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スマホを機種変するとエモい気分になった話

皆さん、機種変してますか(長嶋茂雄風)

 最近初めてケータイを買ってもらった人ならばともかく、殆どの人は機種変を経験したことがあると思う。私ももちろんその中の一人だ。

 私が最初に買ってもらったのはガラケーで、画面が180度回転するタイプのものだった。回転させなければキーが画面のサイズに収まるのでポケットや鞄の中で扱いやすく(その分厚みは出るが)、文字入力などは出来なかったが電話くらいなら出来た気がする。正直言って小さいだけなら折りたたみ式でも良かった気がするが、今となってはなぜその機種を選んだのか記憶にない。

ガラケー

※調べたら出てきた。懐かしすぎて涙が出ますよ…。これの白を使っていた。なんで黒じゃなくて白だったんだろう。

 私がケータイを買ってもらったのは高校一年の夏だった。高校一年の入学時にケータイを持っていないというのは当時ですらかなり例外で、驚かれることも多かった。特に困ったのが部活の連絡で、確かメールの一斉送信で当日の連絡などが送られていた。私は入学してからしばらくの間ケータイを持っていなかったので、近くのクラスの友達に何か連絡がないか聞いていた。今思うとクソ迷惑な話だが、嫌な顔一つせず3ヶ月間も親切に教えてくれた彼には今度の同窓会で改めてお礼を言おうと思う。

 私がそこまで頑なにケータイを持つことを拒んだのはマイノリティでいたいという厨二的な痛い発想からだった。しかもその時は必要性も感じていなかった。家のパソコンでメールはチェックできるので、次の日の連絡は家でも確認できるし、メールでのやりとり自体は中学校の頃からしていた。ということは周りの人間は中学校の頃には大体ケータイを持っていたということになるが、当時の私はそんなこと意に介していなかった。

 とはいえ流石に突然の連絡を毎回他の人に聞きにいくのは申し訳ないし面倒くさいので、高校入学から数ヶ月でケータイを買ったのだった。しかし私はその中に一体どんなデータが入っていたのか、全く覚えていないし確認することもできない。

 事件は大学進学で上京した後、大学の最寄駅のトイレで起こった。私が高校3年の頃にはスマートフォンが世に出回っており、入学してきた1年生もアクオスフォンか何かを持っていた気がする。まだiPhoneは誰も持っていなかったと思う。少なくとも周りでは。

 そんな中健気にも高校から使い続けていたガラケーを持って大学に通っていたのだが、駅のトイレの和式便器にケータイを落としてしまった。その後慌ててドコモに行き、Galaxy S2 を買った。人生初のスマホだ。当時既にラインは生活インフラとして普及し出しており、いずれにしろスマホへの機種変は避けられなかったと思うが、水没させてデータ消失というのは切ない。機種変した時はむしろ新しいガジェットへのワクワク感の方が大きく、そんなこと全く気にしていなかったが。皆さんは今までのデータはちゃんとどこかに保存しているのだろうか?私は20代後半だが、10代の頃のデータを未だにきちんと管理している人ってどれくらいいるんだろう。10代の私は一体どんな写真を撮り、何を大切な思い出としていたのだろうか。

 便器での水没を経て私のもとにやってきたギャラクシーくんだが、2年くらいで動作がもっさりしだした。その頃のスマホのストレージはせいぜい16GB くらいのものだったが、私は10GBも使っていなかった。それなのに11GB以上使っていることになっていて、そのほとんどは写真や動画ではなくその他になっていた。原因は誰にもわからなかった。どうすることもできず、寿命と判断して機種変することにした。ギャラクシーくんは実家のどこかに仕舞われていると思うが、不思議とこっちの中身は特に見たいと思わない。馬鹿な大学生の日常なんて今見返しても面白くないだろうし、残しておきたい思い出より忘れてしまいたい記憶の方が多そうだ。

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※謎のもっさり病に倒れたギャラクシーくん。何だったんだ。

 ギャラクシーくんが謎の病で倒れた後、白羽の矢が立ったのがついに登場、iPhone 5S である。今はAndroidの方が高く評価されているのもよく見るが、その時は謎の現象でまともに動作しなくなったことへの不信感が大きく、iOSへ乗り換えた。使ってみると、確かにiPhoneはiPhoneで素晴らしく、そのまま今まで使い続けている。

 私にとっての初めてのiPhoneである5Sくんは指紋認証が付いていた。外観もメタリックでギャラクシーくんのプラスチックっぽい感じより好みだった。その上買い換えるときに1万円以上の下取りに出てくれた優等生だった。

 2年前にiPhone 8 に機種変した。理由ははっきり覚えていない。ただ、だいぶ5sでは動作も重くなってきたような気がするし、Suicaや電子マネーも使いたかったので変えたのだと思う。我ながら曖昧だが。

 もうこのくらいになると機種変でデータが消えるということもほどんどなくなった。パソコンを使ってもいいし、iCloudやGoogle Driveなどを併用すれば無料でもバックアップは取れる(実際はどこに何をバックアップしたのか分からなくなってデータが散り散りになってしまったのだが)。

 iPhone8はとても使い勝手が良かった。この前2代目のiPhone SEが出たが、それも納得だ。色々と言われることもあるが、個人的には指紋認証の方が使いやすい。手を洗った直後などは指紋認証を使えないが、マスクをしていると使えない顔認証よりマシだと思うし、ポケットから取り出す間にロックを解除できるのも良かった。カメラの性能は同時期に出たiPhone Xには劣る。レンズが一つしかないし、比較すると色味もちょっと不自然だ。それでも、価格差や性能を考えれば素晴らしいスマートフォンだった。

 そのスマホを、先週iPhone XS Maxに替えた。これで人生4度目の機種変だ。機種変してデータ移行をしている時、何となく切ない気分になってきた。万人に理解してもらえるとは思わない。私ももしかしたら初めての感情だった。新しいスマホが使えることへの期待感よりも、そのケータイを使っていた生活を手放すことへの寂しさが勝ったのだ。理由はいくつかあると思う。

 一つ目は、これまでで初めて機種変の理由が故障や水没ではなかったこと。義父が機種変するので、余ったiPhoneを使わせてもらえることになったのだ。だから、自分の中で使い切った感覚がなかったのかもしれない。

 二つ目は、性能の面で大きな変化がないこと。同時期に出た機種なので、カメラなどで差はあるものの劇的ではない。違いといえば指紋認証か顔認証かくらいなのだ。画面のサイズや見た目は確かに違うが、そこまでの別物感がない。

 三つ目は、人生の変換点を共にした思い出深い機種だったということ。前の機種はプロポーズ、入籍、新婚旅行、長男の誕生、退職など多くのイベントの時に私と共にあった。バッグの中にあるケータイが変わるのは、割と大きなことだったのだ。

 四つ目は単純に歳を取ったのかもしれない。先輩方から言わせれば二十代の後半なんてまだまだとおっしゃるだろうが、それでも時と共に人は変わるものかもしれない。

 手ごろなサイズで軽く、使いやすかったケータイ。カバーも保護フィルムも貼らなかったので周りの金属部分は傷だらけだし、画面も小さな傷がいっぱい入っていた。雑に布団に投げたり、コンビニの会計の時すぐに支払いができたり。ちょっとした何でもない日常に溶け込んでいたケータイが変わるだけで、こんなにもセンチメンタルになってしまうとは。まだ義父が使っているので、どうしてもという時はまた交換してもらうかもしれない。自分でも驚くほど、あのケータイが馴染んでいたようだ。


スマホを替えただけなのに、というお話でした。

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