見出し画像

触れない優しさ

同性愛関連の話が出てくるたびに心に決めているスタンスがある。
それは「俺には関係ないので好きにしたまえ」と言う事だ。
反対したら俺と彼女が即座に結婚できて子供にも恵まれて金も貰えてハッピッピと言う訳でもない。
賛成したからって彼女が同性愛に目覚めて俺を捨ててどこの馬の骨とも知れない泥棒猫にかっさらわれる訳でもない。
どっちに転んだ所で俺には関係ない。だから当人のしたいようにしたらいい。
そういうスタンスだ。

世の中、同性愛に限らず複雑な立場の案件が沢山ある。
当事者にも良く分かってない心境や状況もあるだろう。
そういった物を聞きかじりの解釈違いを訳知り顔でぶっ込む奴とかどうよ。腹立たない?
解釈違いなんだけど、一応こちらの状況を斟酌してくれて理解を示してくれてる訳だからあんまり邪険にする訳にもいかず、かと言ってそのまま受け入れると解釈違いが既定路線になっちゃうから苦笑いで頷くくらいしか出来ない……みたいな感じになっちゃうでしょ?
俺嫌なんだよ、そういうの。やるのもやられるのも。

理解するならしっかり理解したい。理解する為にコミュニケーションを取りたい。
けど、当事者は自分の事で忙しいし、それなら境遇が似てて解釈違い率が最初から低い人と話す方がストレスがかからない。
だから俺は理解を諦めて「当事者の好きにしたまえ」とそのテリトリーから身を引くのだ。

近づかないのは理解したくないからではない。
近づく事自体が自他共にリスクがあるからだ。
俺はそのリスクの地雷を爆発させたくないから、敢えて近づかないのだ。
俺はそれも優しさだろうと思うから、そうしている。

だが、話しかけられてまで退くような冷血漢ではない。
面倒事でも、聞いて欲しいことがあれば、そりゃあ聞く。
アロエリーナ程度には聞くから、話しかけてくれ。
それまでは触れないからさ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?