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2024 福島県 浪江町を歩く

2024年9月、浪江町を訪問した記録です。

浪江町の玄関「JR浪江駅」
こじんまりとした無人駅です。僕が訪れた時期はまだまだ暑かったです。


浪江駅近くの「浪江郵便局」です。
周辺は空き地も多く住宅の復興は道半ばといったところでしょうか。


浪江町と福島市を結ぶ主要国道114号線、無電柱化となっています。
おそらく緊急輸送道路にしていされているのではないでしょうか。


2019年に開業したイオン浪江店。
震災から8年後にやっとスーパーが開業し、生鮮食品が買える状態となりました。


道の駅「なみえ」食事はもちろん、浪江の物産も購入できます。
また、無印良品も道の駅に入っており、浪江住民の暮らしを支えています。


道の駅「なみえ」で浪江やきそばを食べました!
ご存知、B1グランプリで2013グランプリを受賞した一品です。


道の駅「なみえ」の裏側は請戸川が流れています。
震災時は津波が川を遡上してきたようで、現在は河川護岸が綺麗に整備されていました。


道の駅「なみえ」に隣接しているラッキー公園 in なみえまち です。
ここはポケモン「ラッキー」をモチーフに整備された公園です。


被災した施設を復旧するだけでなく、新たな産業を創出する動きも盛んです。
浪江駅東側に復興庁が音頭をとって国際研究教育機構が発足しております。
このロードマップ通り進めば5年後はかなり発展した浪江町となっているでしょう。


道の駅「なみえ」から東へ車で10分、請戸川河口から太平洋にでました。
河口近くには浪江町唯一の港「請戸漁港」があります。


請戸漁港は福島第1原子力発電所からわずか7kmの距離にあったため、震災後ただにち復旧工事にはいることができず、震災から2年半後にやっと復旧工事が着手できました。


2021年に復旧工事が終了した請戸漁港は荷捌き所や岸壁が新たに整備され、福島沖の水産物の水揚げ場として重要な役割を果たしています。


請戸小学校
ここでは津波被害にあった施設を震災遺構として保存しております。


津波は1階をすべてのみこみ、2階の床部分まで到達したそうです。
ベランダ部分に津波到達高さを示す看板があります。
小学校内部の被災状況がそのまま保存されています。
倒れているのは分電盤で、津波のエネルギーで壁もろとも破壊されています。


経路に沿って進むと津波発生から近くの大平山へ避難するまでの時系列がわかるようになっています。
被災前のハザードマップでは小学校まで津波は来ないとなっていました。しかし大津波警報が発令され、先生たちの咄嗟の判断で非難を決めたようです。


小学校から徒歩で大平山へ着いた時には麓まで津波が到達していたようです。生徒たちは更に町中心部へ非難する途中、通りかかった運送トラックにのせてもらい津波から逃れることができました。
発災後わずか43分で津波が到達するものの、全員が無事避難でしたのは奇跡と言っていいでしょう。


浪江町より福島第1原子力発電所により近い双葉町にも足を運びまいた。
双葉町は未だほとんどが帰宅困難区域となっていますが、避難指示解除区域では復興産業拠点を設けて日々復興が進められております。

2020年3月に避難指示解除となった中野地区では双葉町の復興拠点を中心に復興作業が進められております。



復興拠点近くには原発もあることから、放射能を計測する設備があります。
環境省が示す安全基準は0.23μシーベルト/時とされてますが、示している値はそれよりはるかに低い数字です。これは自然界に存在する放射線量であると言えます。


双葉町の復興拠点エリアにある原子力災害伝承館です。
ここは発災後の様子が時系列でわかよう工夫されています。


当時の様子を伝える新聞記事です。
テレビ越しに建屋が水素爆発をおこしたニュースは大変な事になったと今でも克明に覚えています。


震災から13年が経ち、被災者向け応急仮設住宅、借上住宅が減ってきているのが伺えます。
しかしそれは集団移転先へ移っただけであり、もともと住んでいた地域に戻れたということではありません。


東日本大震災以降も例年のように各地で水害、震災が発生しています。
これ以上、悲しむ人がでないことを祈るばかりです。

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