父を育てる(介護ではなく育児)必要が私にあるのか?なんの修行だ。。。

また父が余計なことに首を突っ込み始めた。
他人の事となる目の色変えて首を突っ込んでくる。まさにNosey-Parker 。

他人のことに手を出すこと。これはきっと彼の自己顕示欲と他者への糾弾欲が存分に発揮できる絶好のチャンス。他責の塊。
他者のミスをほじくり出し徹底的に叩きのめす。それが父の自己実現。

ごくたまにこれが功を奏す時がある。
それは父の独身兄妹が認知症になった時だった。
独身だからこそ何かあった時にためにと溜めておいた貯金を通帳ごと信じていた友人に持ち去られていたことにも気づかないほど進行した認知症。
この時父はその友人を徹底的に追い詰め通帳を取り返し、認知症を受け入れる病院を手配した(もちろん実際の看護は全部母に押し付けたが)。

だけどその狂犬のように誰それ構わず歯を剥き出しに、目も剥き出しで喚き散らす姿は、母や私たち子供には見るも絶えない姿だということにはいまだに気づいていない。

そして他人の些細なミスをほじくり出し徹底的に追求する自身の姿勢を投影してるのだろう。父は自分が少しでも攻撃されていると感じるとまた喚き散らす。
結局どうやっても、歯を剥いて目を剥いて、狂ったように怒鳴り喚き散らすことを80年以上続けている哀れな個体だ。

その父がまた弟嫁と孫のことに首を突っ込み始めた。
弟嫁も結構したたか。四人兄弟の末っ子は、甘える術を知っている。自分からは何も行動しないくせに、他人を操作し、自分のために動かす術には長けている。だから弟とのことを自分に都合よいタイミングで父に話し、父を煽るのだ。

今回は、いよいよ本気で別居が視野に入った、ということを父に言ったらしい。
なので父は「孫に遺産を残すために孫を養子にする」とまで言い出し、そのための作戦を相談したいと私に言ってきた。


相談。。。
お前の辞書には「相談」なんて文字はないことは十分よく知っている。お前が思いついたことは全て実行されると思ってる。その実現のためにかつては母を、今は私を使おうとする。

でもこんなことは父の一存で決められない。まずは弟嫁の意向を聞かないと。。。。
と言ったら

「お前はなんでも一言言うと全部俺を否定する!相談したいと言ってるのにデジタルでダメダメという!俺の相談したいことはアナログなんだ!!!!」と言い出した。

デジタル?
アナログ???
わけわからん。

まあ要するに、俺を否定するなと言うのだろう。

私も色々勉強してきた。
父は典礼的な発達障害(ASD)だろう。
発達障害の子供の育て方は、否定せずまずは受け止めてあげて、話を聞いてあげて、安全な環境を作ってあげてから少しずつ向き合って。。。が必要なんだろう。


でも、でも!!!!!

なんで私がこのクソジジイを教育しなきゃならないんだ?
可能なら弟のように私も父を投げ出して見捨ててしまいたい。いやむしろこの手で殺してやりたいと思ったことも数え切れないくらい憎しみしかない。

なのになんなんだ?この現実は。。。

神様がいるのであれば。
なぜ神はこんな理不尽なことを私に課すのだろう。。。
世の中には普通の親子関係で平穏に暮らす人もいっぱいいるのに、なぜ私はこんなジジイを受け入れるなんて苦行をしなきゃいけないのか???

誰か助けて。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?