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陰徳とはどういうことなんですか ?

自分はひとに迷惑をかけないように普段から気を付けていると思うか?
しかし、迷惑をかけながらでしか生きられないじゃ。
りんごはりんごだけで赤くなってはいないぞ。
日の光、土の栄養、新鮮な空気とみず、
他にもいろいろと与えて頂いて、やっと立派に赤くなるんじゃ。
赤い色は感謝の色かもしれんのう。
人間だけじゃ、自分だけで大きく立派になった気でいるのは。
口では、お世話になってとか言いながら心では何も感じていないのに
建て前だけで言葉を言ってはならんのじゃ。
陰徳という言葉があるんじゃ。
われわれは見えるものにだけお世話になったと思っているひとだらけじゃ。
見えないものほど、大切なものなんじゃ。
われわれは空気や水はもとより、誰かが仕事として行ったサービスの産物を巡り巡って頂いてるんじゃよ。
見えなくて大切なものほど、無くさないと気づかないようじゃ。
ひとは必ず、1日の生活の中で自分がしたことよりも他から頂いたものの方がじつは多いんじゃ。
自分はだれにも迷惑をかけていない、きちんとお金も払ったうえで手にしていると考えてしまうんじゃ。
自分が気づかない徳を陰徳という。
目に見える恩恵をあえて陽徳と表現するなら、陰徳の方が大切でかけがえのないものじゃ。
じゃから自分がひとに施すときは、陰徳を行うようにすることが尊いと思わないといかんのう。
なのに、「してあげたわよ」と分かるように、相手に貸しを作るように行いたくなるんじゃ。
相手から感謝してもらわなければ、途端に不機嫌にもなるのう。
ひとを褒める言葉も、そのひとが居ないところで言ったことほど価値があり、そのことがたまたま本人に後から伝わった時は、直接言ったときより言葉がそのひとのたましいにまで響くものじゃ。
逆に悪口は隠れて言ったほうが、相手にダメージを与えられるんじゃよ。
自分から何かを出すのであれば、自分の価値を自分で決められる陰徳をめざしたいものじゃ。
他人の評価より自分の評価の方が絶対に最終的には価値があることを忘れてはならんぞ。
すぐに相手からもらえる「ありがとう」という言葉も即効性はあるが、陰徳は、忘れたころに相手の賞賛と信頼というよっぽど価値のあるものを頂けることになるんじゃよ。「ありがとう」が貯金され利子がついたくらいの価値のあるものに感じないかなぁ。