に没頭。ミキオの限界をすでに超えています。スーパーミキオ人に変態してます。

1981年には、「UMウェーブ法まつげパーマ美容」という謎のテクニカル技術をどこよりも早く我先にと実用化させました。どこよりも早くというより、そんな謎テクを研究している人は周りにいなかっただけでは。。。。と勘繰られるほど珍しかったというね。

本多の発想は周りの制止を振り切って暴走する僻があり、「子供にも(パーマを)かけられるか実験してみようかな?」と、ふらふら(;゚∀゚)=3ハァハァしながら、当時まだ幼少だった娘の天野(現代表)に半強制的にまつげパーマをかけたそうです。

当時を振り返り、現代表の天野は「やばい、やばい、マジやばい。何がやばいって、マジやばかった」とNGワードを連呼してます。

やがて、1984年頃に今に受け継がれているまつげカール(パーマ)がスタート。(※ちなみにローヤルのまつげカール(パーマ)は、まつげの根元からムキっとググっと立ち上がらせて、キュリーンとしてシュッとした伸びやかなカールをつくります。こんな擬音祭りな「まつ毛カール」を、かけてみたい方はぜひ五反田サロンへ!)

他に類を見ない技術が好評で、当時はサロンの予約が取れないほど連日人気を博していたとのことです。この忙殺されるほどの超絶人気のメッチャ忙しいときに、現代表の天野はこのサロンにジワリと携わりはじめ、目元美容のプロフェッショナルとしてテッカテカに鍛えられていきます。

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ローヤルアイラッシュカール。ローヤルのオリジナルロッドも開発したミキオ。このころから存在が神に近くなってます。怖いものなしです。


《皮膜式ふたえコスメとサロン発の目元美容アイテム》

1995年以降、皮膜式ふたえコスメやサロン発のまつげ美容液や透明マスカラがシリーズ化され、バラエティショップやドラッグストアなど多くの店舗で購入できるようになっていきました。

さらに2002年頃、思いもよらぬ福音、皮膜式の二重コスメがTV通販で空前・・・かどうかわかりませんがめっちゃヒットしちゃいます!!どの年齢層にも等しくご愛用される人気商品となり、今もなお多くの方々にご利用いただいております。

最後に…

歴史の長い会社だからこそ、今に至るまで多くのドラマがありました。ローヤルは、目もとの美の「本質」を追求し、化粧による単なる変化だけではなく、一人の女性としての個性、それに伴う幸福感を持っていただける商品やサービスを提供していきたいと思います。皆さまの「きれいになりたい!」に、少しでも永く寄り添っていけるよう努めてまいります。

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