目的以外は全て手段

だいぶ前にこんなつぶやきを残したことがあるのを思い出したので,少し書いておく。

大谷くんというのは大谷翔平選手のこと。

マンダラートというのは,検索してもらうとわかりやすいが,真ん中に目標を書き,それを周囲の8マスに要素を分解させ,さらにそれぞれを周囲の8マスに分解し,という目標管理シート(思考方法)である。

大谷選手は,真ん中のマスに,「ドラフト1位8球団」という内容の目標を書き込んだ。そして,それを叶えるための必要な要素を分解していったのだ。スピード160キロ・コントロール・キレ・メンタル・などなど…

このそれぞれの要素は,真ん中の目標達成に対しては「手段」の関係にある。

マンダラートの性質上,ある「手段」の達成のために必要な要素を,さらに8マスにどんどん分解していく。たとえば「スピード160キロ」のために「体幹強化」「可動域」等…。この部分の関係だけみると,スピード160キロが目的で,その手段という関係になる。

しかし「スピード160キロ」というのはおおもとの目標ではない。これもあくまで,最終目標との関係では手段である。

目的と手段を混同しないこと

最近とにかく痛感するのは,目的と手段を混同しないようにしたい,ということだ。

例えば,弁護士会の活動でも「シンポ」をすること自体が目的になっている人がまま見受けられる。シンポは手段でしかないし,目的との関係でシンポという手段が本当に適切なのか,効果があるのかはちゃんと検討されなければならない。逆に言うと,その「シンポ」によって達成したい目的は何なのか,ちゃんと考えられていないと話にならない。マンダラートの真ん中に,「シンポの成功」とか書いているようではだめである。

昨今の政治も同様で,「政権交代」は目標ではなく,作りたい社会・政治のビジョンとの関係では手段の一つでしかない。

この話は,分かっている人には至極当たり前の話なので,いちいちいうのは斜めに構えているような印象を持たれるかもしれないとも思う。

しかし,自戒を込めて。手段が目的化していないか,常々振り返ることは大切だと感じている。マンダラートの真ん中に書くトピックを意識することは,自らの核となるビジョンを明らかにすることに他ならない。そして,今自分が取り組んでいる「手段」の位置づけを客観視することにつながるはずだ。


大谷選手の真ん中「ドラフト1位8球団」というのは,「日本一の野球選手」という言い換えのようにも思える。真ん中に「160キロのスピードピッチャー」と書いても「20勝30本」と書いても,今の大谷選手はなかったかもしれない。

自分が真ん中に何を書くか,今書いている内容が真ん中にふさわしいものなのかは常に問い続けてもいい問題なのかもしれない。












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