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自分らしさを阻むのは自分だけ

自分らしさってなんだろう

って、考えます。

笑ってる自分
喜んでる自分
はしゃいでる自分
怒ってる自分
泣いてる自分
落ち込んでる自分

ポジティブな自分もネガティブな自分も、みんな自分。
そう考えていくと、自分らしく生きられなくてもがいている姿も、自分なんですよね。


そこにあるのは、ネガティブな波動の中で学び、霊的に成長しようとしている尊い魂である自分。
そしてひとつの学びが終わり、偉大な叡智に眼を開き、軽やかに開放された自由な魂としての、自分らしさ溢れる自分です。

今どの辺りにいるか、だけの違いなんですよね。


学びの真っただ中にいてつらさや苦しさを感じている時は、なんでこんなしんどいの~~~って、嫌になります。

そんな時も瞑想は私を助けてくれます。
エゴから解き放たれて、創造の源(ソース)の視点で観てみると、どんな学びをしている最中なのか、なにに気付き、何を解放して、何を会得するためにこのドラマを体験しているのか。それが瞑想によって示されると、最短のスピードで学びが進みます。

学びのための体験はしんどいことが多いですが、そこにあるのは『育み』であり、私たちを霊的に成長させてくれる『糧』であり、『無条件の愛』です。創造主はこんなにも、私たちを育もうと一生懸命に体験を『創造』し、手厚くサポートし、この肉体を通して魂が覚醒するようにと、与えてくれているんですね。ドラマにどっぷり浸かっていると見えないけれど、瞑想すると、その親の愛ならぬ創造主の愛が観えてくるんです。


体験が愛だった、学びであった、と気付くことで、初めて許しが起きます。逆を言えば、気付き、学び、そこに在る愛を受け取る意識に目覚めなければ、許しもまた起きないのです。


瞑想を繰り返し、ソースの意識や波動に馴染んでいくと、学びのための体験をしている時もソースと分離せず、自分らしさを保てるようになっていきます。そうなったらしめたものですよね!愛にハートが開いた状態のまま、自分を苦しめることなく、学び成長できるマスターとしての覚醒した魂で、肉体と共に現実を創造し、進んでいくことができるようになります。

人は、どうしてもつらい時、苦しい時、そこから逃れようともがくほうが、気付きやすいのです(^^;) 現実を変えたい、楽になりたいと思う気持ちが、気付きへと繋がります。

幸せで何も悩みがなくてのほほんとしていると、それを変えようとか、そこから何か学び成長しなくちゃとか、って意識になりにくいんですね。
そんな幸せの中で学び成長していけるのが、マスターとしての質です。ポジティブな中で、さらに高みを目指していけたら、もうネガティブな体験(ドラマ)は必要なしです。

目に見えるドラマ(つらい現実)に目を奪われると、その本質に気付きにくいのです。本質とは、そのシナリオの目的は何かということです。物理的に起きているドラマには、必ずその体験によって与えられる本質(愛)、気付き(メッセージ)がエネルギー的に込められています。ドラマに巻き込まれて恨んだり怒ったりするのではなく、その本質のエネルギーをギフトとして受け取り、自分の糧にして、学び成長する体験として昇華させることが大切なんです。

ギフトをギフトとして受け取れるようになると、愛を受け取るということの本当の意味が、創造の源の叡智として理解できるようになります。


いろんな体験をして、泣いたり笑ったりして、どんな瞬間も大切に自分の糧にしていこう。その意識が自分らしさを育んでくれます。

すべては自分のために起きているから。
すべては私を育むためにソースが与えてくれるギフトだから。



悲しみやつらさや苦しみを、そんな体験したくない、と拒絶したり、否定すると、そこから学び成長する魂としての自分を阻むことになります。

自分を育むものとして、意識できたら、その体験は愛によって溶けていくので、ネガティブな現実がすばやく変化していきます。

それを加速させる瞑想というツールは、日常使いして、日々使い倒していかれるとよいですね(^^)





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