こんな私でも百回に一回くらいは正しい時がある
体は重いのに目だけはくっきり冴えていて眠れない夜に考えること。
高校生の時うつ病になりかけた。
自分の嫌なところしか見えなかった。容姿も性格も気持ち悪いし、できることなんて何にもない。普通にご飯が食べられなくなって、毎日胃がキリキリ痛んで、思うように動けない時間が増えていった。
以前投稿した記事(どれかは忘れてしまった。衝動的に消してしまったかもしれない)に書いたように、そんな私を軽くしてくれたのは飼い猫だった。
その頃の私には、周りの人の言葉は一つも光ではなかった。
とにかくニコニコして、おバカなふりをするのが私の処世術であった。だから、どう扱われてもいい人だと思われていた。(それは今もあまり変わっていないけれど…)
けれど、心療内科に行って、うつ病気味であることがわかってから、周りの態度が一変した。今まで散々雑に扱い、心無い言葉を投げかけてきた人々が、君はこう生きるべきだと気持ち悪い声で説教するようになった。どうでもいい自分語りなんかを織り交ぜて、かわいそうな私を救ってあげる自分に酔っているのが見え見えだった。断じて疑うことのない"正論”で他人を蹂躙するのはさぞ気持ちよかっただろうな。
今ならこんなふうに、ひねくれた考えでバカにすることもできるのだけれど、当時はそんな人たちの言葉を一つ一つ黙って受け止めて、傷だらけになっていた。
その結果、自分の中で「基本的には私が間違っている」という考えが当たり前になってしまった。他人に何かを指摘された時、叱られた時、アドバイスを受けた時。どんな場面でも私が100%間違っているから治さなければならないと、自分で考えることもなく、他人からの言葉が模範解答なのだと信じていた。
最近の私は少し心に余裕があって、強く否定された時、落ち込むだけではなくなってきた。悔しい、こんなにも私の考えが、気持ちが、蔑ろにされるのは許せない。
柄にもなくこんなことを考えるようになってきた。自分はあんまり怒らない方だと思っていたけれど実はそんなことはなくて、怒りという感情を無理やり悲しみという箱に詰めて蓋をしていただけなのかもしれない。
今の私なら、怒りも簡単に言語化できるようになるかもしれない。口にするのはまだハードルが高いけれど、いつかは。
いつ何時でも自分が100%間違っているなんてことありえないし、相手が100%正しいなんてこともありえない。理不尽には怒ってもいい。求めてないアドバイスのフリした自分語りなんて聞かなくたっていい。
私に優しくない他人に優しくする必要がどこにあるだろう。
そうわかっていても、ついつい顔色をうかがってしまいます。
少しずつ、自分を信じてあげよう。
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