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Code : Media−Lifepath


アーカイブス 01

 その日、私はとにかく死ぬほどむしゃくしゃしていたのを覚えている。

「Lifepath? ──あぁ、なんかあったねそういうの」
 もはや古代遺産と同じレベルに稀少価値に成り下がったクソ狭い喫煙所──適切な換気のために人数制限がされている──で、休憩しながら同僚がまた別の同僚とぼやいた。Lifepath? なんだっけそれ。私は咥えているアークロイヤルの灰を携帯灰皿に落とす。本当は室内では喫煙所だろうと加熱式タバコしか吸うなと言われているが、あんなもんを吸うくらいなら私はタバコを辞める。たぶん。いつか。
「娘がさ、これで映画撮るのにハマってんの。3Dだか4DX? 俺はよくわかんねーけど、今時の小学生はもう何でも端末で出来ちまうね。俺ついていけね」
「それ確かVRじゃなかった? なんかホラ、立体投影できんだろ?」
「それも出来るっぽい、なんか違う気すっけど。まあ、とにかく、今時はこれで映画作っちゃうんだわ、チャチな動画じゃねえべした? ちゃんと映画になってんの。ホラ見てみ」
「あ〜すげ 映像の加工ヤバくないですか?」
「んだから」
 なんだか盛り上がっている。その場凌ぎの暇つぶしには良さそうだ。
「へえ、そんなにすごいんです? 私も見ていいっすか?」
「おっ 見てみ見てみ〜」

 Lifepathのアプリ画面から再生されるアーカイブを眺める。初め、それはよくあるホームビデオの体裁をとっていた。
 よくある編集ムービーだと思った。それが次第にカット割されていき、そして雲行きが怪しくなる。段々とただ流れていただけの映像と音楽に物語が浮かび上がっていき──起承転結の末、最後にきちんと解決してエンドロールが流れた。

「すごい、娘さん映画監督じゃないですか」
「これを専用の端末で観るとちゃんと自分で動いて映画を体験できんだと」
「はぁ〜未来だなあ」
「現代の技術ですよ」

 こんなものがあるとは。
 VRゲームとか地方過ぎて周りでやっている人間を見たことがなかったが、これはちょっと面白そうだ。もう十年近く前のARゲームくらいなら、まあまあ見かけた記憶があるが、それにしても科学の進歩は目覚ましい。
 どうせなら早く私の仕事も全部科学がやってくれたらいいのだがと願ってしまう。世界は私より頭が良い人が回している筈なのに、どうして頭の悪い私なんかが労働せにゃならんのだろう。この世の不思議である。

 それにしても、映画なんて。
 休憩時間を終えてデスクに戻り、スケジュールのタスクを確認しながら、最後に映画館に行ったのはいつだろう、と思案してゾッとした。自分の年齢を指折り数えたくない年頃ではあるのですぐに考えを打ち消した。
 というか、今、──映画館て、あるよね?
 それまで、全くもって映画館の存在自体を忘れていることに気がつく。嘘でしょ嫌な予感がする。絶対に当たるな、いやでも思い当たる節が、いや予感頼むから外れてくれ。

 地元の映画館の名前で検索すると、そこに「閉館」の文字がすぐサジェクトされた。

「そりゃそうだよな、そうだよ行ってなかった私が悪い、んだけど…!」
 退勤後すぐさま向かったかつて通っていた映画館──そのまま残った廃墟ビル──を見て、私はうなだれた。
 実はそこそこ、若い頃映画は好きな方だった。
 いわゆる超大作の娯楽作品から単館系まで、割と食わず嫌いせずに何でも観ていた。好みもこだわりも強い方ではなかったが、映画はおおよそ二時間で全ての話が終わるというのも好きだった。好き、だったのだが。

「好きなことも忘れてた」
 生きて生活するために働いて、働き続けるために資格勉強して、曲がりなりにも昇給して、それでようやく何とか食べていくだけでなく老後の貯蓄を備えた。
 疎遠になった実家との折り合いをどうつけるか胃を荒らしつつ、結婚や子育てで忙しい友人達にご祝儀やら節目にお祝いを送り、次第に日常的に話したり飲む相手もいなくなり、せいぜいたまに配信を見て寝るだけで気が付けば──自分が何を好きだったのか、そんなことも思い出さなくなっていた。
 ていうか、私、何でこんな空きビルの映画館まで来たんだっけ。
 
「──Lifepath…」
 そうだ。Lifepathだ。アプリケーション自体は既にインストールしていた。観たことも作ったこともないあらゆる映画の可能性が、アプリを通してこの手の平とつながっている。──ならば。

 でも。
 じゃあ、私は一体──どんな映画が好きだった?

 昔観たタイトルのいくつかは浮かぶ。浮かんだが、今すぐに観たいと思うかはまた別だ。それらの何が、どうして好きだったかは思い出せない。断片的に浮かび上がる記憶を引き摺り出すたび、映画の内容が自分の中でごちゃ混ぜになっていた。

「──なんで、」
 これが好きだと胸を張って言えるものが思いつかないのだろう。いや、確かにあの頃は好きだった。そこに嘘はない、だけど今。
 今の私が観たい映画が、今この世にない。

 自分の中身が空洞なことを、一番思い出したくなかった。

「──あの。」
「へっ 何!?」

 突然背後から声をかけられて、飛び跳ねた肩の勢いが余る。振り向いたそこにいたのは自分より目線の低い──女の子だった。

「映画、観に来たんですか?」
「は? え?──だって、もう、なくなったんですよね?」
「此処の映画館は、たしかに経営者がいなくなりましたけど。映画はなくなっていませんよ」

 女の子は廃墟ビルを──正式にはまだ管理会社がいるらしい──指差して、それから私をじっと観た。

「映画が、観たいですか?」
「でも、どうやって」
「あなたが映画を観たいなら、そうですね、これはお金を払っていただくわけにもいかないので──
 交換条件を飲んでもらえるなら、此処で映画を上映してもいいですよ」

 交換条件。
 何だろうそれ。
 私は女の子を見返した。幽霊でも詐欺師でもなさそうだが、怪しい。何というか、都合が良すぎる。古典的な宗教勧誘か?

「どうして、映画を観るのにチケットの料金を取らないの?」
「だって、Lifepathがあれば今時映画に資本なんて要らないでしょう? だからですよ。回収する必要がない。映画はアーカイブされて配信される時代ですよ。チケット、なんて」

 懐かしい響きですね。
 そう言われたら確かにそうだ。私は目の前の君よりは長生きしているからな、と内心毒づいたが、懐かしいと思う程度には、この子にも映画のチケットは馴染み深いものだったのだろうか。
 正直言って何から何までが怪しいし、けれど──

「つまんない映画なら、正直なところ嫌だけど。わざわざ上映してくれるなら、いいよ、飲みましょう。私は何をすれば?」

 なんだかまるで映画みたいだ、と思ってしまったのだ。
 あれだけむしゃくしゃしていた気持ちが、年甲斐もなくワクワクしてしていることに気づいていた。

「──では、今から私達は共犯者です。これから、此処を含めた世界中の幾つかの映画館をジャックします。
 私達の映画を上映するために」

 手伝ってくださいますね?──女の子の言葉の一字一句、私は生涯忘れることはないだろう。
 そうして、あまりにシンプルな理由で、私はこのテロリズムに加担する。

アーカイブス 02

 Lifepath──ぼくはそれを、憎んでいた。それは、あらゆる欲望を叶える夢の道具に見せかけて、ぼくから映画を奪ったものだったからだ。

 現在運用されているLifepathのシステムエンジンは本来、VR〜ARの技術を認知行動療法に適応出来ないかという実験から始まり、作られた技術だった。

 精神医学の様々な発展において、身体に直接作用し短期的に効果が認められるものの、投薬を中断すれば再発の可能性がある薬物療法と、認知行動療法の採るアプローチは異なる。
 認知行動療法は長期的なアセスメントを経てクライアントの持つ認知の歪みを確認し、思考の癖から来る現実との相違を比べて、思考のバランスを取り戻す療法である。かつては認知療法とも言ったが、行動療法と組み合わせることで、よりその療法の対象となる精神疾患は広がり、それらの有効性が高いことを認められている。
 認知の歪み──言葉自体は一般社会にも浸透したものの、実際のところ認知だけを修正したらいいという単純なものではない。日常生活を送る上で必要な現実の捉え方を、自ら行動しながら習得していくのが目的だ。
 精神と肉体は連続している。精神だけを診るのも肉体だけを診るのも偏ってしまうからだ。

 ──端的に言えば。VRによる認知行動療法は成功した。ぼくもその成果は認めているところであり、科学技術がセラピストの補えない部分を補うことは、クライアントを助けるひとつの手段として有効だった。

 クライアントが観ているもの、感じているものをセラピストが聴き出し、それらをAIが自動学習し編集して再現したものをVRで体験することで、それまで話だけでは見えなかった事実が浮かび上がるようになり、より深い理解と共感を得ることも可能になった。
 また、クライアントの持つ生きづらさが理解出来ない家族の説得にも、これは非常に優秀な証明となった。
 自分の周りの他者との相互理解に勝る療法があるのだろうかとたまに思うことがある。
 そして、それがそんな風に単純に叶わないからこそ、この世界にはあらゆる療法が必要なのだ。

 ぼくはこの技術を理解しているつもりで、何一つ理解していなかった。

 ある日、ぼくのクライアントが自殺した。ぼくが開発に携わったシステムを利用して、VRによる世界を──現実を観続けて、自らの歪みを自覚出来るようになり、次第に…それでも、…いや、そうじゃなかった。
 だからこそ、その人は死を選んでしまった。整えたはずの世界の認知に、その世界の真っ当さに耐え切れなかった。
 どうして。
 ぼくはたまに、そのクライアントに会う。
 死んだはずのクライアントに。VR──Lifepathの中で。

「──これが先生の観て、過ごしている映画なら、」
 クライアントはあの頃と同じ姿で、ただしカウンセリングルームではなく映画館の座席に座っていた。
「僕が生きて、観て、過ごしてきた世界がぜんぶ、駄作にみえた。そうでしょう、先生、ちがいますか?」
 映画を観ろよ、とぼくは思う。
 とはいえぼくもまともに映画を観ていないが。
「先生は、自分の人生を生きている主役で。僕は…僕の人生は、物語にすらならなかった」
 だからです、そう言えば先生は納得するんでしょう?──ぼくはその質問に対する解答を持たない。

「物語のない人生を、人間は──人間の意識は想定出来ない」

 クライアントを快方に向かわせることが可能なら、逆にその不安を増長させ、クライアントの認知の歪みを補強し、どこまでも傷つけてしまうことも可能だ。
 ぼくはそんなことをわかっていた。療法は、技術は、なんであれ悪用出来てしまう。良い方に作用すれば薬になり、悪い方に作用すれば毒になる。
 ──Lifepathなど用いる必要もない。
 何故ならセラピストは本来言葉一つで、クライアントのあり方を変えてしまうこともあるのだから。だからこそ言葉のやりとりには十分に要心する。距離感、視線、手や足の動き。言語に現れないサインを見逃さないよう、注意深くよく観て、聴いて、確かめていく。

 かつてぼくたちはセラピストでありなさいと教わった。Therapist── Theを取り上げてしまったら、ぼくたちはいとも容易くクライアントのRapistになるからと。

「先生は、僕と話したら楽になるんですか?あの頃も、こんな風に話したこともほとんどなかったし、こうして一緒に映画館なんて来ることもなかった。僕と先生は、友人じゃありませんからね。こんなところにいないで、もっと楽しい映画を観たらいい。
 ──Lifepathは映画を作って、観るために使うんですから」

 そうだよ。
 君もわかっているだろう、君だけじゃないことくらい。ぼくのクライアントは君だけじゃないが──今ぼくには、これが必要なんだ。

「先生。先生は映画が好きですか?」
 ああ、そうだよ。
「じゃあ、何を観たいですか?」
 わからないよ。ただ、映画が観れたらいいと思うから映画を観ているんだよ。
「先生、先生の人生は映画だと今どのくらいでしょうね?」
 そんなことがわかるなら、ぼくは今こうして君の隣で映画を観ようなんて思っていないだろうに。
 ぼくはぼくを癒すために、死んだはずの君と会話する。これはグロテスクなまでのエゴであり、そこに希望があるわけではない。ただぼくが今生きるために必要なエゴである。
「この世界に適応するためには、」

「先生はやっぱり、ぼくを殺すしかなかったんですよ」

 クライアントの姿が、どろりと溶けてぼくの姿に変化していった。気付いていた。知っていた。自分が生きていくためには、自分を殺さなければいけない場面が、人生には度々起こり得るから。
 ああ、やっぱりぼくはLifepathなんて嫌いだ。憎んでいる。ぼくはかつて映画が好きだった。映画を観て複雑な人間心理の構造に打ち震えた。
 今ぼくは何を観ても分析してしまうクセがついている。物語を解体して分析することで、ぼくの仕事の参考になるだろうかと考えてしまう。
 そして自分が自分であるために、ぼくはLifepathで自らの認知の歪みを補強している。映画という形で。

 だからこれがぼくの映画である以上、ぼくは映画の中でぼくを殺す。

 クライアントに投影されたぼくの中のぼくを殺す。クライアントが投影してきたぼくの中のぼくを殺す。同僚に投影されたぼくの中のぼくを殺す。同僚が投影してきたぼくの中のぼくを殺す。恋人に投影されたぼくの中のぼくを殺す。恋人が投影してきたぼくの中のぼくを殺す。父に投影されたぼくの中のぼくを殺す。父が投影してきたぼくの中のぼくを殺す。母に投影されたぼくの中のぼくを殺す。母が投影してきたぼくの中のぼくを殺す。
 ──それはぼくではないから。
 そうして、あらかたのぼくを殺し終えたところで、ようやくぼくの姿だけがスクリーンに映し出された。

 なぁ、これもきっと駄作だよ。君が観た世界とは違うかもしれないが。かつて死んだはずのクライアントに向かってぼくは笑って嘯いた。

アーカイブス 03

「すごく高い塀って、見たことあります?」

 自分を犯罪に引き込んだ女の子からの唐突な質問に、私は振り向いた。高い塀と聞いて何を思い浮かべるか──城跡?或いはお屋敷とかだろうか。

「わたしはね、とても高くて白い塀の側に暮らしていたんです。生まれた時からずっと見てきました。あの塀の向こう側には誰がいるんだろう、何があって、どんな暮らしなんだろう、って毎朝考えていました。」
 塀の向こう側。
 よほどロマンチックな塀なんだろうか。私にはわからない。彼女は閉館した映画館に不法侵入してセキュリティをハッキングし、ついでに上映のためのセッティング作業を始めてから既に数時間は経っている。素人の私は映画館に残っていた機材を動かす単純労働で精一杯だ。
「だから行ってみたかった。行っちゃいけない場所なんですけどね。行ってみたらそんなにすごく変わったものや暮らしがあるわけでもなくて──むしろ、拍子抜けするほど、普通でした。普通だったんですよ」
 この辺りで、彼女が何故その塀の話を始めたのかわずかに興味が湧いた。
「実際に行ってみると、案外つまんないもんですよね。人生なんでも」
「いえ、そういう話ではなくて」
「ちがった? ごめんなさい、お姉さん早とちりしました」
 外したらしい。この手の話をどう返すのが適切なコミュニケーションなのか私には何もわからない。歳の差を理由にしたくはないが、やはりそこそこ気を使ってしまう。
「もっと全員、見るからにわかりやすく、頭がおかしなひとや過激な人がいるのかと思っていたんです。」
「えー…と。じゃあ、あなたは白い塀の向こう側に──どんな人にいて欲しかった?」
「どんな人…」
「なんだか、会いたい人に会えなかったみたいな風に聞こえたから。気のせい?」
 彼女はそこで私を見る。
 これも外した?──いや、なんとなく間違えてはいないような気がした。
 作業している手がわずかに止まった後、彼女は再びスクリーンとLifepathのシステムの同期作業を続けた。
 しばらくして、彼女は口を開く。

「映画はフィクションだってわかっていました。でも、顔を見たら自分にはすぐわかるような気がしていたんです。何か…サインやオーラみたいなものがあるのかなって。見分けられるだろうって。」
「オーラ… うーん、つまり、どういうこと?」
「わかりやすさです。わかりやすい何かが異なるのか、というのが、たぶん、見たかった。」
 会いたい、ではなかった。
 私は彼女の次の言葉を待った。
「そうじゃなかった、どこにでもいそうな、ただの普通のひとたちでした」
 劇場内の照明の確認をする。
 これ、現場を押さえられたら一発で現行犯逮捕されるのかな。映画を勝手に上映する罪ってあるのかな?著作権か映倫か何かかな──私はそんなあさっての想像をした。

「わたし刑務所の中に行ったんです。子どもの頃勝手に忍び込んで。でも、出会った人たちはみんな普通のひとでした。
 普通のひとがあんな風に白い塀の向こう側にいることが、わたしとあの人たちを隔てる白い塀が、一体どんな理由で区別されているのか──あぁ、わかってますよ、犯罪を犯したからだってことは」

 その時に思ってしまったんです、と彼女は言う。犯罪を犯しても人生が終わるわけじゃないなら。むしろ──人生は続いてしまうのだ、とわかってしまった時に。

「だから、怖くないなって思ってしまったんですよ。
 罪を犯すことが。」

 彼女はまるでとても優れたアイディアのように語るので、私は一瞬流されてしまいそうになるが、しばらくうまい言葉が何も浮かばなかった。張り付いた喉の渇きを思い出し、長い間埃を吸い込んでいたことを体感した。

 沈黙。──これは、正解だと、思えるか?

 ああでも。
 これが映画なら、映画なら。
 そして私が主人公なら。
 一体なんて返すだろう。

「…これから上映する映画のジャンルって、クライムサスペンスだったりしますか?」
 私の言葉に、彼女はようやく笑った。
「まさか!」
 シワひとつない頬が膨らむのを見て、なんだかとても眩くなる。
 私、ひょっとしてかなり危ない状況に首を突っ込んでいたりする?

アーカイブス 04

 僕の身体は、とうに老いさばらえてしまっている。

 僕の世界はこの狭い室内だけ、食事と排泄と沐浴と、言われるままに手を動かす作業だけが日常の全て。それ以上は何もない。僕に手紙をくれる友人もいなければ、僕の存在を知っている人だっていない。
 かつてはいたのだ。僕を憎んでいた存在が。僕の罪を許さないと言った人が。僕に手紙をくれていた。僕に言葉をかけてくれた。その人の方がとっくに死んでしまった。僕はまだ此処で生きているのに。

 ほとんど捻じ曲がって凝り固まった四肢を引きずりながら、今日も僕は生きている。節々の痛みは治ることはないし、年々気管支は貧弱になっていく。酸素を上手く吸い込めなくなる度に、噎せ返って吐き出される痰の粘質な質感に、自分から動物のような息遣いが吐き出されていることに失望した。治る、直る、なおる。この身体はもはや、問題が起こるたびに治るということを辞めてしまった。
 僕が生涯手を染めた生来の欲望も治ることはない。それが欲望なのか病理なのかということについての議論の解答は、僕の中で消化されることも嚥下されることもなくとうに繰り返されて擦り切れてしまっていた。
 僕の犯した罪がどうして許されないことだったのか。この年齢に至っても未だに僕はわからない。僕はずっと許されなかったという感情だけが残っている。僕のあり方が許されなかったことについてどうしても悲しくて息が出来なくなってしまう。僕は生き方を間違えてしまったらしいということはわかる。そのためにずっとこの高い塀の中に収容されていることもわかっている。
 それでもこの世界に間違えない人間なんていないのに、どうして僕だけがここに閉じ込められなきゃいけないのかがわからない。
 若い頃なら。
 遠い異郷の地に胸を焦がしたこともあった。生涯それは叶わなくなってしまった。
 僕の世界はこの狭い室内で全て完結している。この世界は規律正しく清潔で、静かだ。──かつてあれほど秩序のない世界の汚れと雑音に神経を弱らせていたのに。

 あの頃と今とでは一体どちらが正しいのだろう。
 この整えられた直線の世界の中だけが僕の生きている現実だ。
 僕はずっと自由になりたいと願っている。
 それが一体何からなのかはわからない。
 自由な身体をもう一度得られるなら。
 この白い塀から出られるなら。
 僕は一体どこに行くだろう?
 僕は世界をもう一度観たい。
 世界が、歪んでいても曲がっていても捻くれていてもかまわない。
 直線で整えられた世界なんてもうみたくない。
 正しさなんてまっぴらごめん。
 自由。自由。自由。
 僕は自由を取り戻すんだ。
 僕が生きているという実感を取り戻すんだ。
 秩序という欺瞞を笑い飛ばして、
 僕が正しいってことを思い出させてやるんだ。
 僕を誰も許してくれないなら、
 僕だって誰も許すつもりなんてない。
 僕のこの苦しみを和らげるために、
 僕はこの憎悪が必要なだけだったんだもの。
 僕を許さない世界を僕は許さない。
 僕はゆるさない。
 僕はゆるさない。
 僕はゆるさない。

アーカイブス 05

「人間の行動の動機を決める情動には、」

 その若者は随分と度のキツいメガネで瞳をくるくると動かしながら、安い菓子パンの袋を開けて頬張った。齧歯類のようにもごもごと口を動かし、嚥下してミネラルウォーターを一気に飲み込むと、一気に喋り倒した。

「一体何が根底にあるんでしょう? どうも近頃私が思うにそれを欲求と呼ぶには甘い気がして。人間の情動にいわゆる倫理的な善悪ははじめから存在していないのか──どう思います?」
「性善説と性悪説の話なら、ぼくのところにいないで哲学科に行きなさい。あらゆる文献がアーカイブされているんですから」
 先月からクリニックに安い時給でアルバイトとしてやってきた学生が、かつて哲学者と精神科医とその他諸々の賢人たちが語り尽くしたような議題を昼休みの休憩時間にブチ込んできたもので、ぼくは少々リアクションに困ってしまった。

「原因帰属が何なのか、ですよ。先生ご存知でしょう」
「懐かしさすら覚えるよ。RotterとWeinerの内的統制と外的統制か」
「ええ、出来事と行動の因果関係の原因を、内的属性に求めるか、外的事象に求めるか」
「それがどうしていきなり倫理の話に飛ぶんです?」
 ぼくだって昼休みには普通に何の足しにもならないような世間話とかしたい。が、学生の学生らしい学術的な疑問に付き合ってあげるのも師の仕事──なのかもしれないとぼくはじっと居座った。
「どうして人間は犯罪を犯してしまうのか、を考えていまして」
「君、犯罪心理学くらいとっているだろう」
「とっていますとも。」
「精神分析もやっているんだろう」
「ええ」
「──では、何が今君にとって気がかりなんですか」

 学生はしんと黙ってしまった。沈黙。非言語による言語。この若者は答えを求めているがそれをぼくが言うのを期待しているわけではない。自分の言いたい結論がまず先にあって、どうもそれをぼくに促して欲しいようだった。回りくどいやつだな。

「……Lifepathって、ご存知ですよね」
 学生は自分の端末を取り出すと、自分の再生したであろうアーカイブをスクロールしてみせた。
「これのシステムの開発に先生が携わっているって知って。興奮して。だって私これでたくさん映画を体験しているんですたくさん自分じゃ出来ないことを、想像もつかないことをやったしたくさん観ました。すごく夢中になったんです。映画を作るのも映画を観るのもとても面白くて楽しかった。Lifepathには可能性がある。まさかバイト先の先生が関わってると思わなくって、だからすごくうれしくて」
「──あぁ、そっちはぼくは絡んでませんよ。その前段階のVRシステムの方で監修は携わっていましたが」
「えっ」
 若者の夢に水をさすのは申し訳ないが、誤解を生んでいるならそれは早めに訂正しておきたかった。
「そう、なんですね。てっきり先生、映画好きなのかと」
「嫌いじゃないですよ。Lifepathも、まあ良く出来ていますね」
「ああ、なんだ。そっか……」
「随分落ち込むじゃないですか」
「実は──本物の犯罪者が作ったLifepathの映画があるってきいて、それをずっと探しているんです。で、見つけたら先生に観てもらえないかって思って、意見を」
「嫌です。どうせデマの宣伝ですよ」
 ピシャリと言わねばダメだなこれは。そう思ったのですげなく断った。
「わからないじゃないですか。興味ありませんか、犯罪者の作る映画。」
「犯罪者というものを君がイロモノのように考えている時点で、ぼくは興味がないよ」
 腹の底からしみじみとそう思う。

「そこまで思ってはいませんけど」
「いいや。ぼくの世代も大概だけれど、君もインターネットに踊らされすぎですね。」
 世界中がインターネットに繋がっている。
 あらゆる問題が可視化されるということは素晴らしい反面恐ろしいことだ。この世界に隠れる場所がなくなったのだから。可視化されていく度により大勢の他者の認知に触れることになる。そのストレスとフラストレーションの影響はインターネットの発明以降、我々の社会を加速させている。
 それでも、世界がインターネットにつながらなかった頃の世界に戻ることは二度とないのだ。産まれた赤子が二度と母親の胎内に戻ることはないように。

「でも、犯罪者はやっぱり認知がおかしいから犯罪を犯すんじゃないですか。それが内的属性であれ外的事象であれ、頭がおかしいことが先にあって、だから犯罪を犯す。これはどうみても普遍的に思えませんか?」
「君自身が認知バイアスのかかっていないこと、君の倫理的な善悪、正しさを一体誰が証明してくれますか。君の倫理が他者を侵害する可能性について考えたことはありますか」
「それは──考えていないわけじゃ……でもやっぱり、何かしらの特徴があって、その違うことを見つけるのが学問じゃないんですか」
「君は犯罪者の心理を学びたいと思っている。犯罪者の行動を動機づけするものを知りたいと思っている。それ自体の学問的好奇心は否定しません。けれど、どんな風に見えたとしても目の前にいるのはぼくたちと同じ人間でしかない。
 ヒューマニズムではなく、依然とある現実としてね」

 映画館の座席に座った隣人が、或いは電車で居合わせた隣人が、登校中の道路で挨拶する隣人が、アルバイト先の隣人が、習い事の教室やジムの隣人が、通っている喫茶店の隣人が、本屋で漫画を買いに来た隣人が、区役所にいる隣人が、病院にいる隣人が、会社の同僚や上司といった隣人が。自宅という密室の家庭内の人間が。
 それらが犯罪者ではない確証はどこにもない。
 それでもぼくたちは社会生活を成立させられる。
 自分が認識している世界だけが、自分の社会だから。

「現実は、映画のようにわかりやすい問題の提示も解決も解答もありません。」

 ぼくの生きるこの世界にヒーローがいないことは、少し悲しいが希望でもある。スクリーンの中には正しいものと間違いそのものも描かれる。これは間違っている、と示唆してくれる。けれど間違いを正してくれるものは現実に置いてごく少ない。この点と点とを結ぶ線こそ、人生という物語だ。──物語のない人生を、人間は認識できない。
 偶然であれなんであれ、人間はそこに意味を見出してしまう。意味こそを希求する動物が人間という生き物だ。だからこそわかりやすい違いを求める。それが異なることに安心する。安心するために違うということを証明することさえある。
 そうして人類はあらゆる間違いを犯してきた。
 年寄りの説教なぞするつもりはなかったのだが、結果的に見ればこれは年寄りの説教だな、と我ながらぼくは少し自己嫌悪してしまう。「じゃあ、先生、」学生は萎れた声を出す。
「──先生は、許してくれますか」
 許し。それが本題か。
「何をしたかも話さないのでは、わかりかねますが」
 きみは何から許されたいのだ。
「私は、」

「私は罪を犯しました。わ、私、俺が犯罪者なんです。俺は自分が罪を犯して、それをLifepathで映画にしました。犯罪者の気持ちがわかりたかったんです、わからなかったから!だからそれを今度上映するんです。だからそれを観て欲しいです、お願いします先生、おねがい、俺を」

 見つけて、と言った。
 彼は目の前にいるのに。

アーカイブス 06

「──俺を見ろ!」
 スクリーンに映し出された影が吠えた。
 暗闇の中でスクリーンに映し出された情景が作られた物語の背景であるなら、自分が認識出来ない世界の全ては文字通りの虚構──フィクションだ。
 人間は自分の見ている世界とそれを捉える意識だけが現実だ。
 どれだけ他者と深く関わろうと、自分の世界から見えないものは、存在しないものと変わらない。逆を言えば自分の世界に見えるものだけが世界には存在してしまう。

 現実とは常に今、現在のことに他ならない。過去も未来も、体感出来ない以上は全て非現実の事象に過ぎない。今此処に発生している事象、現象、それらを認識している自分の意識──それが他者が見ている事象と同一である──という前提を共有して社会は成立している。
 それでは、その前提条件から外れた世界をスクリーンに映し出した時、リアリティは消失するのだろうか?

 他者が見ている事象と自分が見ている事象は同一であるという前提を失った時、それまで無秩序に世界と繋がっていた私が断絶する。
 そうして断絶を経たのち、私が世界を見ていたのではなく、世界に私が見られていることに気付く。私を観測する私以外の意識が、私の意識を私が見てきた私の世界から奪っていく。

 あらゆる場面で、カメラが、フラッシュが、スポットライトが私の輪郭をよりハッキリと映し出す。
 私の影を捉えた映像──モーションが、私の意識──エモーションを映し出す。

「俺を見ろ!」
 主役は叫ぶ。主役であるならスポットライトは必然である。主役という役割を与えられた私の影は、私が捉えた意識の肉体よりも遥かに情動的で抗い難い魅力を携えている。

「俺を見ろ!──俺の姿を。俺の声を。俺の言葉を。
 俺を刻め、その網膜に焼き付けろ!」
 強烈なスポットライトを浴びていく程に、私の影はより魅力的に伸びて巨大化していく。私から離れていくほど私の影は大きく膨らみ、様々な表現で自在にスクリーンを彩りながら世界を侵食していく。私の影を見て人は恋をする。私の影を掴んで人は私に石を投げる。投げられた石もまた影だった。それでも私には痛かった。

 私の影が巨大になればなるほど、私の影は世界を破壊した。私の影がこの世界から光を覆い隠す。私が光を嫌ったからだ。私が光によって自らの影の濃さを見つめたくなかったからだ。私の影は──私から随分遠く離れてしまったというのに。

「俺を見つけなかったお前らが悪い!」
 私の影が叫ぶ。
 私の影が私の言葉で泣いている。
「俺はお前たちを見ているが、お前たちが俺を見つけられる筈がない!──俺の言葉は誰一人聞こえていないんだから!」

 見ている。
 見えていない。
 聞いている。
 聞こえていない。
 言っている。
 言っていない。

 私の影を私は自らの手で覆った。私の影を抑えているだけなのに、私の肉体は息苦しさを覚えていた。ああ、どうして。何もかもが混濁している世界で、スポットライトだけが。カメラだけが。世界が自分を観ているということだけが認識できる。

「違う、そうじゃない、やめろ、俺を見て、ちがう、見ないで、いやだ、そんな目は嫌だ、そんな目で見られるくらいなら見るな、見ないで、やめて、俺を見るな、お願い、みないで、いやだ、──かあさん!」

 私の影は怯えている。恐怖している。目。目。目。座席からスクリーンに向けられた複数の眼球。視界。
 当たり前のことだ。どうして私の影は怯えているのだろう。そんな目を私は私の影に向けている? 私の影は私から遠く離れたがっている。

「──ぼくを見つけないで」
 無理だよ。
 私は私で、お前が私の影である以上は。

「ぼくを見るな、今更俺に気付いたフリをするな、今まで通り、ぼくなんて初めからいないふりをしていればよかった。そうじゃなきゃダメだ。ぼく──透明でいなきゃ、じゃなきゃ──」

「スクリーンだけが、」
 私は渇いた唇で、ようやく影と向き直る。
「スクリーンだけが、世界から私達を見つけてくれて、私達に世界を見させてくれたんだ」
 だからどうか怯えないで。いい加減逃げるのは無しにしよう。

「私だけはいつでも私を見つけられる」

 お前をもう見失わないために、私はこんなところまでやってきたんだ。

アーカイブス 07

 結局朝まで作業を行ってしまい、久しぶりの徹夜に軋む身体を確かめながら、私は今こうしてピカピカに磨いた劇場の姿を眺めた。
 埃や廃材を取り除いただけとはいえ、一晩で全部終わるとは思ってもみなかった。そこでやっと、今日も普通に出勤日だということに気付いた。マジか?

 今から一旦家に帰ってシャワーを浴びれば、問題なく出勤は出来る。死ぬほどダルいのは事実だが。あるいはもう半休とるかして少し寝るか。
 しかしこれらの作業を、彼女は全部一人でやるつもりだったのだろうか。
 声をかけると、昨晩と変わらず冴え冴えとした瞳で笑っていた。

「──あ、そうですね、すいません朝までありがとうございます。実は、まさか本当に手伝ってくれると思ってなくて。」
「まーじで私もそう思いますよ。あ、今日の上映時間は何時?」
「そうですね、午後八時のレイトショーにしましょうか」
「了解。……ねぇ、あなたもLifepathで映画を撮っているの?」
「──ええ。」

 ああ、やっぱりそうなんだなと目の前にいる若い才能になんだかひどく懐かしいものを感じてしまった。
 その血潮の熱に浮かされる心地良さ。過ぎ去ったかつての遠い記憶。

『映画が撮りたいんだ』
 そう言って情熱に輝かせていた瞳を、私はようやく鮮明に思い出していた。どうして私が映画が好きだったのか。きっかけはそもそもその人だった。
 映画を撮りたいと願ったあの子と数え切れぬほど観た映画に、私は人生を楽しませてもらってきた。
 だから手助けをする気になってしまった。夜中に出会った、どこの誰とも見知らぬ他人の女の子の共犯者といえば聞こえは良いが──ただ、観てみたくなったのだ。
 この映画館で、映画を。

「楽しみにしてるからね」

 それが私が今観たい映画か、好きと言える映画はまだ何もわからないが。
 この才能の芽吹く瞬間を今、目に焼き付けてみたいと願ってしまった。
 だからこれは、私から映画へのささやかなお礼なんだと思う。私の人生に物語があり、映画であるなら、この場面はもう終盤だ。

 さて、うだつの上がらない日常が待っている。くだらない上司の小言に辟易しながら業務を行い、今日もきっと様々な出来事にうんざりするだろう。私は彼女に手を振りながら映画館を出ると携帯灰皿を取り出した。アークロイヤルの香りを嗅ぐと、口に咥えて火を付ける。何だか妙に朝日が眩く輝いていた。

 それでも今日の私には、とっておきの楽しみがある。
 自らの手で磨いた映画館のスクリーンが、私の帰りを待っている。


epilogue

 午後七時半、既に映画館は明かりがついている。そこはかつて銀幕の夢を見せる巨大な箱だ。この箱の中には世界があり、過去があり、未来があり、現在がある──錯綜する情動──エモーションは、映像というモーションによって象られる。
 ぼくは随分と久しぶりに映画館に訪れていた。映画を観るというそれ自体が、随分と懐かしい過去のように思える。
 Lifepathの齎した可能性と功罪を、ぼくは忘れたことはない。一度も。ぼくの手から溢れていった人々は、ぼくの映画の中で生きている。
 既に閉館された映画館に足を踏み入れるまで、しばらくの間逡巡した。映画というものを観ること、あるいはそれに自らの浅はかさを暴かれることについて──歳を重ねたぼくは受け止めきれるのだろうか。
 そして、ぼくは思い出す。
 ──ああ、これも映画なら。
 ぼくの人生はぼくだけのものではなくなってしまったのだ。

 思い出すのは、幼い頃。
 親に手を引かれて連れて行ってもらった場所。
 『ポップコーン食うか?
 トイレは先に済ませておいで。』
 昔、此処に映画館があった。
 『父さん……?』
 閉館されてからこの町に映画館があったことすら忘れていた。
 スクリーンに案内され、座席を探す。
 そこに、誰かが座っていた。
『あの……、席、間違えていませんか』
『ああ、本当』
 知らない女優だ、と私は思った。
『なんだか、こういうのも久しぶりですね』
 映画館で誰かの隣の席に座る。
 これはそんな昔の話なのか──

L Utitled-7

Wellcome to the Cinema
Lifepath login…
 
end


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