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懐古 ー昔を懐かしむー

大学生になった頃から、やたらと過去を振り返るようになってしまった。昔行った場所、見たもの、聞いていた音楽に遭遇する度に、アニメやゲームの世界があたかも実際に存在しているかのように思いながら毎日楽しく過ごしていた幼少期を思い出す。道端の小学生が楽しそうに遊んでいる様子を見かけて、私もあんな風に遊んでいたいと思う事さえある。

高校までは過去に思いを馳せたりする事はほとんどなかった(気がする)が、ここ何年かの感染症流行によってか、個人的には高校までの人生と今の人生に大きな隔たりがあるように感じている。何をやっても上手くいかないように感じ、心身共に疲弊していた時期であったが故にそう思ったのかもしれない。最近は状況が落ち着いてきたこともあって街に賑わいが戻りつつあり、まるで何事もなかったかのように社会は平常を取り戻しつつあるが私にとっては未だに以前とは全く違う世界にいるかのように感じて仕方がない。そんな中で過去を懐かしむ事が何か心の拠り所になっていた気がする。

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そうした一面から私自身は幼かった頃の世界観や心持は忘れずにおきたいし、きっと何かの役に立つと信じている。

一方で懐古厨という蔑称があるように、過去にすがりつきたいが故に自身の見解が狭くなってしまう事には気を付けたい。

「最近の若い者は~」

「今の子は○○をしない」

これは遥か昔から言われ続けている老人の常套句(の一部)である。所謂老害というやつだ。やれ礼儀がなっていないだの、○○は子供がするものだのとは言うものの、結局時代の変化についていけないのだろうと言ってしまえば片付けられてしまう。

若者はこうした人たちを老害として非難する。そのこと自体は至極当然であるしSNS上でそうした主張をしている人を見かけると私も不快感を覚える。

けれどもそれを反面教師としなければ私達も年を取るにつれて同じように「老害」と化してしまう。自分達の時代はこれが普通だったと懐かしむ事には問題ないが、時代の流れを無視して昔の在り方をそのまま現代にも適用させようとするのは自分勝手以外の何物でもない。

もっとも、新しい環境に適応することはそう簡単にはいかない。どうすれば新しい環境を受け入れることが出来るのか、それを模索しながら今日も生きていく。

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