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フラダリ様について その1

※一応、ゲームソフト「ポケットモンスターX・Y」のネタバレ注意




フレア団とは何だったのか?


各々立場は違うし、考え方も、先入観も、関心の高さも、みな違う。答え方は十人十色だろう。

が、私はいまだその回答を用意できずにいる。

今、これを問う必要があるか、それも私にはわからない。でも、問わねばならない。問わずにはいられない。



この問いに向き合う、その基礎作業の一つとして、ミアレのフラダリラボに残された各種資料を整理することにする。


そこでまずはフラダリ様の来歴を記したこの文書に触れねばなるまい。


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わたしは わかいころ ポケモンと カロスを めぐる たびをした
もたないがゆえに くるしむ ひとを たすけようと てを さしのばした
さいしょは かんしゃ されるが やがて たすけは あたりまえ となり さらなる ようきゅうを される……
そんな おろかな ひとたちが カロスを くいつぶさないか?
ひとや ポケモンは あんていした せかいで ふえつづけている
だが せかいが うみだせる かね エネルギーには かぎりがある
すべてを うしなうか ひとにぎりの なにかを すくうか
それを きめていいのは ひとではない ならば かみの どうぐを つかおう


この文書に接して

「フラダリ様は善人であった。

フラダリ様はカロスを旅して、多くの持たざる者を見た。自らの財力を後ろ盾に、貧しきものを救おうとしたのだ。


しかし、フラダリ様が手を差し伸べた人々は、いつしかフラダリ様の支援を当たり前と思うようになり、さらなる要求をしてくるようになった。フラダリ様はこうした人を愚かと見た。

それから、カロスの人口が増える一方であることを憂慮する。平和な世界の上で、人もポケモンも増え続けているが、世界の資源は有限である。カネも、エネルギーも、あるいは食料も、住む場所も。このままでは足りなくなる。彼らのような”醜い”人間が、”美しい”カロスの大地を、世界を汚す。フラダリ様にはそれが許せなかった。


現状のままでは、世界の生命すべてが共倒れになる。フラダリ様が思いついたこれを解決するための選択肢は、つまり命の選別である。増えすぎた生命の数を減らし、一握りの人とポケモンが生き残れば、有限である資源を食いつぶすことなく、”美しい”世界を維持できる、と。

だがフラダリ様は善人であるから、これがどれほど理不尽で罪深く、”醜い”ことかも自覚していた。命を選別するといっても、いったい誰がそれを決めることができるだろうか? フラダリ様がかつて貧しい人を救おうと考えたのは、きっと貧しいものも富めるものも、同じ命、同じ人間である事に変わりなく、命の重みは平等である、いや平等でなくてはならないと、そう考えたからに違いなかろう。ましてやポケモンならなおさらである。


人に命を選別することは不可能、いや不当である。ならば神だ。神にゆだねよう。かつてカロス王が作ったとされる神の道具(=最終兵器)を使い、命の数を減らそう。どういう結果になるかはわからないが、それが神の示した”美しい”世界の姿だ、と。」


”美しい”カロスを守る。そのために、フラダリ様は行動する。そのためならばポケモンの命を必要とする最終兵器も起動させる。

だが、フラダリ様は決して残虐な殺戮者ではない。それに必要なポケモンの、その命の重みは、フラダリ様も十分理解していたのだ。

最終兵器によって失われるであろう多くの”美しい”命は、カロスを、世界を守るために必要な犠牲であった。



…私の解釈が正しいのか、仮にそうだとしてフラダリ様が”正当”だったのか、今の私にはわからない。フレア団を、フラダリ様を見つめなおすために、もう少し回り道をしてみようと思う。



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