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第29回 幕末を語りたくて 第4回

1858年、井伊大老が独断で
日米修好通商条約に調印したことにより生活が
困窮し、外国への敵対心が強まると尊皇攘夷という
思想が広まっていきました。

井伊大老
「次期将軍、慶喜
(後の第十五代将軍、徳川慶喜)を
 推す声が強いねぇ」
幕臣
「そりゃあ、大人気攘夷の急先鋒である水戸藩
 水戸斉昭様の御子息ですからね!」
井伊大老
「ジョーイ、ジョーイってなんも
 知らないくせに・・・」
「決めた! 次の将軍は家茂
 (第十四代将軍、徳川家茂)君にしよう!」
「あと、攘夷ってうるせえ奴は皆弾圧する!」
「名付けて、安政の大獄! 良いネーミングだろ?」
幕臣
「井伊様、民も苦しんでますよ?」
井伊大老
「人は上なるも下なるも楽しむ心がなくては
 一日も世を渡ることは難しい」
幕臣
「・・・はっ?」
井伊大老
「咲きかけた桜のように、 私が下した
 大決断は、私の死後にかぐわしく匂って、
 その良さを知ることになろう」
幕臣
「チョット、何言ってるのか分からない・・・」
(小生妄想劇場でした。)

という事で、尊攘派反体制勢力の
公卿、大名、志士ら百余名を弾圧・処刑します。

しかし、当たり前に恨みを買った井伊大老は、
必殺仕事人・・・ゴホン、失礼!
尊攘派水戸浪士らに斬殺され、幕府の権威は
大きく傷つきました。
(1860年、桜田門外の変

井伊暗殺尊攘派が息を吹き返す中、特に勢力を
拡大したのが長州藩でした。

この長州藩に偉大な人物がいました。
その名を吉田松陰

松下村塾を開き、高杉晋作伊藤博文らの
門人を集め幕末から明治にかけて活躍した人材を
育成するも1859年、29歳のときに
安政の大獄により江戸で処刑されました。
そして、その辞世の句が本当に胸を打つのです。

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂

辞世の句は数あれど、こんなにも
格好の良い句を小生は知りません。
松陰に教えを受けた人びとは、その後の
明治維新や日本の近代化で
活躍するのも頷けますね。

話を戻して、長州藩急進派の公家と手を結んで
朝廷を操り、京都市中では天誅!と叫びながら
開国派の暗殺を繰り返し、江戸から上洛した
将軍家茂に無理やり攘夷決行を迫ります。

ついには下関海峡を通る外国船にいきなり
砲撃を加える過激ぶりでした。

稀代の大老、井伊直弼を失い、その権威も失墜
してしまった幕府は一体どうなってしまうのか?
次回、幕府死す!お楽しみにね!
(ホント御免なさい、音量にご注意ください!)


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