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チェルシー販売終了について

チェルシーという飴が販売終了するらしい。
Twitterでひろゆきがリポストしていたので把握した。

お菓子等が販売を終了すると、「なくなってしまうなんて寂しい」という声と共に、買い占めや転売が横行するという現象を皮肉った内容だった。
確かに、なくなってしまう事が寂しいという人達含め、皆が買わなくなった事がキッカケだとは思う。
しかし、そもそも論、企業努力が不足しているせいで、この寂しさと小さな絶望感を味わっているのではないかとも思う。


チェルシーは、子供の頃とても好きだった事を覚えている。
包装がお洒落で少し大人になった気がした。

しかし大人になってみると飴自体を舐めなくなった。
口臭を気にして、フリスクやミンティア等を買う事がある程度。

ただ、コンビニ自体にお菓子コーナーは存在し続けているし、一定程度、飴のコーナーは設置されている。
そこにチェルシーを見掛ける事はなくなったが、飴自体への需要は一定数ある筈なのだ。

カールがなくなった時もそうだが、その商品自体に価値は有ると私は思う。

商品を手に取る時に、見知っているものは手に取りやすいし、子供の頃好きだったというバイアスも掛かるので余計手に取りやすい。

しかし、近年でいうとチェルシーを見掛ける事自体あまり無かったと思う。
勿論私自身がそもそも飴を買わないので、コーナー自体をしっかり見る訳では無いのだが、小梅ちゃんやのど飴、龍角散等、昔から根強い人気がある商品を目にはしていた。

そもそも目に入らなければ、買う意思すら湧かないのは極々自然で、わざわざAmazon等で買う人の方が少ないと体感的には感じる。

純粋に営業力なのか、細かな変化をし続けられなかったからなのかは分からないが、そういった企業努力が不足していたせいで子供の頃の思い出がこの先の人生から消え失せたのだ。

元々あった物が失くなるのは寂しい。
そう感じる心はとても大切だと思う。
その事に対して、
「でも、買わなかったお前のせいじゃん」
という言葉の正当性も分かる。
しかし、企業努力が足りず久しぶりに見たと思ったら販売終了のお知らせというのは余りにも寂しいと感じる。

勿論全て主観でしかないし、企業の内情など何も知らないので、「貴方の感想ですよね」でしか無いのだが…。

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