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ショートショート「トマト戦争」

「ねぇもしも人間を二つに分類しなくちゃならない、ってなったら、どうやって分ける?」
智子が言った。彼女は「もしも」話が好きで、よくこうやって僕を困らせる。夢見がちな性格なのだ。僕はハンバーガーを食べている手を止め、紙コップに入った水を飲んでから答えた。

「男と女、とか」
「ばかね。入れ物なんかどうだっていいのよ。このご時世、お金さえあれば見た目はどうにだって変えられるじゃない」
「現実主義と理想主義だったら?」
「そっちの方がまだマシ。でもあまりピンとこないな」
智子は少し難しい顔をして、窓の外に視線をやった。清々しいほどの秋晴れだ。人々は枯葉を踏んでいた。彼女が持っている食べかけのハンバーガーは、いくらか萎びて見えた。最初の一口を食べてからずっと喋っているからである。パンの下からはみ出たケチャップがテーブルにぽたっと落ちた。手前のナプキンで机を拭きながら、彼女は続けた。
「もっと身近でキッパリとしたたとえがいいな。現実とか理想とかって紙一重、だれにでもある一面でしょ。そんな気がしない?」
彼女がどんな答えを求めているのかさっぱりわからなかったけれど、考えているふりをしながら適当に答える。
「じゃあさ、トマト。トマトが好きなやつと、嫌いなやつ」
僕は自分のハンバーガーに入っているトマトを抜きながら答えた。智子が大きく口を開けて、そのトマトを食べる。
「そしたらさ、私とハルくんは対立し合うのね。ウエストサイド・ストーリーみたいにさ」
「好きと嫌いなんか永遠に分かり合いっこないじゃないか。決別だね」
「もしさ、ハルくんが私を殺さなきゃならないってなったらどうする?」
「そんなことはしないよ。たかがトマトだ」
「反トマト軍の別の人に殺されてしまうとしても?」
「そんなこと現実に起こらないだろう。もうやめよう」
僕がそう言うと智子は少しムッとして、残りのハンバーガーにかぶりついた。僕はもうすでに食べ終えていた。近くのショッピングモールで買い物をする予定だったのだが、智子は機嫌を直してくれそうにない。無言で洋服選びに専念するのも気が引ける。老夫婦でもあるまいし……

「ハルくんはいつもそうだよね。私のことこれっぽっちも好きじゃないんでしょ。わかってるってば」
「ねぇわかったよごめんって。じゃあさ、ずっと観たがっていた映画観に行こう?どう?」
智子のうつむき顔に、子ども達の笑い声がこだまする。なんせ秋晴れの日曜日だ。子どもづれの家族にとっては最適なショッピング日和だろう。映画館は混むから嫌だったんだけれど、しょうがない。
「ポップコーンも買ってくれるなら許す」
さっき食べたばかりじゃないか、とは言えず、僕らは映画館へ移動した。

映画の上映中、僕は居眠りをしてしまい
(なんせ元から興味がなかった恋愛ものの実写映画だ)、そこで不思議な夢を見た。

その世界で僕は椅子に座って、朝食を食べている。日課として読んでいる新聞の朝刊一面に「トマト農家暗殺」と大きな見出しがついている。テレビのチャンネルを回すと「トマト農家に、一体何が?」とキャスターが眉のしわを寄せ、重々しく原稿を読み上げている。まるで総理大臣とか大統領が暗殺されてしまったくらい、深刻な問題のようだった。すると外でガラスが割れたような音が響く。かなり派手にやってるな、と思い玄関の扉に手をかける。僕の住んでいるアパートは比較的平和な地域にある。5年間住んでいて、泥棒や痴漢被害の話もそうそう聞かない。耳に入ってこないだけかもしれないが。扉を開けた外は、僕が知っている光景ではなかった。アパートの狭い通路でなくて、だだっ広い空き地になっている。驚くのはそこだけではない。芝生であったと思われる場所がすべて、真っ赤な血で染まっているのだ。人はだれもいない。惨劇は終わっていた。しかし広場が埋め尽くされるくらいの血量にも関わらず、誰も倒れていないというのは何かおかしい。ガラスの破片も見当たらない。心臓は破れそうなくらいバクバクと音を立てていた。嫌な汗をかいている。これは夢だとわかっているのに逃げられない。体が硬直してしまっている。すると町のスピーカーから放送が流れ始めた。「反トマト軍が放送局を占領した。トマト軍は直ちに潔く降伏せよ。さもな……」音がそこで途切れる。僕は智子の姿を探した。彼女が危ない。その時後ろから智子の声がした。安堵すると同時に、前からは「反トマト!!」というコールと共に銃声が聞こえた。彼女を守らなくては……

「ハルくん!」
目が覚めると少し心配そうな智子の顔があった。血だらけの芝生も、銃声もなかった。そこは単に、明かりのついた映画館だった。明かり…?
「わぁごめん、寝てたみたいで、」
口がうまく回らない。いつから寝てた?明かりがついてどれくらい?なんで心配そうなんだ?聞きたいことが多すぎて、声にはならなかった。
「映画のラスト、良いところで寝てるなとは気づいたんだけど、エンドロールでうなされ始めて、ちょっとやばいなと思ってずうっと揺すってたんだけど…大丈夫?」
「トマトが…」
「トマト??」
立ち上がろうとする僕を手助けながら、智子は拍子抜けしたようにクスッと笑った。可愛い笑顔だ。
「それで?私は生きてた?」
「彼らは相当本気だったね。まだ生きてはいたけれど、君も僕も、命が危なかった。トマト嫌い、治さなきゃかな?」
「いい機会じゃない」
彼女はまた笑った。
「でも他人と好みを合わせるだなんて無理だ。僕は僕だもの、嫌いなものなんかたくさんある」

夕方の帰り道、カラスと子どもの泣きじゃくる声が聞こえる。スピーカーから聞こえてくる鐘の音は、僕の心臓をいささか硬直させた。道端の枯葉を踏みながら智子は僕に向かって言った。目線は落ち葉側に向いていた。

「明日にはまたどこかで、トウモロコシ戦争や、パンダ戦争が起きているかも。いつどこで対立するかなんて分かりっこないのよ、だれにもね」

#ショートショート

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