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NOが言えない。

X(旧Twitter)にて、下記のポストが目に止まった。


私「鮭の切り身たくさんあるけど何枚かいる?」
母「この前コストコで買った鯖がねぇ。ちょっと思っていたのと違って。まだ冷凍庫にt」
私「いるかいらないか聞いてる」

こういう会話が昔からすごく多い。
ASD息子もそう。


というポストだった。
自分は母親側の気持ちがとてもよく分かるし、自分自身同様の返答をしている時がよくある。

このアカウントの主としては、
要るか要らないを聞いているのだから、その事に対しての返答が欲しいのに回答が回りくどい事を指摘している。

主の言いたい事は理解出来る。そのポストに対してのツリーも同調するような物が多かったので、比較的その考えはマジョリティ側の意見なのかもしれないが、私は随分"奥行の無い会話"をするんだなと思った。

というのも、私が母の立場になった時に同様の質問をされたらこう考える。
・現状必要は無い
・冷凍庫も埋まっている
↪︎理由は𓏸𓏸
・連絡をくれた事が嬉しい
・鮭を貰い、感謝を伝えるフェーズを作りたい

結論としては、要らない。
置き場にも困るし、鯖を消費させなくてはと考えているのに、魚が増えたら余計困る。
しかし、鮭を貰い「ありがとう、美味しかったよ、嬉しい」と、伝えるフェーズは関係性を向上させる為のツールとして有用な事と思っているので行いたい。

この、「要らないが受け取りたい」という意見が相反しているので、簡潔に答えられない。

例えばこれが興味のない相手からだった場合、回答は早い。
「要らない」と、これで済むのだ。

要は相手との関係性を大事にしたいが為にまどろっこしい表現になるのだ。

また結論ファーストというのは、会社や議論の場では重要だと思うが、こと日常会話になった場合反転する事が多いように思う。

相手が何を考えているのか、自分がどう感じているのか、そういった所を汲む能力の方が重要だと感じる。
日常におけるコミュニケーションの中には、結論と理由の中に感情というベクトルも加わるので立体的になり、難しさが増すのだと思う。

単純化すると明快だし、自分の中に落とし込みやすいが、そう単純化出来ないものが人間だと私は思う。

それから、もう一点、このポストの主は、ASDという単語を使っていた。
ASDは端的に言うとコミュニケーション能力がとても苦手な人の事。
ある種の知的障害。

現在、ADHDやASD、社会不安障害にアスペルガーなど、精神に関してやコミュニケーション能力に関しての病気や病名の一人歩きが気になる。
バーナム効果のように、一定程度皆が当てはまる物も多い。
しかし、これらは本人がそう認識してしまうと、より症状が悪化をしてしまうもの。
本人以外が容易に使うべきでは無いと思う。

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