心の整理が、まだ、つかない。
2019年、わたしの記事の更新が止まった頃のことです。
祖母が亡くなりました。そして、遺品整理が終わった頃から、今まで尊敬していた実母がわたしに掌を返しました。実兄の言葉を頭から信じて、わたしの言葉には一切耳を傾けてくれなくなりました。祖母が存命だった頃は、わたしにも、相方にも、良くしてくれていたのですけれど、祖母を安心させるためのポーズだったのだと分かりました。
今まで、わたしは、故父が毒親(?)なのかと思っていました。でも、実は実母は、教師故に他の家の子供たちに手いっぱいで、わたしのことなんて気にもかけていなかったと分かりました。故父の敷いた友人・部活禁止令さえ知りませんでした。わたしの食事の好みも知りません。本当に無関心だったんです。
そして、ある時。まだコロナが起きていなかった頃です。
実兄が「大阪なら障碍者雇用先がいっぱいある」「福祉も手厚いとテレビで言っていた」等と提案したらしく、実母から、命令口調で、大阪への引っ越しと就職、そして車の処分を指示されました。
わたしは、閉所恐怖と人酔いが激しく、電車に乗れません。空いているローカル電車でも駄目です。車があるから通院できている状態です。免許が取れない病気のため、相方がいないと何処にも行けません。故に、大阪で暮らすのは難しいと率直に答えました。
すると、実母は、わたしの電話を取らなくなり、メールも無視するようになりました。後日、「わがままは聞きたくない、情けない」とはっきり言われました。実兄からは、引っ越しても転院は可能であること、障碍者雇用で働いている人を実際に見ていることを伝えられました。転院が、特に精神科の場合、先生との相性がとても重要で、どれだけ難しいかは棚上げでした。また、故父のお陰でコミュ障・発達障害を抱え、人酔いが激しい状態での一般的な就職が難しいことも考慮外でした。書き物の仕事は細々と続けていましたが、会社への正規雇用ではないので、仕事と認めて貰えませんでした。所謂「健常者の考え」の域を出ていませんでした。
わたしは何度か、自分の病状を説明しようとしました。その度に手ひどく拒否されました。ここへ来てやっとわたしは、実母がわたしに無関心であり、実兄の幻想を妄信していることに気づきました。ショックでした。実母は尊敬できると思っていたからです。そう言えば、幼少時から、思い当たることはいくらでもありました。学校から実母に連絡が行き、わたしの具合が悪いので迎えに来てくれという話があっても、実母はわたしを寝かしつけて職場へトンボ帰りしていました。自分の生徒の方が大事だったんでしょう。
高校生の時に、わたしが歩きながら気絶して、駅のホームから線路に転落した時も、服が石油まみれになったことは渋い顔で指摘されましたが、枕木に激しく頭を打ち付けて、鼓膜を傷めて耳が片方聞こえていなくても、病院に行くのは故父が反対したので、実母は何も言いませんでした。
学生時代、実兄が故父にDVを受けていても、止めるわけでもなく実母は黙って見ていたのを思い出します。
そう、実母は「母」ではなく、あくまでも「先生」なんです。
職を離れた今でも。自分が(正確には実兄の考えに影響された考えが)常に正しいのです。現実は、どうでもいいのです。実母自身の思い通りにならないと、簡単に連絡を絶たれます。
だからわたしも、可能な限り連絡を絶つことにしました。
わたしは、今になってですが、実母の指示通り、あの時に大阪に行っておけば、今頃コロナで死ねたかなあと思っています(重症化リスクを持っている身なので)。とにかく、実母より早く逝きたいです。今はわたしは、胸の奥で、実母に本当は理解されたかったと泣いている小さな自分に、「母」は元々いなかったんだと、あれは「先生」なんだと、言い聞かせ続けています。
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