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Lifepath with Cinema


ウェルカム・トゥ・ザ・シネマ

あらすじ

VRコンテンツが浸透し、次の段階に来た近未来。運営が続く限り終わらず、運営がなくなれば終わりを告げるネットゲームや交流型のVR世界とは別に、買い切り型の閉鎖型VRコンテンツがにわかに主流となってきた。
何より時間に追われる社会において、「決められた時間内に完結するストーリー」でありながら「自由度の高い選択を選べる」ことを売りに、
「自らの観たい作品を体験しながら完成させるコンテンツ」が誕生する。

自ら映画の主役になり、体感できるシステム
商標名 ウェルカム・トゥ・ザ・シネマ
一般名称 Lifepath

「Lifepath」はパブリックドメインの映画を元に、ユーザーが「上映時間」「作品ジャンル」「脚本(AIライティング)」「演出」「出演俳優」「映像倫理規定」「主役のキャラメイク」「時代背景考証レベル」「世界観」「監督特色」を選択し、自ら映画を体験しながら編集・作成・上映を可能とする、夢のようなクリエイトコンテンツだ。
そこでは誰もが名役者であり、巨匠であり、演出家である。
カットを決めるのは自分次第。観たい視野は360度自由自在。
映画を作るために必要な巨大資本は過去のものとなり、観たいものを観たいだけ作れ、
かつて逝去した大女優までもが再びスクリーンに、最新の姿で蘇る。
文字通り自分のみで作られた映画はあらゆる形で配信され、コンテンツは再生回数に応じて収益を得る。映画館という商業施設は数少なく減る中、Lifepathは映画を活性化させていた。
ちなみに、副次的に成人指定映像コンテンツの殆どはLifepath作成に変わりつつあった。
映像産業の低迷、パブリックドメイン、肖像権や倫理的などいくつかの問題を浮き彫りにしつつも、Lifepathというツールは浸透していき、最新のアップデートと共に著作権が切れた作品の文脈を学んだAIは次々と新たな映画を作り出していく。
映画は極めて「個人的な」ものになりつつある中で、ある日、一本のLifepath映画が忽然と世間の話題に浮上する。

それはLifepathを利用するすべての人々に影響を与えていく。かもしれない。


その映画はかつて閉館したはずの全世界各地の限られた映画館でのみ密かに公開されている、パブリックドメインに反し、Lifepathの規定を犯したいわゆる違法上映作品だった。

そのLifepathを観るための条件は、ランダムに選ばれた知らない人と、二人で指定席に座ること。指定席の相手が、決して自分の知人や友人、恋人ではないこと。
上映される映画館のスクリーンひとつにつき、観れる観客の定数は最大たった8人。
そしてその映画を観終わった際に、その映画のLifepathログを決して誰にも公開しないこと。
Lifepath自体は自宅で使えるツールだが、これはある種のライブ・ビューイングのような形式でしか上映されない。

「此処に映画を取り戻す。オリジナルを作りだす。焼き回しのサクセス・フィルムを追体験するだけで、本当に満足できるのか?」

そして上映されたLifepathの中で、
自分は幼く、どうやら現代よりも古い時代に思える、違う国の他人の役である。どんなジャンルか、演出か、誰が出演するかもわからない。
そこから始まる映画とは……

核心部。
違法上映作品のLifepathは、隣り合った他人の人生そのものを映画化したものである。プライバシーの権利を含む倫理規定違反であり、他人のLifepathログをスキャンし、その中で最も個人的なもの、社会的ステータスや生活に関するもの、白昼夢のようなまとまりのない妄想、夢の残滓を再現し、一本の映画に仕立てたもの。
主犯理由は、「自分と関わりがない他人の人生そのものを体感することが、映画の持つ意味のひとつであるため。」

登場人物は複数いるオムニバス形式。基本的には会話劇、回想、会話劇の後、ラストはこの映画館を訪れる場面で映画は終わる……というもの。
登場人物の視点やカットはシャッフルされるため、時系列がわかりにくくなるが、いずれも最終的に「その映画が隣り合った隣人の人生であった」ことに気付く。
国籍も年齢も性別も立場も異なる他人の、他人から見た世界を知ること。
ある人の人生はさながらハリウッドのアクションであり、ある人の人生はラブロマンスであり、ある人の人生は極めて平凡な日常の記録でありながら、登場人物たちは他者の人生自分にはなかったものを見つけていく。
「この人生が自分のものであったら?」
「本当にこの選択を出来ただろうか?」
彼らはエンドロールの後に、席を立ち、隣にいた人物に声をかける。
それはどんな人生だったのかを……

主犯の男はかつて俳優であり、映画監督。後に逮捕起訴されるも、その様子すらLifepathに接続して映画に編集し、謎の獄中死を遂げる。

後に自らの人生を含め、他人の人生をまとめたLifepathの映画を編集した一本の映画が彼の死後発見され、それを観るのか、観ないのかの選択をLifepathの全ての人々が迫られる。で終わる。

Lifepath裏話
元々は認知行動療法のためのシステムを副次的に映画を作るツールにしたもの。
もちろん脚本のAIライティングの精度もLifepathが学習するログの量による。
FBやGoogle、amazonに登録したビックデータが購入した製品や嗜好まで学習して個人を再現できる。

心象
真面目すぎたり暗い話にはしたくなくて、基本的には自分の観たい映画を作るのは楽しい、ということや、Lifepath普及で映画は自宅で観る時代に完全移行した後に、それでも映画館に行こう!と思うラストにしたい。


…という、映画SFアンソロジー企画をかつてやっておりまして、時効になりましたのでここに公開します。

作品自体は再版の予定はないです。pixiv boothも撤退いたしましたので、いま本を手元に持っていらっしゃる方は、どうかあの奇跡みたいな作家陣の映画を噛み締めていただけたら、幸いに思います。


岩重書房
マメカチカ・オブ・ガンジュー

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