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2024/4/22 誰かと一緒にやることのありがたみに気づいた日

 今日はお昼近くに目が覚めた。恋人の仕事が15時からと遅めなのもあって、遅めに起きたのにも関わらず、音やにおいで存在を感じられてうれしい。朝起きていないことがさみしくて用事もないのに一緒の時間に家を出たくなる。今日は13:00から友人とオンラインゲームをする約束だったので、一緒に家を出ることこそなかったけど、一緒にお昼ご飯を食べることができて良かった。誰かと食べるご飯は美味しい。なんてことのない会話が、存在が調味料だ。
 外食が美味しいという人がいる。でもぼくは違うと思う。誰かと行く外食が美味しいのだ。それを証拠に一人で入ってこれは美味いと唸った料理はそんなにない。誰かと行って良かったはずの料理もその人が不在ということがわかってつらくなるばかりだった。回転寿司も焼肉も一人で行っても美味しいと思えないからなんだか損した気分になるのだ。
 逆に誰かと行く食事は汚い大衆食堂でも、ジャンクフードでも美味しい。
 恋人が横にいるにも関わらずゲームを起動する。それが少し申し訳ない。せっかく一緒にいるのに違うことに時間をつかってしまうのが嫌だった。でも恋人はそれで余った時間を着替えや化粧に使っていたので、有意義にしてくれて良かった。
 今日はめずらしく友人が三人集まってオンラインゲームをできるはずだったのだけど、一人が二時間後になるという連絡があったので、一度やめてからまたその時間に合流することにした。
 二時間ほど時間が空いたので、昨日していた『ドラゴンクエストモンスターズ+』と『ポケットモンスタースペシャル』を探しにブックオフに出かける。自転車で20分のところにあるブックオフに向かう。途中、河川敷のそばを通ったことで風が気持ちよかった。
 14:30くらいについたのもあって、学校終わりの学生たちが多かった。小学生がポケモンカードを外で座り込んで開封していた。よくないことだけど、彼らからすればマナーよりも大事なものがあるのだろう。それを自明して礼儀正しくできる小学生なんていないし、いたとしたら生きづらいだろうなと思う。僕にはあまり経験がないけど、そういう時間や瞬間は彼らだけのもので外側のいかなるものも関係ないのだと思う。社会的にはそれは受け入れられず、注意され、なんだよちくしょーくそがと言いながら、また同じことを繰り返す。それが小学生というものだ。
 今日は心の調子がいいからか嫌な気持ちにはならず、ただその頃が過ぎてしまったことにひたすらさみしくなった。君たちのひだまりが誰かにとって救いになっていることを願う。
 ブックオフの店内はゲームもCDもDVDも微妙だった。コミック自体は多かったけれど、目当てのものは一つもない。仕方ないので隅から隅まで全部見て時間を潰して帰ることにした。文芸書はわりと良かったけれど、図書館を知ってしまった僕にはどうしようか悩むレベルの本に1000円以上は高い。それに良かったと言っても値段も品揃えも他の店舗にもあったなレベルで、それごときで僕を動かすのは無理だ。
 自転車で来た道を引き返し、途中でお昼ご飯を買ってから家に帰る。
 全部食べ終わって、軽く時間を潰し、ゲームを起動する。先ほどと違い、今度は三人のうちもう一人の方が寝坊で十分ほど遅刻する。初めはボイスチャットをオフにしていたせいか、なかなか勝つことができなくて、今日なんか上手くいかないねーと言い合う。
 ゲームも一人でやって面白いことってあまりない。昔は早く働いて、稼いだ金も空いた時間も全てゲームに費やすものだと思っていた。でも誰かが作ったこの通りに楽しんでくださいという箱庭には大学生になって飽きてしまって、そこからは読書の虜だ。ある意味、本も箱庭ではあるけど、他人の作った箱庭を脳内で再現し、それを参考に自分でも箱庭を作る、つまりは創作することの楽しさを知ってしまった。受動から能動になってしまった僕からすればもうゲームは暇つぶしと友人と遊ぶ理由でしかない。現にゲームよりも会話をしている方が楽しい。あとはうまくいったときのスカッとした感じ、うまくパズルのピースがはまった感じ、張り詰めていた緊張を解くような充足感が心地よい。そのときに褒めてもらったり、指示を聞いたりする一つ一つが誰かといるという感覚をくれる。
 名古屋に来て、一人で休日を過ごすことが増えた。少しは慣れてきたし、楽しむことも覚えてきた。さみしがりやな僕にしては大成長だ。でもなくていいわけじゃない。たまにこうして心に風を通してやらないとすぐに澱んでしまうだろう。そうならないようにしてくれている人全てに感謝だ。

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