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第24回 幕末を語りたくて 第3回

前回のあらすじ・・・
アメリカ合衆国と朝廷との間で幕府は
面倒くせぇ事になってるんだってさ!

・・・すみません、本編始めます・・・

朝廷から正式に開国のお許しが出ずに、悩みに
悩んでいた幕府でしたが、まだまだ逸材が
いるものです。

1858年、大老(幕府の最高責任者)に
就任しましたその名も井伊直弼! 歴史に
疎い方でもアレ、聞いたことあるなあと
何と無く知られている御仁で御座います。

井伊直弼
「朝廷? いいよ、いいよ、勝手にやるから!」
「万次郎(中浜万次郎/ジョン万次郎)君の
 話聞いたろ!? アメリカには勝てないって!」
「まあ、しばらくの間は服従の姿勢で様子見ね!」
堀田正睦
「何のために俺は京まで行ったのよ・・・。」
(小生の妄想が暴走を始めております。)

っという訳でこの年の内に
日米修好通商条約に調印します。

因みに日米修好通商条約で日本にとって
不平等であった点は
治外法権を認める、関税自主権が無いの2点。

治外法権を認めるということは、アメリカ人が
日本で罪を犯しても日本の法律では
裁けないということ。

関税自主権が無いということは、貿易しても
関税率を決められないため、結果として
国内産業の衰退につながるということ。

幕府はその後も、そんな不平等な通商条約を
相次いで他国と結んでたんですねぇ。

こんな事して国が栄える筈も無く
突然始まった対外貿易の影響で品不足やインフレが
発生し、生活が厳しくなったこともあって、武士を
中心に外国への敵対心が高まっていきました。

すると、蔑ろにされている天皇朝廷の権威を
高めようとする尊王論と、外国人
打ち払おうとする
攘夷論が結びつき、尊皇攘夷熱が
急速に加熱していきました。

尊皇攘夷運動は結果的に
幕政批判につながってしまいます。
その危険な動きを我らが井伊大老
見逃す筈がありません! 井伊大老の次なる一手を
楽しみに、今日はこの辺でお疲れ様でした。
(音量にご注意ください!)

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