新訳 【星座になれたら】 きめぇぼざろオタクが本気で考察した結果ww

アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』12話で披露された星座になれたら。

この曲は世間だとぼ喜多の歌だと思われています。
しかしぼざろ原作を買って何度も読んでぼざろオタクとしての練度が高まった自分は思ったのです

いやこれただの後藤さん日記!」

ということでちゃんと歌詞の解釈をはっきりとさせこの歌の本当の意味を確かめるためにこんな記事を書きました。

画像はない、絵も描けない、文章だけ。素人の1万字。
特大の地雷、特急呪物が完成しました!
読んでもらいたい気持ちだけはあります!!よろしくお願いします!!



問題提起 『星座になれたら』とは?


全てをすっ飛ばした結論を最初に言います。
星座になれたらはラブソングです。

それを説明するためにもこれからまず行うのは
ぼ喜多の解釈を一切省いた状態で見る
星座になれたらの歌詞解釈 です。

そうすることでどんな解釈においても
より星座になれたらという曲に深みが増すことでしょう。

ということでまずは歌詞の解釈からスタート!!


歌詞の解釈


まず歌詞について自分の解釈の結論を言います。
ぼっちちゃんのバンドへの感情
それが一貫したテーマです。

全体の流れとしては
1番=バンドという憧れへの出会いと妄想
2番=憧れに手が届くはずなのに未だ遠い現実へのジレンマ
Cメロラスサビ=結束バンドとの出会いと結束バンドに込めた感情
原点から現在へそんな時間経過に沿って書き綴った歌詞で間違いない。

この解釈の一番の良さはずばり
後藤ひとりそのものが描かれているということ。
ぼっち・ざ・ろっく!という作品が好きな人間からすれば、後藤ひとりがいたって単純な人間であるのは明白です。そして後藤ひとりの作詞は自身の素直な感情をそれっぽい言葉に言い換えていると明言されています。
この2つの要素を念頭に置いて作り上げられているんです。

つまり「ぼっち・ざ・ろっく!」をよく理解した歌詞で構成されています

ということでまずはこの主張をするために歌詞の解釈をどーんとやっていきましょうという話です。
自分の解釈をここから垂れ流すわけですがこれだけは言っておきます。

この歌の正しいであろう解釈は一つの解釈だけでは成り立たないんです。
自分の解釈と世間のぼ喜多解釈の二つが合わさることで
本当の「星座になれたら」になります。

1番 Aメロ

もうすぐ時計は6時
もうそこに一番星
影を踏んで夜に紛れたくなる帰り道
どんなに探してみても
一つしかない星
何億光年離れたところからあんなに輝く

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/seiza-ni-naretara/

これを分解して紐解いて行きます

【もうすぐ時計は6時】

文字通り時系列を表現しています。
ここは2番とつなげると意味が明確になるので2番の方で解説します。
出だしがこれでいいのかこの考察記事?と思ったので一つだけ。

意味を理解した後に0時は何か想像すると6時にした理由もわかる。



【もうそこに一番星】

では改めまして、しっかりと説明して参ります。
これはぼっちちゃんが初めて知ったバンドという存在を示唆してます。
夜空を見上げるだけの自分と夜空に浮かぶバンドスターとの距離感と歌詞の情景を合わせて一番星に例えているわけです。



【影を踏んで夜に紛れたくなる帰り道】

影を踏むとは影の中なので日の光に照らされたくない陰キャ後藤ひとりのことでしょう。帰り道に関しては前後の繋がりを意識して情景を描いただけで登下校2時間を連想させるために選んだワードな気がする



【どんなに探してみても一つしかない星】

そんな陰キャの自分でも輝けるのはきっとバンドしかないんだってこと。
実際この時点の後藤さんは頭も悪く体力もないしコミュ障。おまけに容姿が良いことを自覚してない。
そんなクソ陰キャの自分でも可能性があると感じられたのはバンドだったのでしょう。
でもこいつ喜多ちゃんへの第一印象はかわいいなんだよなあ?
なんだこの女…?


【何億光年離れたところからあんなに輝く】

ぼっちちゃんがバンドという一番星を知ったのはテレビを通してでした。
つまり何億光年離れたところ=テレビを通して知ったから。あんなに輝くのはテレビの光…じゃなくてバンドという希望の光…ですよね?
いやあ後藤さんだからなあ…マジでテレビを通して知ったことをそのまま書いてそうなんだよなあ…

Aメロ超ざっくりまとめると陰キャの私とバンドとの出会い。

1番 Bメロ

いいな君はみんなから愛されて
いいや僕はずっと一人きりさ

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/seiza-ni-naretara/

ひとまとまりで見たいのでそのまま内容に入ります。

割と解釈の余地があるので2パターン提示。

一つは周りからちやほやされてるバンドの人達(君)が本当は自分と同じ陰キャだったっていうテレビインタビューの情景そのままを描写した解釈。
つまりぼざろ1話の冒頭部そのものです。

もう一つはぼっちちゃんの妄想説。人気者になった後のインタビューに対して「いいや僕はずっと一人きりさ(キリッ)」という受け答えのイメージなのかもしれない。
ぼっちちゃんはこういう妄想癖がある子なのでこの解釈も割と成立する。
詳しくは原作4巻を読もうね!

正直どっちも後藤さんらしい解釈だから絞れない。
強いて言えばテレビで見たっていう直球解釈と繋がるのは前者
サビが自分の思い描いた夢の話になるのでそこと繋がるのは後者かなあ
って考えるとダブルミーニングでいいんだろうね。

1番 サビ

君と集まって星座になれたら
星降る夜 一瞬の願い事
流れ星にそう願った
きらめいて ゆらめいて 震えてるシグナル
君と集まって星座になれたら 
空見上げて指を差されるような
つないだ線 解かないで 僕がどんなに眩しくても

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/seiza-ni-naretara/


【君と集まって星座になれたら】

(まだ見ぬ)君(バンドメンバー)と集まって星座(バンド)になれたら
ようはバンドに憧れたぼっちちゃんの思い描いた夢。正直言うまでも無さ過ぎて書くことない。


【星降る夜 一瞬の願い事】

夜=ぼっちちゃん。
陰キャぼっちの世界に肥大化した承認欲求を叶えてくれるかもしれないバンドという名の流れ星が降ってきた

流れ星に願うわけだけど
流れ星って1秒にも満たない一瞬しか見えない存在ですよね?
つまり流れ星への願い事は反射的に出る本心の願いに他ならない。

バンドをやってちやほやされたいという強い決意を表現してますね



でも本当の後藤さん翻訳すると
バンドという憧れに夢中(夢の中→夢のような景色→星降る夜)になった
ギターを貸して欲しいとパパ(願いを叶える存在=流れ星)に願った
つまりぼざろ冒頭のあの日のことをダイレクトに表現してると捉えてもなぁんもおかしくないなあ^^


【きらめいて ゆらめいて 震えてるシグナル】


夢を見ているときの脳波的な意味のシグナルと解釈したらこの部分全てが夢を表現してるとも取れる。きらめいてゆらめいてる実体の無い夢の世界。
幻想的で遠回しな表現は作詞家さんのセンスなんだろうと思ってみたり

言うまでもなく後藤さんのことなのでテレビを通して観た見果てぬ夢とそれに対して感じた強い感情の波をテレビ信号にかけて震えてるシグナルと言い換えてますよね^^?


星座になれたらの歌詞解釈やって思ったけど
後藤さん中二病っぽいワードが出ると急に知性が増す傾向強い。



【君と集まって星座になれたら 空見上げて指を差されるような】

思い描いたバンドになれたなら誰もが知ってて指を差されるような注目の存在になっていたい。原初の後藤ひとりちゃん(12)の承認欲求。
なんか犯罪集がしてきた。文字ってこわE



【つないだ線 解かないで 僕がどんなに眩しくても】

夢なら覚めないで、最高のバンドスターになった自分でいさせて欲しい
きらめいて~で夢を表現した後の部分なのでこの辺の解釈は全部夢の話だって意味で捉えていいんでしょうね。

まあ元々ぼっちちゃんは
ギターボーカルを夢見ていた描写があることを踏まえて最強のギターと歌唱力(になっている)を持つ私に引け目を感じないでね^^
なろう系イキリ主人公の自分を想像していたのかもしれない。
どう見ても踏み台のテンプレで草。あんたは一級フラグ建築士や。


歌詞の考察を通してお分かりいただけたと思いますが
・ロマンチストなテイストにあふれた妄想解釈
・後藤さんの体験した現実の出来事そのものな後藤さん翻訳

この現実と妄想が両立したダブルミーニングの多い歌詞となっています。
こう考えると妄想の部分は作詞家さんのセンスなのかな?と思いました。いやあすごい。すごくすごい。本当に。原作まんまのことを表現しつつ書かれてるのが本当にすごい。

多少(自分の解釈に)ブレはありますが通して言うと
1番は後藤ひとりがバンドと出会いそこに抱いた憧れと衝動。
「ぼっち・ざ・ろっく!」の原点にフィーチャーしたと言えるのではないでしょうか?


2番 Aメロ

もうすぐ時計は8時
夜空に満天の星
何億光年離れたところにはもうないかもしれない

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/seiza-ni-naretara/

では2番やってみよう。

【もうすぐ時計は8時】

さて、1番の時系列と比較しましょうか
6時から8時という妙に具体的な数字の進み方。もうお気付きですね?
そうギターを始めて2年が経過したことを表現しているわけです。

2時間の登下校ではない理由も解説しましょう。これは後藤さんの人生を振り返ると理由付けになる

中1まで何の才能も無く退屈で辛い人生を歩んできた後藤ひとりにとって、「ギターに夢中で向き合った2年間」はきっと今までの人生の中で感じたことのないほど時間の経過が速かったはずなんです。

つまり毎日6時間ギターを弾き続けた2年間は後藤ひとりにとって体感2時間と解釈するくらいがちょうどいい。

この視点から考えると逆に後藤さんにとって2時間の登下校は本当に2時間なのだろうか?という疑問も浮かぶ。
またこの後の歌詞の内容も踏まえると時間の経過=年数の経過と考える方が流れに合ってます。
まあなによりこういう闇が見え隠れする解釈の方がぼざろらしいでしょ?


【夜空に満天の星】


中3になったぼっちちゃんに起きた変化は何だったか覚えていますか?
友達とのカラオケで良く歌う彼ピッピの好きな曲弾いてみたを投稿
ギターヒーローがネットで評価され始めたことです。
つまり夜空(陰キャの自分)にたくさんのコメント(満天の星)が付いたで間違いないでしょう。
もう空を見上げる私じゃ無くなったんだなあと、感じられ、夜空を彩るバンドマンにふさわしい言葉選び


【何億光年離れたところにはもうないかもしれない】

ギターヒーローの評価が高まったことでもうあの日みたバンドの夢も現実になるかもしれないという調子に乗りやすい後藤さんの浮かれた想像。

通してまとめると
あれから2年後ギターヒーローになった私は結構出来るやつだ!
見ての通りイキってる後藤さん、フラグ建築士としても成長しました。

2番 Bメロ

月が綺麗で 泣きそうになるのは
いつの日にか別れが来るから

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/seiza-ni-naretara/

ここも短いのでまとめて解説していきます。

1番の一番星が2番では月に変わってます。
あの日夢見たバンドはもう子供の夢ではないくらいに距離が縮まったことを踏まえて一番星(金星)より近い綺麗な月と表現を変えたのでしょう。

泣きそうになるのはギター上手くなったのに結局バンドが組めず文化祭ライブも出来ず友達も出来ずで何も出来ずいつのまにか中学卒業の時(別れ)を迎えてしまったからです。
ちっぽけな自尊心で必死に強がってるけどもう泣いてるんだよなあ・・・
後藤さん単純なのね!

いやあさすがのフラグ回収能力、1番人気はこちらの後藤ひとり
期待を裏切りません。

2番サビ

君と集まって星座になれたら
彗星みたい流れるひとりごと
消えていく残像は真夜中のプリズム
君と集まって星座になれたら
切なる願い 誰かに届いたら
変われるかな 夜の淵を
なぞるような こんな僕でも

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/seiza-ni-naretara/


【君と集まって星座になれたら
彗星みたい流れるひとりごと】

1番同様まだ見ぬ誰かと一緒にバンドが出来たら。ただし1番とは違って悲しい感情から出てきているのでニュアンスはだいぶ違う。

そして夜空を見上げる側じゃなくなった後藤ひとり。間違いなくギターの腕はあるのにネットという不確かな居場所しかない輝く星
すなわち、彗星を自分に例えてるという解釈。


【消えていく残像は真夜中のプリズム】

(※プリズム=光を様々に屈折させ分散させる物体)

バンドを組んで文化祭ライブしたり皆にちやほやされるはずだった。
そんな思い描いていた夢の光は実現せず、実体の無い夢のまま消えていったことを残像と表現

そしてド陰キャの自分を真夜中に例え夢の光がバラバラに引き裂かれたことをプリズムと表現した自虐。


もしくは夢が引き裂かれた陰キャの自分に残ったのは虹のような音色を響かせるギターだけという歪な自尊心を表現した自虐。
どちらにせよ自虐。

中二病っぽいワードが出ると後藤さん想像力が豊かになるから難しい。。。


【君と集まって星座になれたら
  切なる願い 誰かに届いたら】

後藤さんが中学3年時にバンドを組みたくてやったことは何だったでしょうか?
CD机に置いてアピールしたりデスメタル流したり云々かんぬんのアレです。
もう、、わかるよね?


【変われるかな 夜の淵を
   なぞるような こんな僕でも】

夜の淵はいわば陰陽のはざまを意味する、なわけもなく。

陰キャでも出来るはずのバンドすら組めず、頭も悪いし運動もできないコミュ障で引きこもり一歩手前という役満陰キャ後藤ひとり
人それを陰キャの深淵と呼ぶ。これをまとめると
陰キャという名の夜の深淵をなぞるような自分でもあの日夢見たバンドのようになれるのかな。という解釈。

高まったはずの自尊心がバラバラに崩れ苦しくて辛くて悲しい感情を零した。そんな歌詞になってます。夢と希望を歌った1番とはまるで真逆。
後藤さんが世の中への不満なんかを歌詞に書いていることも踏まえると100点満点の解釈でしょう。



はい。というのが2番です。
努力が報われない現実に対して心から悲しくて辛い感情。同時に無くならない承認欲求に苦しむぼっちちゃんのグチャグチャになった感情でナイタ(想像力だけは豊かな激キモオタク並感)

Cメロ

遥か彼方 僕らは出会ってしまった
カルマだから 何度も出あってしまうよ
雲の隙間で

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/seiza-ni-naretara/

なんか某有名バンドのタイトルがどうとかの言葉遊びは音楽わからんので置いて考察します。

・時間軸について

1番2番共に冒頭で時間軸を話していたので合わせてここもやっときましょう

恐らく間奏が時間経過そのものを表現してると考えていいと思われる。Cメロの歌詞の解釈も踏まえて
後藤ひとりが結束バンドとであった運命の日からの時間軸
これで間違いないでしょう。ということでまた歌詞の解釈を進めて行きます


【遥か彼方】


この結束バンドと出会った場所。家から2時間という引きこもりからは考えられない距離で虹夏ちゃんと出会い、そして陰キャには辛い下北沢に流れ着いたことを遥か彼方と表現。あまりにも後藤ひとりらしい自虐ネタ


【僕らは出会ってしまった】

結束バンドのこと。

まあ最初に出会ったのは虹夏ちゃんだし?ぼっちちゃんと虹夏の出会いとか
家から2時間離れた学校で出会った喜多ちゃんだ!で解釈したいならそれでいいんじゃない?
それならお洒落なカフェを遥か彼方と称して作詞相談した山田もカウントしてあげろよ!!オタク君はいつもそうじゃないか!!なんなんだお前ら!!山田に対して冷たくないか?!あんなに山田は山田で魅力に溢れて日常系アニメに癒しを感じるお前らと同じオタクの山田に対してどうしてそんな酷いこと出来るんだよ…!!クソがぁ!!山田ァ!(以下ル〇ズコピ(ry


【カルマだから何度も出会ってしまうよ】


カルマ=宿命≒義務→労働の義務→バイトの連想ゲーム。
だから一緒にバイトしてるメンバーとは何度も出会うのは必然って話。
後藤ひとりあまりにもカスすぎる
でもそれでこそ後藤さんだと安心する。正直うざい


【雲の隙間で】


STARRYのこと。 ちょっと分かりづらいので深堀りしましょう。
バンド=夜空の星である以上結束バンドも夜空の星なわけです。
ぼっちちゃんたちのいる場所=夜空であるならば、地下にあるライブハウスってどういう位置関係になるかな?

空を地上の基準にしてみたら雲って地面に見えるかも
つまり地下にあるSTARRYってそんな雲の隙間にあるってことは
雲の隙間から見える地上の星空(STARRY)。
いきなり中二病を出してくる後藤ひとりさん。普通にかっこいい。

全てにおいて後藤ひとりらしさに満ち溢れてる
Cメロ解像度たけえよ

ラスサビ

君と集まって星座になれたら
夜広げて 描こう絵空事
暗闇を照らすような満月じゃなくても
だから集まって星座になりたい
色とりどりの光 放つような
つないだ線 解かないよ
君がどんなに眩しくても

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/seiza-ni-naretara/


ラスサビ破壊力がやばいわよ。一番ヤバい。いろんな意味で。
さっそく解説してイクゾー

【君と集まって星座になれたら】

Q.君と集まって星座になれたらを補足しなさい
A.君(結束バンドのみんな)と集まって星座(バンド)になれたら
(正答率100%)
まあ間違える余地が無いよね。。。



【夜広げて 描こう絵空事】

自分だけの夢から結束バンドにみんなの想いや夢を乗せて叶えたいという願望の変化を表現している!素敵ですね!!

…いや口当たりいいこと言ってるけど結束バンドでデビューしてギターで食っていかなきゃ!(必死)な後藤さんの本心が透けて見えるなあ?
あーあ。解釈なんてすりゃいいってもんじゃねえや。

それはさておき
虹夏ちゃんとの夢の語らいをしたあの日のこととも解釈できるので好きに選べ。
でも僕は後藤さんってとにかく残念な人だと思います(無慈悲)


【暗闇を照らすような満月じゃなくても】

ずっと夢に描いたようなバンドスター(満月)じゃなくてもいいということ

急に別人のような後藤さんが出てきました。驚きですね。いったいどうしちゃったのカナ?(ノンデリおじさん)


【だから集まって星座になりたい】

今まで思い描いていた夢よりも結束バンドのみんなで最高のバンド活動をしたいんだというぼっちちゃんの熱烈な感情が飛び出す。
これはイケメンぼっち覚醒の時…ってコト!?



【色とりどりの光 放つような
つないだ線 解かないよ
君がどんなに眩しくても】

色とりどりの光=ばらばらの個性が集まった結束バンド
そしてそんな言葉をぼっちちゃんにかけたのは…
山田リョウですよね。つまりリョウのことを表現している部分でもあります
彼女の言葉がぼっちちゃんにとってどれだけ大きかったかがよくわかる。

じゃあこの後に続く歌詞は…
こんな解釈になっちゃったからにはもう…ネ?

自分を結束バンドへつないだ線=虹夏ちゃん
どんなに眩しい君=喜多ちゃん
という結束バンドへの想いだけじゃなくメンバーそれぞれへの想いも重ね合わせた歌詞と読み取れるわけです。

感情の爆力魔波です。
さすが0か100の女。ブレーキが壊れてるんだぁ…

そしてもう一つの解釈でもう一回遊べるどん!!
結束バンドのみんな(君)に比べるとギターも含め何もかも駄目なプランクトン後藤ことぼっちちゃん。
そんなぼっちからすると眩しくて仕方がない皆
でも結束バンドを絶対に続けたい。
何が何でも手を離さないからずっと一緒に居て欲しい、
私の居場所になって欲しい。
というこれまたクソデカ感情ワンツーパンチなんです。
この解釈は正しく重複すると思う。


こんなダブルミーニングで解釈するのが正しいと思う。

シャイな癖に突飛な行動を起こす後藤さんらしさを詰め込みつつも、
秘められているのは結束バンドとメンバーへの熱烈なメッセージなんだなあと感じられ非常に味わい深い歌詞となっておりますわね…。。。


え?なんだって?
これを逃したら絶対バンドデビューなんて出来ないんです!!沢山ちやほやされなくてもいいから一生離さないでお願いだから一緒に居てくださいリョウさん虹夏ちゃん喜多さんお願いしますお願いしますお願いします中卒ニートだけは嫌ああああああ!!!!!
そんな心の叫びが聞こえるって!?いやそんな馬鹿なwwwwwww

あっへへ…
ごめん多分こっちが本当の後藤さんだわ^^
見なかったことにしよう。いいね^^

「だから」星座になりたいってことかぁ~

おまけ

最後におまけの考察。

音楽のことなんもわかんねえオタクが星座になれたらを聞いていて気付いた考察を落としときます
短すぎて出しどころがない考察をついでにぶん投げる物ぐさ精神をおまけと言い張る勇気。

ラスサビ入りからしばらくぼっちちゃんのパートが無いのわかります?

これつまりぼっちちゃん→結束バンドへのメッセージパートだと理解した作曲者つまりリョウが意図的にやりやがりましたよね?
作詞のぼっちに対して作曲のリョウはぼっちの言葉にちゃんと耳を傾けるよというアンサー…。と解釈してもよろしか?

ほんとこの山田マジで山田すぎる。



まとめ

いかがでしたか?(定型文)
調査(考察)してみましたが
星座になれたら=ぼっちちゃんのバンドへの感情を1から綴ったものを歌に乗せた曲だったのかもしれません(笑)

そしてそれと同時に…ぼっちちゃんからの結束バンドへの超絶クソデカラブコールのように見えますね・・・笑
つまりぼ喜多に限らず…むしろ可能性は無限大な歌でしたね(ニッコリ)


気になる方は原作を買って行く末を調べてみてはどうでしょうか!
真の星座になれたらは人それぞれです!





ウソですごめんなさい石を投げないで;;

結論

長すぎるので歌詞解釈をまとめるのは各々でやってもらうとして(無能)

普通に考えたら僕の歌詞の解釈とぼ喜多解釈を重ね合わせた時点で星座になれたらの答えは出てるんですよ。

後藤さんらしさに溢れた歌詞 =原作リスペクト
ぼ喜多を連想させる歌詞   =オタクに刺さる
文化祭という舞台      =ぼっちと喜多ちゃんがメイン

この文化祭に相応しい楽曲として

ぼっちちゃんと喜多ちゃんの要素を内包させた最高の曲を目指した」

これに何の文句があるのでしょうか?
それが「星座になれたら」の100点の模範解答じゃないですか?
これが作者側の意図であり真の解釈でいいのでしょうね。

くぅ~疲れましたwこれにて完結です! 以上。完。終。敬具。NOK


以下駄文につき閲覧注意。











こんなところで終わらない。ここで考察を終わらせたくない。
何故なら自分はキモオタだから。

ということでここからは第二部、キモオタの本領。
自分のイメージした最も美しい解釈をひけらかす
そんなオタクくんによる「星座になれたら」の新の解釈をお送りします。

新の解釈というタイトル通りぶっちゃけた話こっからが本題です。


そしてここから先に進むには一つ注意事項がございます

ここからの考察を語る上でどうしても
ぼ喜多」がミスリードであるという視点が必要になることです。

日常系アニメがお好きなオタク共にとっては許し難い、
アンチ寄りの目線からしか見られない景色をお届けしてしまいます。
でもそれが絶景だったんだから人に見せたくもなるって話です。

なのでここから先はネタバレ含んだ本当の閲覧注意。強い心を持ったオタクだけが読めばいい。
どうしても耐えられないなら鬼ころでも呑みながら読めばいいさ。


新訳『星座になれたら』


真の訳ならぬ新訳の結論ですがこちらも最初に言った通りラブソングに変わりありません。
ただ全く意味の違う愛になりますが。へへ、、

そして先ほど述べたようにこの解釈は「ぼ喜多」がミスリードであるという大前提のもとに見えてくるものになっています。なので

・ぼ喜多がミスリードである理由の主張
・僕の考えた「星座になれたら」に秘められたメッセージ

という順に展開していきます。

正直クソまとめサイトごっこで終わらせて別記事にしろよという皆様の本音が聞こえますが、大手のyoutuberとか1時間越えのクソなげえ動画で100万再生取ってる世の中なんだから大丈夫でしょ、だから僕は悪くない。

ぼ喜多がミスリードの理由


再三書きますが僕の結論にはぼ喜多がミスリードであるという視点が必要なのです。
もう嫌な人はさすがにブラウザバックしたよね?平気だね?

では本題。
まずミスリードであるという主張をするためにもこれがぼ喜多ではない理由と根拠を列挙していきます。
あくまで 星座になれたら=ぼ喜多 ではないと言っているだけで
ぼ喜多そのものを否定しているわけではないということを言っておきます。

それでも苦痛に耐えられない時はストゼロでも呑みながら読んでください。


そもそもこれがぼ喜多の歌だとしたらおかしい点が多いのです。

1つ あまりにも露骨すぎる誘導
2つ ぼっちちゃんは共感性が致命的に低いこと
3つ ぼっちちゃんと喜多ちゃんの関係値の低さ
4つ ぼ喜多はまだ始まってない。

以上の4点を説明していきます。


1. 露骨すぎた誘導

この「星座になれたら」
あまりにもぼ喜多を誘導するような演出が多い。それも露骨に。
例を挙げていくと

・文化祭はぼっちちゃんと喜多ちゃんにフォーカスした話である点
・ライブシーンにてぼっちちゃんの窮地を救う喜多ちゃん
・6時→8時の表現などなど解釈を惑わす歌詞が多い
・出会いから今まで喜多ちゃんとぼっちちゃんは独特な関係にある点
星座になれたらのサムネが喜多ちゃん↓(確信犯)


特に最後の部分は原作にない要素であり、明確な意志を持って制作陣が設定しなきゃこうはならんのですよ。確信犯ですこれ。
ぼ喜多という解釈を推し進めるために視聴者に先入観を植え付けようという意思が存在していた可能性になりえるでしょう。

そしてここまで露骨で怪しい誘導はフィクションにおいてミスリードであるのが王道ですよね。



2. 低すぎる共感性



コミュ障陰キャのぼっちちゃんは、基本的に豊かな被害妄想から生まれる自己防衛行動と逃避行動を繰り返しているのはおわかりですね?

これ僕自身も全く一緒だったのでよくわかることなんですけど
基本的にこの傾向にある人って想像力のリソースを
自身の安全を確保することに消費してしまうせいで相手の目線や相手の心情を想像する力が欠損してしまうんです。 

ようするにごく一般的な共感性が著しく低いってことです。


そんなぼっちちゃんは、
喜多ちゃんからぼっちちゃんが眩しく見えてるなんて理解できるわけない。
僕が眩しく見えてると思えない。そんな歌詞は絶対に生まれない。

特にぼざろはパーソナリティの部分と関係性の部分をかなり細かく追及し、徹底してフィクションに説得力を与えながら描いている作品なわけです。
こんな雑なフィクションは成立しないんです。


蛇足ですがぼっちちゃんの共感性は完全に4んでるわけじゃないです。
ただ苦しい辛い悲しいという感情に支配されて生きてきた後藤さんはネガティブな感情にしか共感できないんです。
みんなが落ち込んでたり緊張してる時だけ異常に察しがいい理由ですね。



3. まだ関係値が低い



これね、原作読むと分かる話。ようするにネタバレ含みまくります。
そもそも文化祭終了時点ですらぼっちちゃんって喜多ちゃんの目を見て話すことが出来ないんだよね。

一方この時期のぼっちちゃんは、山田とは目を合わせて話すし虹夏とも一応目を合わせて話すシーンがあります。

何が言いたいかっていうとまだ喜多ちゃんには明確な怖さを感じているという認識が存在してますよねってこと。
さらに文化祭以降ようやく喜多ちゃんがひとりちゃんと名前呼びするのは周知の事実ですが


文化祭以降の後藤さんは喜多ちゃん以外と話す時は喜多さんを「喜多ちゃん」と呼び、喜多ちゃん本人には「喜多さん」と呼ぶ。
そんな気難しい期に突入します。ちなみに関係値が深まったという認知は出来てることを描写しているのも分かります。ここ、テストに出ます。

そしてお泊り会を経てようやく喜多さんのことを「喜多ちゃん」と面と向かって呼ぶようになるというエピソードがあります。


これが何を意味するかわかるか?ぼっちちゃんは終わりってことだよ
ここで初めて喜多ちゃんと本当のお友達になれたという確信を得たんです。

つまり…文化祭ライブ前はぼっちちゃん目線だと喜多ちゃんとの関係ってまだまだ大きな壁がある時期で友達なのかすらわからない時期なんです。

そんな相手への気持ちを歌にするほど強い感情があるだろうか、いやない。
ましてそんな中途半端な感情で書いた歌詞を山田が受け入れるとは思えない


仮にもし、ぼ喜多の解釈が真だったとしたらブレーキ欠損コミュ障オールイン常習犯の後藤ひとりがこんな歌詞を書いておきながら、
喜多ちゃんとの関係値が進展したという事実を認識して行動を起こしてないのは変じゃない?不自然極まりない。



うーん…それにしても
毎日学校の昼休み二人きりで過ごしてるのに友達だと思ってないこのコミュ障の極み乙女マジでなんなん?

だがそれでこそ後藤さんだ!!



4つ目 ぼ喜多はまだ始まってません。


まだ始まってない以上妄想に過ぎない。
という屁理屈を大真面目に主張するオタクのコーナー。

みなさんはぼ喜多が確定する瞬間っていつだと思いますか?
僕は絶対に喜多ちゃんをぼっちちゃんから誘う瞬間だと思います。
はじめの出会いから今までを思い返してください。

二人の始まりは、ぼっちちゃんが喜多ちゃんをバンドに誘った…のではなくて。ぼっちちゃんの奇行を見て気になった喜多ちゃんが自分から首を突っ込んだ形、ようは不完全な勧誘から始まったんです。

それ以降は基本的に喜多ちゃんぼっちちゃんを連れまわして振り回していくようになるわけです。(江の島や冬休み、カラオケ等)
つまりこの関係の一つの到達点とは

ぼっちちゃんが自らの意志で喜多ちゃんを誘った瞬間ではないでしょうか?

これこそ矢印が噛み合う時であり、今迄からの全てに対する対比としてこれ以上なく王道で綺麗な形じゃないですか?
それをこれ程まで丁寧に作りこんだ作品を生み出した、はまじあき先生が見逃すとは到底思えません。

しなかったらロックに脳がやられてロックな展開しか書けなくなったやべーやつが書いたんだなーってことにしておきましょう
ちょっとこの人…なんか最近ロック関係のツイートしかしてないなあ…と思ったら危険信号なのかもしれない。。

ごめんなさい冗談です。許してヒヤシンス

つまりこの展開を経るまでは曖昧なままであるべきだと僕は考えています。

すなわちぼ喜多はまだ確定してない幻想であって実在していないんだというキモオタの妄想垂れ流しのコーナーでした。悔いはありません


もうお分かりだと思いますが
4つ目はなんの根拠にもならないしなんの意味もないです。
露骨に改行も適当なのは別に読む意味が無いからです。
得てして意味がないものを作りたがるのが人間なんでね()
まあ足なんて飾りなのに完成品には無意味に付いてるモノなので世の理に適ってるってことでどうですか?うん何言ってるか分かんねえや。


とはいえぼ喜多とは幻想であり実体の無いミスリードであるという主張には変わりないですし、これらを考慮すると不自然に見えるという理由を提示できたと思います。


ぼ喜多派のみなさんいかがでしたか?(煽り定型文)
嘘です。ごめんなさい。僕を信じてください。(寛くんすき)



ミスリードから生まれた新解釈


ここからは
ぼ喜多=ミスリードであるという視点でお送りいたします。

さて、ぼ喜多がミスリードであるという主張をするうえである重要な問題が発生していることにお気付きでしょうか?
それは明確な矛盾。矛盾してるんですよ。


制作陣がどれほどぼざろへの熱量を持っていたかはアニメを見れば明白。
であるならば。ぼざろオタクが作ったのならば、このミスリードは不自然すぎる。

だってぼっち・ざ・ろっく!って優しい世界なんです。王道を征くならもっと曇らせる展開が来るはずなのにそれが一切ない、王道でありながら平和な世界であることがぼざろ最大の魅力なはず。


ぼざろオタクの制作陣が我々を嘲笑うかのように意図してミスリードを誘うなんていう底意地の悪いことをしたという決定的な矛盾が存在しています。
これじゃあただの性格が悪い制作陣がオタク君の感情を弄んで谷に突き落としたクズ野郎になってしまいます。最終話で泣いた作者が報われません
でもグッズはクズの発想だと思う



この矛盾を解決する方法ってなんでしょうね?
普通に考えたら最初に出した結論が答えでミスリードという考えが間違い。
でももし解決の糸口が見えちゃったらどうします?

例えばそこに明確な意味があったと考えたらどうでしょうか?
矛盾を覆す解釈があったらどうでしょうか?



ここなんですよ。
よく考えてみてください。

ミスリードを否定しないまま矛盾を解決する方法が、そんな可能性が1つだけあるじゃあないですか。


ミスリードと真の解釈を両立させることに意味があった 


ぼっち・ざ・ろっくという作品をよく思い出してみてください。
作品内で後藤ひとりの内面を正しく理解しているキャラクターって誰かいましたか?いませんよね?
だってもしいたらセミの埋葬をするような女になってないのだから。

でも陰キャのオタクにとって後藤ひとりはこれ以上なくわかりやすいヒト科のごとりちゃんなんですよ。

つまり・・・ぼ喜多という名のミスリードと極めて単純な後藤ひとりが共存することで生まれる意味とは



周囲から見る難解な後藤ひとりと実際はクソ単純な後藤ひとりを一曲の中で完全に表現することに等しい

そのための歌詞、そのための演出。
そのためにはただ共存するだけでなく
ミスリードという名の幻想を纏うことで真の姿を導き出したのです。



つまり「星座になれたら」は「ぼっち・ざ・ろっく!」を理解し尽くした「アニメ制作陣」による


後藤ひとりのすべてを表現したかった』


という情熱に溢れた解釈が生まれます。
そしてその表現に喜多ちゃんとぼっちちゃんの二人を内包することで


究極のぼざろ愛を表現したラブソング『星座になれたら』が完成する。




そ、し、て。ここで終わらないのがキモオタの真髄!
か~ww見せてやるか~w
後藤ひとりのすべてを表現した意味に秘められた可能性、
可能性の獣ってやつをよ~www

そうそれは!!!!!!!
後藤ひとり=自身の投影である作者
つまり後藤ひとりを表現したのは作者への感謝と愛の表現だったんだよ!
な・・・・なんだってーー!?
と、ということは星座になれたらの本当の正体は…
「クソデカ愛の結晶オブザイヤー2022優勝!みんなの想い!君に届け!」

…これが僕の想像した答えです(意味不明)
で、ででででもね!答えは制作陣しかわからないから!!
つまりですよ、これはシュレディンガーのキモオタなんですよ。
蓋を開けなくても自分がキモオタだと確定してるのは気のせいです。気のせい。

A.気の迷いです

怒られたらこの可能性の獣(gm)は処分します。許してクレメンスw


まとめ


最後のゲロ以下のにおいがする名状しがたいナ二かは無視してまとめといきましょう。

自分の新訳をまとめた結論がこれです。

「ぼっち・ざ・ろっく」「後藤ひとり」「オタクの夢」全てを表現することこそ究極のリスペクトであり究極の愛情表現

制作陣から「ぼっちざろっく!」へ送るラブソング。



ただ共存の仕方で見える世界がほんの少し変わっただけ。
そしてその目線はアンチぼ喜多側の視点じゃないと見つけられなかった。
ある意味一番ロックな視点。悪くねえな?ス〇ザリンに10点ください。

そうやって比べてみると、アニメ最終話を飾る楽曲として
自分はごととりちゃんぼっちちゃんと喜多ちゃんがテーマのエピソードに相応しい楽曲というだけの姿よりも、
二人のエピソードを内包しつつ制作陣の作品に対する情熱を表現した楽曲だという解釈の方が素敵だなあって思ったのです。

ロックという名の幻想世界の中で輝くのが後藤ひとりという最高の表現があるのなら、模範解答なんてクソくらえと思ってしまったんです。


だからアンチ目線で恨まれようが嫌われようが憚らずにいたのでした。
他人に憚らないくらいの感情を世界は愛と呼ぶんだと信じて貫きました。
平和はこの戦いにはついてこれそうになかったからおいてきました。

平和を戦わせるな
こんなつまらんこと書くから文章が長くなるんだよ。学べ。
はい!!


最後に感想とか

(考察を)完走した感想ですが
こんなにもぼっち・ざ・ろっく!という作品を理解してる制作陣のオタクあまりにもキモ過ぎる(誉め言葉)。もうすごくすごい!優勝です!
あんたらはキモオタの鑑や!!!1

この熱量の大きさは圧倒的ぼざろオタクからしか生まれない。すき。


(誤解されそうだから一応書いとくけど
熱量が多いほどキモいオタクなんだからオタクにとってキモいは誉め言葉。
ほら犬好きの犬との接し方とかちょっと引くでしょ?でもそれがイイ。
それがその人の深みになるし魅力になるから。

最上級の誉め言葉にもなるのがキモいなんだ。だから誉め言葉だと思っとくと人生少し楽しくなるというライフハックを置いておきます。)
自分が悪口大好き煽るの大好き性格ブロンズのカスであることは一切関係ありません。


あと、ここまで書いといて言うことじゃないけど解釈なんて自由なんすよ

ぶっちゃけその気になれば例えば2番のとある部分を

月が綺麗=愛の告白であり別れが来るのは己の姓が変わることを意味してます!!よってキマシタワー・アヴァロンな解釈だって成立します。

なんでもいいんすよ解釈なんて。

作者の意図として正しそうな解釈と個人の勝手な解釈を分別するのが大事なだけ。正解はちゃんと出してるしそれが正しいと思ってます。
くだらない日記がえぐい恋愛に見えてもいいんです。

答えらしきものを探すもヨシ!答えを創造するもヨシ!
それはそれ、これはこれ。信じるも信じないもあなた次第。


これにて本当におしまい
色々配慮した結果の2部構成から繰り出された目次も無い素人の1万5千字☆
クソなげーや!!書いたやつバカすぎー!!〇ねー!!
でも勇を失わなければ問題ない。

配慮とはなんだったのか。 もう…散体しろ!

とにかく!書きたいことは全部書きました!!感無量!!
読んでいただきほんっっっとうにありがとうございました!!


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