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支部会議で泣きながら反省文を読む&部署全員からの追及

こんにちは、哀しき春です。
前回の記事にたくさんのいいねをくださり誠にありがとうございます。とても励みになりました。

前の動画のその後、支部会議での処分決定をYouTubeに猫ミーム式で投稿しましたが、今思い出しても罪悪感と吐き気、あの光景がフラッシュバックしてきます。
私の過ちではありますが、思い出してもつらく死にたい。何度も言いますが嘘をついた私が悪いわけで、その後悔はいまなお抱いて生きています。

―2週間の出勤停止後から支部会議まで


あの騒動の後、最初の一週間は出勤しては家に返されるをくり返した後に自宅待機を一週間ほど命じられました。
その後は普通に勤務をしていたのですが、部員に何があったかは絶対口外するなと上司に言われたので黙って仕事をしておりました

が。やはりこらえきれず涙を流し、他の部員にも内密にしてもらいましたが打ち明けてしまいました。話を聞いて同情してくれたその人は今でも忘れません。

支部会議が行われるまでは私にどんな処罰が下されるか決まっていません。党の規約によると処分はこのようになっています。

第四十九条 規律違反の処分は、事実にもとづいて慎重におこなわなくてはならない。処分は、警告、権利(部分または全面)停止、機関からの罷免、除名にわける。

一番重いのは除名処分となっており、2023年に松竹伸幸氏・鈴木元氏が党をかく乱する「分派」(自民党でいえば麻生派とかの派閥)をつくったとして除名処分となりましたが、現在はその処分をめぐり争われています。
ちなみに小池書記局長も22年に田村委員長へパワハラをしたと認め、警告処分が下されています。


私に下されるであろう処分は党員の権利を1か月全面停止するものであろうといわれました。

つまり言えば党員としての権利がないので、1か月間の給料は支給されないですし働くことができません。一般企業でいう「謹慎処分」のようなものです。

その言葉を聞いた時、家族をどう養おうか、一家3人どう1ケ月生きていけばいいんだともう頭が真っ白になりました。
実家にも相談し、お金を貸してもらうか。妻に頼み込んでバイトをしてもらうか。やはり泣きながら家に帰り、家族の前でワンワン泣きました。
妻は「電話してやる」と怒っていましたが、火に油を注ぎたくないので必死になだめ、子供が泣き、まさに修羅場でした。

ただ家族には救われました、暗い顔で家にいる私を遊園地へ連れて行ってくれた時、久々に家族で楽しい思い出が作れたと。そのレシートは今も大切にしまっています。

―支部会議当日

支部会議は突然告知されました。
1週間後に行うのでもう一度反省文を練り直してくるようにと言われましたが、もうそんなことはどうでもいいぐらいに死んでしまいたいと考えていました。
特に部署のある先輩は高圧的で、よく他者を叱責する人でした。しかも私とすごく仲が悪かったので、恐らく公然に責めるのは明白でした。ある人はきっと革命家としての気概が足りないと言うでしょう。

会議が開催される3日前までは本当に眠れなかった。処分はどう下されるか、この話を聞いて多くの部員は失望するのは間違いないのですが私への信頼は無くなったのに等しい状況になるのは分かっていました。自分の責任なんですが、やはり悲しい気持ちでありました。

会議当日、原則として全員出席の会議なので公休の人も出ることになっております。ほぼ全員揃ったと思いましたが約2名が来ておりませんでした。予定の時刻より10分ほど遅れて1人が着席、総勢20人超を目の前に私は座っていました。

進行役が私がした事をおおまかに報告、「党と国民をあざむく重大な事」と言っていたのは、規約にもしっかりと書いてあるからです。


私の処分が重いのはこうした理由もあるからです。その後、私の口から今回の経緯と反省の弁を述べるよう言われました。

ぎっくり腰を患っているので、子どもも抱っこできないですし、(妻は)働くこともままならない状態で働いていたからです。仕事を早く終わらせ、家に帰り残りの家事をこなし、夜1時に寝て朝6時に起きて妻の弁当や子どものご飯をつくり二人を見送り…

…私はもう赤旗をつくるべき人間ではないし、社会から逸脱した人間であります。ただもしもう一度だけチャンスがあれば、生まれ変わったように働きたい。そして部のみんなと日本共産党へ裏切ったことへの謝罪をしたい。(反省文より)

今思えばいい訳がましい所が目立ちますが、読んでいる最中にポロポロと涙が溢れてきました。自分の弱さを痛感し、なんて事をしたのだろうかと。

───部員からの反応

読み上げが終わると部員から質問が飛び交いました。「なぜ有給を取れなかったのか」や「なぜ嘘をついたのか?」という、私への質問のほかには、

「虚言癖だと思うから病院へ行った方がいい」
「信じられない、党員としての自覚が欠如している」
「あなた1人が育児で大変な目に遭っている訳ではない、甘えないで欲しい」


など私の姿勢を追求する意見も出されました。
中には
「一緒に働きたく無い」
「もし精神的に参っていても病気のせいにするな」

とも言われました。

全員が全員発言したわけではありませんが、一つ一つの言葉を噛み締めると、辛かったです。

───会議の終わり頃

会議は終わりに近づきました。
最終的な処分は多数決で決めるのが当の方針です、進行役の人が提案したのは

1カ月の部分的な党員の資格停止でした。

これは支部や部会など党員が参加する会議には出られない、という処分でありまして仕事は普段どうりでき、給料も支払われると言った物です。
私は仕方ないことでありますが、温情がある決定だと思い多数決を見守っておりました。
ただ、ほぼ全員がその処分が妥当であると挙手をいたしましたが遅刻してきた人だけは反対をしました。
理由として「この処分では甘すぎる、全面資格停止が妥当では無いか」「反省の色が見られない」と言っておりました。

それを聞いていた私は、ただ漠然と話を聞いていました。長年働いておりましたが、あの感情を言い表すのは難しいです。
最終的には部分的資格停止で決着がつき、私は会議には出られなくなりましたが元の部署で仕事をすることができました。

しかしながら私の精神は限界を迎えてしまいました。

───適応障害、離職、そして思う事

精神科で受診したところ、子育てと仕事に上手く対応できていない事からくる「適応障害」と診断されました。

一部加工しております


「適応障害」とは「鬱」の一歩手前のような状況らしく、しばらく仕事を休むよう言われましたが家族を養うために頑張って働きました。
変な話ですが、もしこのまま働いていたら私は死んでいたかもしれません。
それぐらい追い詰められていました。

ただ幸運だった事は同時並行で進めていた転職活動が上手くいき、ある会社から採用された事でした。今ではその環境の違い(いい意味で)に驚きの毎日です。そして支えてくれた家族、親友、そして多くの人にはこの場で感謝を述べたいと思います。
生きていてよかったです。

また書きますのでよかったら一読くださると幸いです。


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